|
自分は26年間ジムでトレーニングを続けています。仕事柄運動不足だからという理由くらいで始めたのですが、今となっては完全に習慣化されているので多分この体が動かなくなるまで続けるんだと思います。
最初は単純に筋肉をつけたかったからベンチプレスとかスクワットとかとにかく重たいものを挙げるのが全てみたいな感じでやっていましたが、継続していく中で自分の中でいろいろ気がついたり見えてきたりするものもありました。増えていくものもあるし、逆に単純化されていくものもあります。
その中で自分が最近特に思うのが、「我々、というかこの世のもの全てはただ単に刺激に反応しているだけなのではないか。」という事。
筋トレは重量や可動域、心拍の上昇などの体に対する刺激を入れて、体はそれに反応しているだけだし、風にそよぐ草花も多分風に吹かれるという刺激に反応してる。我々がよく口にするストレスだって、その人の刺激に対する処理能力の違いこそあれ、ただの刺激だ。体内で分泌される各種ホルモンの刺激によって我々は揺さぶられるし、地球上の生き物は皆太陽や月夜の刺激に反応している。仕事が出来る人は自分から刺激を探しに行く傾向が強いし、そもそも何の刺激も無い環境に置かれたら大体の人はまともでいられなくなる。とにかく我々は刺激に反応しているだけだなと自分はつくづく思う。
そう思うと生き方の方向性も自分なりに分かりやすくなるし、やれること、そうでないこと(現実的でないこと)の判断もつくようなる。実際この世のルールは割とシンプルに思う。
刺激に対する反応という話では、若さというのは刺激に対する反応が世代としておしなべて良いという風にも言える。年を取るという事はその逆で、刺激に対する反応が鈍くなっていく。個人差はすごく開くけど、概ねそういう風になっていく。体ってセンサーの塊りなので、トレーニングを続けていくとだんだん反応速度が遅くなっていくことは残念ながら良く分かる。救いなのは、反応が鈍くなることと、センサーの能力が下がることとはイコールでは無いことだ。気づきはまだまだ増やせる。
ブラック企業って、そういう反応のいい若い人を食い物にするから最悪なんだ。対応能力がまだ未熟な若い人は囲い込むのは容易だし、搾り取るにも反応はいいので搾り取れる量の目途がつけやすい。ああいうのが淘汰されるようになってきて良かった。
年を取るって、生きるにあたって必要なパーツを自分自身で生成することが出来なくなってくるという面も多分ある。お年寄りが孫を抱きたがるのも、赤子はエネルギーの塊りなので、自分に不足し始めているものを強烈に補ってくれるからというのもあるように思う。
社会保障ってこういう事をベースに考える必要があるように思う。人ってこの体の範囲だけが自分では無く、周りと混ざり合って自分が成立しているから、公金の配分の話だけでは賄いきれないと思う。昔あった互助会とかってそういう考えがあった上での仕組みじゃなかったのかなとか考える。
そんな感じで。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する