![]() |
加藤文太郎さんは単独だったら
遭難せずに済んだのか?
読み終わってなお
「孤高の人」から抜けられずいた
文太郎さんの最後が
あまりにも淋しかったから
この小説に影響を受けた方も多いし
私にとっても
初めての山の本であり
山岳小説にハマって
新田次郎のファンになっている
加藤文太郎さんという
実在の人物像を浮き彫りにさせるために
考えられたであろう
ドキュメンタリと勘違いさせてしまうほどの
構想力 筆の力に
新田次郎氏の小説家としての
凄さを感じる
***
「孤高の人」
常に用意周到な計画
恵まれた運動能力に
日頃の鍛練を重ね
当時の常識では
考えられないような
冬山の縦走を
次々に単独で成功させた人
判断力には無理がなく
危険回避も的確であった
遭難したのは
宮村健(パートナー)に
引きずられて
的確な危険回避ができなかったため
********
小説に感動して
加藤文太郎を単独行に向いてる人
パーティを組んだから遭難した
そう考えた方の中には
準備計画をしっかりして
装備も揃え技術力も向上させれば
自分も単独行に向いてると
思われた方が
いらっしゃるのではないでしょうか?
******
事実と小説
昭和8年の暮れから9年お正月にかけての
冬山への挑戦は
実際には7年春 3月末の連休に行われたもの
雪屁を抜いての滑落10〜15メートルは
実際には4メートル登り返すと記録あり
1057のピーク朝食後 2食分残りあり
事実 朝食で食料なくなる
実際の昭和9年正月の登山は
「ブナ小屋滞在」で引き返し 登頂断念
そして
その年の第一目標だった
前穂高北尾根から奥穂高の縦走が
小説では抜けている
(遭難の時に初めてここを縦走し
パーティを組んだことになっている)
別の文献からの引用
文太郎さんの言葉
「山の恐ろしい力が誘惑する
それは前穂高の北尾根と北鎌尾根なので
一人では不安だ 吉田君(宮村健)は
恐ろしく山に情熱を持っていて
山での死を少しも恐れていない
その上 岩登りが上手い
私は吉田君を誘惑してしまった」
この時の縦走で吉田富久氏は(宮村健)
手を凍傷してしまった
この記録は
パートナーを誘ったのは文太郎さんの方が
先であったことを物語っている
私自身
小説を読んで架空の(宮村健)に
よくない感情をもった
現在、宮村健=吉田富久氏と
勘違いされて
ご遺族の方が辛い気持ちでいらっしゃるそうです
山を愛する私達は
小説から受ける感動と共に
文太郎さんとパーティを組んだ
もう一人の「孤高の人」を
温かい気持ちで想うことができたらなと
思いました
最後に
文太郎さんも
危険な場所ではパートナーの必要性を
認めていたということも
忘れないようにしたいと思います
こんばんは。
はじめまして。
私も昨年「孤高の人」を読み、色々と考えさせられました。
最後、瀕死の状態での山行にハラハラしていましたけれども、失恋を忘れたい宮村健のわがままに巻き込まれた結果だと思いました。
強引に北鎌に行こうと巻き込む描写には通勤の電車の中で読んでいても、宮村健の態度に腹が立ってきました。
…、しかし、強行と知っていながら同行してしまう文太郎にも考えさせられました。
新婚の文太郎なのに不安要素を感じながらどうして同行したのか…? と、疑問も残ります。(真実は知りませんが…)
私だったら、少しでも不安なことがあったら迷わず帰るのになぁ…。
onebitiousさん 初めまして♪
「孤高の人」を初めて読んだ時の
感想は全く同じで同感です
あれだけの人が何故パートナーに引きずられて止める事が出来なかったのか?
