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2014年8月2日(土)から8月7日(木)にかけて大谷原から親不知まで縦走した時の想い出話です。
北アルプス最北部の縦走路に栂海新道という道があり、最後は日本海に飛び込んでゴールなのだという記事を読んで興味を持った。
当時はまだ山歩きを始めてから間がなく、自分がそこを歩くイメージが湧かなかったけど、2012年頃になって今なら行けると踏んで色々下調べを始めた。栂海新道がメインの計画だったので、スタート地点は夏季休暇の間にどこまで歩けるかという事を逆算し大谷原からの赤岩尾根と決めた。
8月2日の夜中に横浜の自宅を車で出発、早朝に親不知観光ホテル前の駐車場一番奥に車を停め、予約していたタクシーで糸魚川まで移動、大糸線で信濃大町駅まで移動しタクシーで大谷原まで送ってもらった。
自分の場合、登山口までが遠いのでいつも縦走初日が一番しんどいのだが、この日は特に早朝からのエネルギー消費量が多くなってしまい赤岩尾根の登りがきつかった記憶がある。それに確かあの日は暑かった。
冷乗越に出てからの稜線歩きは楽しかった。八峰キレットから五竜、唐松の道は結構地形が厳しい場所もあったがどこも歩いていて楽しかった。八峰キレット小屋は手入れが行き届いた安心できる小屋だった。今だにあの小屋のトイレの綺麗さに勝る小屋を見たことがない。
唐松から白馬の間は歩く人も少ない印象で不帰のキレットも含めて一番時間がかかった。数組すれ違ったが、その中の女性の顔がびっくり顔になっていたのが印象に残っている。人間緊張が続くと目が見開いてびっくりした時の顔になる。一般縦走路としては結構緊張を強いられるルートではある。
天狗山荘に着いた時はまだ白馬まで行く時間はあったのだけど、中休みで体も休めようと天狗山荘宿泊とした。天狗山荘は目の前に雪渓があって雪解け水が豊富にあり、その水で冷やしたジュースが美味しかった。料金も良心的でとても良い小屋だった。
翌朝白馬山荘に着いた時、普段は食べないケーキセットを頼んで食べた。これからいよいよ栂海新道という多少の緊張感とだんだん疲れて来ている体と気持ちもあり、なんか街の雰囲気を味わいたかったのかと思う。栄養補給という意味で朝からケーキを食べる必要は無かった。
白馬山荘は春先の山スキーで毎年大雪渓を登って来ていたので知った場所になっていた。山荘の横にレンガに文字を彫った形の道しるべが積んであり、そこに栂海新道という文字が出てくる。いよいよ行くかという気持ちになった。
三国境の分岐では殆どの人が白馬大池方面に行く。自分が雪倉方面に歩き出す時一人の年配女性と目が合った。自分の思い過ごしだろうがその人が微笑んでくれたように見え、励まされたような気持ちになった。
三国境から先は歩く人が一気に減る。朝日小屋に着くまで数人会ったかどうかだった。雪倉岳を越えて朝日小屋まではかなりのロングコースだが、山容もなだらかなものに変わり基本的に標高も下げていくため見晴らしが良く、素晴らしいルートだった。雪倉岳頂上からは蓮華温泉が見える。雪の季節に山スキーで来た道だ。
朝日小屋のご飯は評判通りとっても美味しかった。冷凍したホタルイカを下から担ぎ上げているとのことで山の上で食べるホタルイカには癒された。食事の後に清水さんが明日どちらに行かれますかと全員に聞いていて、栂海新道に行くのは自分と年配夫婦の3人だけだった。清水さんから栂海新道は最終日が一番大変だと思いますと言われたが確かにその通りだった。
栂海新道を歩いていて感じた事、考えた事、思った事は色々あった。こんな道は今の時代は自然保護の考えから許可されないだろうと思った。大変素晴らしい道だが人が踏む事によって湿原のバランスが崩れて水が抜けてしまい乾燥化が進んでいる場所が散見された。だけど小野さん達が切り開いてくれたおかげで自分がこんな場所を歩けている訳で、複雑な思いがする。
栂海新道は基本的に直進直登で巻くという事は一切していない。それがしんどくて笑ってしまう。水場に下りるのも結構大変だし、栂海山荘の水場と言われている場所も一山越えた場所にある。当時のさわがに会のメンバーはあの距離を苦も無く行き来していたのだろう。とにかくあの道全部に当時の若者のエネルギーが今だ満ち溢れている。歩いていて痛快。
