正月の北ア・大天井岳のカップル遭難 無事救出の裏側
年末年始の燕岳は、最近妙に人気の冬山だ。夏にはマイカーが入れる中房温泉まで、冬季閉鎖の林道歩きが四時間もあるのだが、中房温泉が通年営業しているし、そこから六時間登った稜線の燕山荘も、正月休み期間だけは営業小屋になっている。しかも小屋は案外頑丈で暖かい。
六百人収容できる燕山荘では、今年元旦への年越し宿泊は、四百人を越えた。大半は、中高年カメラマンとか、燕岳登頂が目的。大天井岳まで縦走する人は相当に少ないし、まして東鎌尾根から槍ヶ岳へは、悪天候の今年はゼロ。過去の登山ブームはいざ知らず、今では夏の表銀座は、冬には全く閉ざされているわけだ。
そこへ男性三人、女性一人の社会人クラブの四人が冬山合宿に出掛けた。報道されなかったが、新婚夫婦と男性二人の四人組みだ。クリスマス婚の二人にとって、ハネムーン登山も兼ねた。このうちの二人が大天井岳に取り残されて救助要請し、ニュースになった。
「北ア、大天井岳で男女二人が遭難」
この正月は各地で遭難が相次いだ。このパーティは私の知り合いだったために、救助の出動をした。幸いに県警航空隊に救助されて事なきを得た。
パーティの計画では、条件が良ければ大天井岳〜常念岳〜蝶ヶ岳〜上高地へ下山。メンバーは三十歳代半ばが三人、二十歳代半ばが一人。中高年パーティではない。
大晦日、大勢の登山客に混ざって四人は、燕山荘に入りこんだ。幕営の計画だったが、風雪が強かった。
翌元日も同じく風雪。期待した初日の出など無理。小屋で年越した客は、風がやんだ頃を見計らって燕岳往復がせいぜいだった。ところがパーティは、大天井岳に向かうことにした。同調するパーティはいない。メンバーも一人減った。サブリーダー(三十歳半ばの男性)は風邪で体調を崩して、停滞を決める。残り三人が幕営装備も持って出発した。一泊予定である。合宿なのだからせめて大天井岳くらいは往復したい。
どのくらいの悪条件なら行動できるかという基準は、各人様々である。一年前の冬、彼らは上高地〜横尾尾根〜槍ヶ岳〜新穂高という縦走を行った。途中槍ヶ岳の冬季小屋に入る計画だった日に、悪天候で大喰岳までしか行動ができなかった。新人会員はリーダーに聞いた。
「今日の悪天候は冬山登山でどのくらいのレベルですか」
「まあ、普通くらいかな」
視界が五百mくらいの風雪悪天候なら、計画通りに動けないにしても、停滞していてはいけない。それが冬山というものだ。新人はそう理解した。
その時の新人メンバーが、今日のパーティである。冬山経験は二年ほど。先輩情報と自分の理解では、この日行動する。
当初の計画はすでに放棄されて、大天井岳が目的になった。風雪の中を午前七時過ぎに三人で出発する。視界は百m前後。森林限界上の稜線だから、雪は飛ばされてラッセルはない。トレースもない。七時間で午後二時頃に、大天井岳の基部に着いた。悪条件の中で足並みも揃わない。夏なら片道二時間の距離に三倍かかった。ここから近道して、斜面トラバースの夏道(一般的に冬季閉鎖)に入って、大天荘冬季小屋に向かう。ところが途中の午後四時半に二十歳半ば男性(風邪をこじらせて肺炎になった)が動けなくなって、そこで幕営することになった。風雪で至近距に小屋があるのだが見えない。辿りつけないことが致命傷になった。
この幕営場所が後に救助のときに問題とされた。県警提供の空撮写真が新聞に掲載されたが、見る限りは主稜線から外れた急斜面に見える。トラバースの夏道からも外れている。しかしメンバーが言うには、比較的安定した窪地を選んだというのだ。
翌日の二日は、さらに風雪が強くて停滞。ただメンバーは、ほんの少しの努力で冬季小屋に入れるわけだから、一旦テントを撤収して登ろうとしたが、風邪の男性は動けないし、女性(三十歳半ば)も凍傷気味でダメ。三人のうち二人が動けなくて、同じ場所で停滞した。テントは昨日の内に、風でポールが折れて張ることができずに、潰れたテントに入り込むだけだったらしい。しかも強風でテント内のザックが左右に飛ばされ、自分の体も浮き上がりそうなほど、吹雪かれたようだ。彼女はこの数日の様子を、
「朝か夜かの判断さえつかずに、頭からシュラフを被っているだけだった。生きて帰れるかダメかの思考すら湧いてこない」
と後日の反省会で話した。それにこの場所から携帯電話は通じなかった。
三日、風雪が弱まったときに、動けるリーダーの一人が脱出して燕山荘に戻る。四時間ほどの単独行動になった。この間すれ違う登山者はゼロ。実はこのリーダーと、凍傷気味の女性が新婚だった。
リーダーは、小屋から迎えに出た停滞メンバーと合流して、救助要請した。翌日四日は晴れた。風が収まった夕刻に、残った二人はヘリで救助された。この日は朝から県警ヘリが二機、防災ヘリが一機飛んだ。県警のヘリは救急扱い(無料)である。不安定な斜面で、三泊した二人だったが、軽傷で済んだ。
