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自分が山スキーを始めたのはかれこれ17,8年前に職場の同僚に声をかけられた時からだ。
彼らは当時まだやっている人も少なかったスノーボードやテレマークスキーで山をハイクアップして滑走するということをやっていて、自分に「道具は貸すからブーツだけ買っておけ。」と言ってきた。自分はそのシーズンだったかゲレンデには初めて行っていてアルペンスキーはやったことがあったけどバリバリ初心者でほとんど何も出来ていないレベルだった。
だけど、スキーは面白かったし、山に登って滑り降りるという話に興味は沸いたのでその後すぐに家の近所の山の店カモシカスポーツにテレマークブーツというものを買いに行った。店員さんに75mmがどうのこうの言われてよく分からなかったので店から同僚に電話したら、「お前ほんとに買っちゃうのかww」って言ってたから冗談半分に声かけただけだったのかも知れない。ちなみに当時は桜木町近くの紅葉坂の下にカモシカスポーツがあって、家から5分の場所だった。思い立ったらすぐ店に行けたのも気軽に始めちゃった理由かも知れない。
結局その時の仲間とは15年近くに渡り沢山の山に行くことになった。数年前にリーダーが仙台に帰ってからは一緒の行動が難しくなり最近はあんまり行っていない。新しい仲間も探したけどなかなか難しく、とはいえハイシーズンにソロで行くのは危ないので、GWに月山、鳥海、八甲田とかに遠征するくらいになっている。去年の連休後に長く乗っていたレガシィが本格的に故障して車を手放しちゃったから今年は行くかどうかも分からない。今シーズンは板のチューニングも出していないし。行きたくなれば行くという感じ。
山スキーを通しては沢山の学びがあった。結局山での修行をずっと行っていたような側面もある。登りはきついし下りでも快適に滑走できる事は少ない。登っている最中は汗だく、止まると寒い、ホワイトアウトで上下が分からなくなって転倒しまくる、雪が深すぎてその先の尾根が越えられないとかいろいろあった。そもそも初心者でいきなりテレマークスキーとか意味のわからない始め方をしてしまったから、山では5億回くらい転倒している。だるまさんがころんだ状態が何年も続いた。体が頑丈なだけが取り柄で頑張っていたら下手なりにコケずに降りることは出来るようになった。白馬とか谷川とかガイド本では上級者向けみたいになってる所も色々行ったので、それなりにやってきたのかと思う。
一番の思い出は、リーダーと最後に行った湯殿山だ。月山から入って湯殿山に降りた後、御秘所とよばれる御神体巡拝をした。裸足になって進み、人形をフッと飛ばすんだけど、自分の人形は宙に舞った後、下から風に吹かれるみたいに2度、3度と舞い上がって御神体の一番上のところにピタってくっついたんだ。なんか我々の修行の旅の終わりにご褒美をいただいたような気がして嬉しかった。
全然話変わるけど、ゲレンデの圧雪バーンを滑っている時って足元を気にする必要がほとんど無いので下手でも上手く滑ってんじゃね、と勘違いが出来る。だけど自然の斜面を滑るとなるとそうは行かないので下手なやつはだるまさんが転んだ状態になる。自分がそれを脱したきっかけは斜面に主導権を取られてはいけないという事に気が付いた時から。どんな斜面でも雪面を見ちゃってそっち側に飲まれた瞬間に失敗する。逆にどんな条件でも自分の体が安定する形は絶対に崩さない、自分が主導権を握るのだと頭を切り替えるようになったら、結構どんな場所でも降りられるようになった。
これって日常生活、仕事においても全く同じ教えになっていて、向こう側に主導権は渡さない(協業しない訳じゃない)という事は非常に大事だ。他責にしないということ。これをすると自分が貢献出来る事も増えるし人からも信用されるようになる。自分はそういうことを山での活動を通して理解できた。
山は自然であるわけだけど、実は街に住んでいる我々も同じルールの元に生活をしている。そこに境は無い。街に居るから山の話なんて知らねーよとは行かないのだ。それが分かる前と分かった後では自分は随分と成長出来たと思う。あの時俺に「ブーツ買っとけ。」と言ってくれた同僚には感謝してる。
仲間との山の旅路は一旦終わった気がするけど、まだ人生続くので次のチャレンジを探してがっつり楽しく行きたい。
そんな感じで。
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