不思議ですよね(^-^)
二人とも亡くなっているので
新田次郎氏の想像でしかない訳です
いろいろ調べたら
二人の発見場所も事実とは違っていました
「単独行」という谷さんの本の方が
遺族の方に認められていてドキュメンタリに近いと思います
宮村健という架空の人物は
吉田富久氏だと勘違いされていますが
別人です
実際上のパートナーだった吉田さんは
小説のイメージとは少し違って
文太郎さんの方から
パートナーを頼み
文太郎さんの目標であった北鎌尾根縦走を
遭難前に試みています
単独行の文太郎さんのイメージを
際立たせるために
意図的に作中から削除されています
発表当時 宮村健さんと同一視された
吉田富久氏のご遺族の方に非難が集まり
大変だったようですね
吉田氏のことを調べたらとても気の毒に
思えました
未だに勘違いが続いていて
身内だったと言えない思いをされています
私が「孤高の人」事実と小説を日記に
したのも
新田次郎氏の小説家としての
想像力の凄さを知って頂きたいからです
最後の遭難の縦走は
数少ない資料を元に文太郎さんの遭難を
ドラマチックに仕上げたものだったようですね(^-^)
コメントありがとうございました!
この前の富士山遭難もザイルを結んでたために起きた事故でしたね、
だからといってパートナーが落ちていくのを黙って見ているだのも辛いだろうし、
一番は無理をしない事ですね。諦め引き返す勇気です。
kideki さん こんばんは
その通りですね♪同感です(^-^)
少しでも不安や異常が感じられたら
絶対に無理してはダメですね!
自分だけでなく
パーティであっても安全の第一原則として
無茶な人に引きずられないように
しないといけませんね♪
コメントありがとうございました!
こんばんは。
そうなんですよね。孤高の人は小説としてあまりにも完成度が高いためにそのまま人物伝として捉えてしまう危うい魅力がありますよね。
輪郭を際立たせるために加藤文太郎をトコトン純粋な孤高の人にしていますよね。
とはいえこの小説は大変面白いです。
odensoba さん こんばんは♪
皆さんの日記の紹介で興味を持って
「孤高の人」から新田次郎さんの作品
読み始めたのに感想は今頃になりました
最後の遭難の発見場所が事実と違ってるのが不思議だったの
推理小説の謎解きしてるみたいで
いろいろ調べるのも勉強になりました!
改めて
新田次郎氏の凄さを実感しています
事実がわかっても素晴らしい作品ですね♪
コメントありがとうございました(*^▽^*)
itigoさん、初めまして、bergheil(ベルクハイル)と言います。
私が約30年前に山登りを始めたころに、「お前は新田次郎の孤高の人のような感じだな」、とある人に言われ、「孤高の人」を読みましたが、特に最後のあたり、なんだかドロドロした雰囲気があって、いやな後味が残りました。それ以来、新田次郎の本はほとんど読んでません。
加藤文太郎のことを知るには、文太郎自身の唯一の著作「単独行」と、谷甲州氏の作品『「単独行者」 新・加藤文太郎伝』をお勧めします。
谷氏は作家であるとともに登山家でもありますが、新田次郎の著作に違和感を感じ、あらたな文太郎像を作るために、書き下ろしたものだ、とのことです。
両著作を読めば、文太郎に対する印象がだいぶ変わってくると思います。
bergheil さん 初めまして♪
同じ事を思われたのですね(^-^)
最後の部分は演出し過ぎ!
台詞も好きになれずに(宮村健=吉田富久氏)と目されている
吉田氏について調べたら
本の内容と全然違ってました
「単独行」と「単独行者」の本の内容も
参考にして
文太郎さんの人柄も随分役作りされてた事が分かりました。
さらに
宮村健と同一視されたために
遺族の方や故人となった吉田富久氏の
名誉まで貶められていることを知り
「孤高の人」は小説で
内容は事実でないことをせめて
ヤマレコの皆さんには知って欲しくて
日記にしました。
筆の力は怖いですね
一人の人間の名前を高め、栄誉を与え
別の人を奈落の底に落としてしまった。
新田次郎の一番の失敗作かもしれません
舞台の台本としては評価しています
(最後の遭難部分以外ですが)
その後「聖職の碑」では徹底的に
調査をしているので後味は良かったです
コメントありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたします(^-^)
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する