先日、土山峠から辺室山、大山三峰を登り、不動尻に降りました。この領域は信仰と関係があるのだろう、僧侶の修業と関係したのであろう、と漠然と思っていたものの、Wikipediaを見てもさして情報は得られませんでした。ヤマケイアルペンガイド丹沢(三宅 岳著)を読んでみると「明治時代より前にさかんであった八菅修験(はすげしゅげん)では、この辺室山も行場のひとつに数えられていた。修験者はさらに大山三峰から唐沢峠へとむかったようである」とある。八菅修験がよくわからないのですが、そもそも修験(道)とは「古代日本において山岳信仰に仏教(密教)や道教(九字切り)等の要素が混ざりながら成立した、日本独自の宗教・信仰形態。山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的とする。(中略)修験道の実践者を修験者または山伏という。」で、八菅神社というのは「中世に遡る関東でも有数の修験道の霊場」だそうです。ハ菅神社とは神奈川県愛甲郡相川町に今もある神社ということになります。そして1291年に最古の資料として、「熊野長床衆が峯入り修行をした巨大な碑伝」が神社内にあるとのことです。さて、その八菅修験の30ある行の順序として、1番のハ菅神社から始まり、8番目に仏果山をたどり、15番目に辺室山、17-20番目に大山三峰を通り、21番目に唐沢峠、24番目に大釜弁財天をまわり29番目に大山に登り、その後最後の30番に向かう順序が閲覧できるサイトがありました
(https://www3.hp-ez.com/hp/magoemu/page36。)
ヤマレコユーザーの方にも、これらをめぐる山行をしている方もいるようです。なお八菅修験は最後には「慶應4年/明治元年の神仏判然令で、神仏分離が行われ、さらには廃仏毀釈によって、神仏習合の修験は解体され、明治以降は郷社八菅神社となった。」とあります。辺室山、大山三峰はそういうところだったと、下りてから知りました。
その他参照したもの
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%8F%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%8F%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://www.bing.com/search?q=%E4%BF%AE%E9%A8%93&form=ANNTH1&refig=965b6ed85b5541a28b1e6de18212ac98
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