男性は肺炎で入院一週間。女性は軽度の凍傷で一日入院。初期の情報だけでは、女性の凍傷が相当ひどく後遺症がなければいいと伝わったが幸いだった。
この間、救助された同日の四日には、県警救助隊六人と、私も含め山岳会メンバー九人が、午前九時に中房を出発して、陸路で現地に向かった(冬季閉鎖林道を県警車両が通行した)。ヘリが飛べないときには、この方法しかない。この陸路隊の行動途中の午後一時半頃、天候を見計らってヘリが合戦小屋上空に来た。そこまで登っていた県警救助隊の四人がヘリにピックアップされて、遭難現場に降りた。救援は早急に実行されて成功した。山岳会六人(三人は途中下山)は、夕刻までに燕山荘に入った。遭難者二人は、松本市の救急センターに収容された。現場の壊れたテントと二人のザックは回収できずに、残置された。
翌五日は、陸路救助隊も戻る。結果的に空振り救助隊だったが、遭難メンバーの残り二人も一緒に下山する。風邪のサブリーダーと、遭難現場から単独帰還したリーダーだ。リーダーも顔に凍傷を負っていた。下山後メンバーは、真っ先に安曇野警察にお礼と不始末の報告(事情聴取)に向かった。メンバーは怒られた。
「キミたちの行動は“自殺行為”に等しい。その反省と自覚がありますか」絞られた。
安曇野警察に、地元紙の女性記者が待機していた。この遭難は記者会見をしなかった。当事者が収容されたからである。同じ時期に鳥海山のスノーモービル遭難は、俗に“さらし首”と言われる記者会見をさせられた。遊び半分の事故は、実名報道されることがある。
「危険な冬山で三泊もしたのに、元気で生還できたのは、どうしてですか」
と記者は聞いてくる。昨年五月の白馬では六人全員がその日に死亡した。四年前の夏のトムラウシでも、雨の中九人が死亡した。先日の中国万里の長城でも三人が死亡した。低体温症とは一日で生命を左右する。何故三日も耐えられたのか。
「ああ、それは登山家としてビバークする知恵を実行したか、ハイカーが実行できなかったか、違いはそれだけですよ」
「たったそれだけの違いで、生死が別れるわけですか」
理解できないだろう。でももう一日遅れたら、危なかった。しかし問題はそれではない。
その足で、二人の見舞いに行く。男性は肺炎をこじらせて一週間の入院をした。顔面が凍傷で紫色になっていた。両頬と鼻筋が痛々しい。女性は凍傷も軽度で、一日入院で退院できた。でも通常歩行ができるまで、数週間かかった。
人間の思考能力とは、およそ相当に狭いものだ。元日に燕山荘を出発した三人は、大天荘の冬季小屋に入ることだけが目標になった。わずかに三人でも集団登山である。団体を指揮し責任を持つのがリーダーなら、彼の無理にメンバーが引きずられたか。
いや社会人の仲間なのだから、リーダーの計画にクレームをつけて、別行動する自由もある。しかしそれは一般に、団体行動を乱すと言われ、嫌がられる。
トムラウシも白馬も、二百人がほぼ全滅した百年前の八甲田雪中行軍も、遭難原因はおよそ同じだ。無謀な集団行動が正当化されていた。私はいつも思うが、せめて危険を察知した個人が、危ない集団とは別れられないか。個人とリーダーは、事前にもっと真剣に言い合わないといけないと思う。
それに……、悪条件で出発したのはいいとしても、昼まで行動して戻るという思考はなかったか。誰もが凍傷を負っていた。それは誉められた登山か、他人に勧められる登山か。風邪の隊員がもっと行動できればよかったのか。冬季小屋に入れる保証だってない。それに夏の三倍の歩行時間とは遅すぎる。リーダーだけが強いなら単独で行け……。致命的な事故の裏には、百の危険が潜んでいる。だったら悪天候の日には、こたつでミカン食っていたらダメですか。
「山は自力で下山するもの」
が最低限の約束ならば、その範囲を逸脱した。助かっただけ幸いで二度と同じ幸運には恵まれない。口の悪い人は、それを「死にそこない」という。――そういう自覚が持てたかどうか。春になった今でも、正月登山の遭難者は発見されていない者が多い――。
こんちわ。
パーティの難しさですね。
これ、会社にあってもワンマン社長の経営方針にクレームをつけるのは難しいことです。
社長の顔を立てる道筋を勘案しないかぎりは発言できません。
いづこの組織であれ、リーダーの資質で命運が別れますね・・
ガイド資格の下にCL資格でも作ったほうがいいかもしれませんね
でわでわ
はじめまして。
ほぼ同じ行程の計画を組んでいたので、当時の状況を思い出しながら読ませてもらいました。
俺は単独だったし、無理はしたくないし燕山荘の吹雪でテント泊すら断念しました。張った連中も埋まるとかエラい状況でしたし。
計画も諦めて元旦はあっさり下山して、翌朝この遭難を知りましたが、よくあの中突っ込んだなというのが正直な感想でした。
報道されなかったこの状況を読めたのは良かったです。
自分も気を付けねばと改めて思いました。
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