清水さんがおっしゃっていた最終日が大変という意味は湿度と気温だと自分は理解した。夏の日本海にどんどん標高を下げて近づくという事は高温超多湿ほぼ無風の中を歩き続ける事を意味していた。これは確かにしんどかった。
最終日に白鳥小屋めざして朝から歩いていたら、どっかからブシュッ、ブシュッって変な音がする。何だろうと思っていたら登山靴の中に溜まった自分の汗の音だった。湿度が高すぎるので自分が全身汗でびしょびしょだという感覚も分からなくなる。白鳥小屋で乾いた替えがある物は全部着替えたが親不知に着いた時にはまた全身びしょびしょになっていた。
白鳥小屋には男性が一人居て胡坐をかいてカップラーメンを食べていた。その時の自分は見晴らし台に登る気力も無かったのだけど、その人が気持ちのいい人で会話をしている内に元気になってきた。墓参りで帰省している地元の人で、帰省するとちょっと白鳥小屋まで歩きに来るのだと言う。自分が歩いて来たルートの事を話すと、国道148号線の事を「あー、イチヨンパね。」と言った。地元の人はイチヨンパって言うんだと知って自分はちょっと嬉しかった。自分は田舎が無いのでこういう話を聞ける事が嬉しかったりする。
白鳥小屋を過ぎてからはひたすらゴールを目指し一人歩いた。途中旧北陸街道と林道を横切るのだが、そこから先も結構長かった。二本松峠を過ぎたあたりで雨も降りだし泣きたくなったが「しつこい、長い!」と一人叫びながら歩いた。
蔦に覆われたガードレールと樹木の隙間から親不知観光ホテルが見えた時は嬉しいというよりもホッとした。海岸に下りる前にザックを降ろして空身で行ってもよかったのに、最後まで荷物は背負うとそのまま歩いて下りていった自分はえらいと思う。海で泳いだのかという話だけど雨模様で海も荒れ気味だったので手を浸してそれを舐めてゴールにした。
最後に、今、今年の夏の縦走計画を立て始めている人も多いかと思いますが、栂海新道もお勧めします。あの道を歩くと当時の若者達の影を追う事が出来ます。マムシがパンパンに入った袋を腰に下げてひたすら真っ直ぐに道を開墾している彼らに会えます。その時間はきっとあなたに何かを気づかせてくれます。
そんな感じで。
私も2002年の夏に白馬岳から親不知まで栂海新道を歩きました。
白馬岳の村営頂上宿舎と朝日小屋ではテン泊、最終日は栂海山荘に泊まりました。
おっしゃる通り素晴らしい縦走路でしたが、最終日は車道が通じる坂田峠あたりから暑さとの戦いになりましたね。
眼下に日本海が見えているのに、小さなピークがこれでもかと次々に現れ、全身はもはや汗だく状態💦
しかしこの縦走路を逆に登ってくる猛者にも数人出会いました。
歩くペースは極端に落ち、2リットルのポリタンの水が底をついた時に、ようやく親不知の登山口に着きました。
親不知観光ホテルにザックを置いて海岸に降り、泳ぎはしませんでしたが日本海の水に触れた時は、よくぞ歩いたと充実感に溢れた思いでした。
私も栂海新道はもっとも思い出深い縦走路の一つです。
坂田峠に出てからが長いんですよね。。年々湿度も上がっているので今は秋に歩いた方がいいのかも知れません。自分も逆に登ってくる人は猛者だと思います。白鳥小屋に居た人を見て実は自分もこの人は猛者だと思っていました(笑)。もう一度歩きたい道ですね。
ありがとうございます!
一昨年、そのゴールの海で出会った男性(ゴールされ泳いだらしい)がやけにかっこよく漢!に見えた理由がこの物語を読んでよくわかりました。
漢になれるのなら歩く意義も増えそうですね(笑)この道にしかない醍醐味というか痛快さ+しんどさはあるのかと感じます。
黒岩平がとてもきれいで、天国ってこんなところかな、と思いました。
自分も黒岩平の景色は他で見たことのないような景色で暫く眺めていた事を思い出しました。箱庭みたいで何とも綺麗でした。
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