初日は上高地から西穂山荘まで。
帝国ホテル前でバスを下車して歩いた方が早いのだが、上高地に来たのも久しぶりなので終点まで乗り、河童橋に寄ってみた。
河童橋の周辺には大勢の観光客がいた。
この河童橋と穂高の組み合わせはいつ見ても絵になる。穂高はうっすらと雪化粧しており、明日登る予定の焼岳も雪が付いている。
西穂山荘のホームページに雪が降ったと載っていたので念のため6本爪のアイゼンを持参したが、大丈夫かなとちょっと心配になった。
河童橋を渡って梓川右岸の遊歩道を下流へと歩き、西穂山荘への道を登りにかかる。
登っている時は汗ばむが、休憩すると冷たい風に身体が冷えて来る。途中で雨具を着込んだ。
のんびり登って上高地から3時間弱で西穂山荘に着いた。ここに泊まるのも30年ぶりだ。
コロナ禍で値上がりした宿泊費は懐に響くが、山荘の女性スタッフは親切で食事も美味しく、居心地の良い山荘だった。
夜の冷え込みは厳しかったが、素晴らしい満天の星空が眺められた。
翌朝、山荘でゆっくりと温かい朝食を食べてから出発。
来た道を10分ほど戻り、新中尾峠に至る道に入る。薄く積もった雪に2人の足跡があったが、20分ほど進んだ所で消えてしまった。
同一人物の足跡だったらしく、ここから引き返したようだ。
地味な樹林帯の尾根道が続く。ぬかるみが多いと聞いていたが、夜間の冷え込みでバリバリに凍っていたので難なく歩けるのは良かった。
2重山稜になっている所もあり、途中では小さな池を二つ見る。いささか退屈になるような道だが、たまに視界が開けて笠ヶ岳が見える場所もある。
西穂山荘から3時間弱で新中尾峠に着いた。ここにはシーズンオフで閉鎖された焼岳小屋がある。
ここから新穂高温泉側に下る道は工事中で閉鎖、反対側の上高地側に下る道も10月21日で登山道のハシゴが撤去されて閉鎖された。
もうここまで来たら予定通り、焼岳を越えて中の湯に下るしかない。さもなくば往路を西穂山荘まで戻り、上高地かロープウェイで新穂高温泉へ下る事になる。
さて、ここからはいよいよ焼岳の登りにかかる。
念のためスパッツを付け、アイゼンもすぐに付けられるように準備する。
小さなコブに着くと視界が開け、頭上に焼岳が聳える。凄い迫力で所々から蒸気を上げている。自分のテンションも上がって来た。
一歩一歩高度を上げていくと、道は北峰の基部を左へと巻きながら登るようになる。
雪が若干増えて道が分かりにくくなり、目印を探しながらゆっくり登って行く。
幸いにも凍結しているような場所もなく、アイゼンの出番はなさそうだ。振り返ると穂高の眺めが素晴らしい。高度感も凄い。
あと10分ぐらいで稜線に出ると思われる所で、雪の上に突然足跡が現れた。
思うに恐らくは焼岳から新中尾峠へ下るつもりが、雪で道が分かりにくかった為に、あきらめてここから戻った人がいたようだ。
稜線に出るとこの日初めて登山者に出会った。南側斜面には予想通り雪はなく、中の湯から登って来る人も見える。
ここから5分ほど登れば待望の焼岳北峰の頂上だ。
頂上は360度の視界が開けた素晴らしい展望台だった。
槍、穂高、梓川対岸には六百山と霞沢岳、乗鞍岳、笠ヶ岳、そして遠く白山。
コンデジで写真を撮っていると、70歳ぐらいかなと思われる人から声をかけられた。
その人は乗鞍岳の左側に見える山を指さし、
「あの山は何という山か分かりますか?どうも方向オンチなもので…」
「うーん、恐らく木曽駒ヶ岳だと思いますけど」
と、エアリアマップを広げた私。
するとその人は
「私も木曽駒ヶ岳だと思うんですよね。2週間前に登りました」
と笑顔で答える。
頂上にいる他の人たちもみんな笑顔で山座同定を楽しんでいる。
私もこれでやっと焼岳から日本海側の親不知まで赤線が繋がった。ずいぶん時間がかかったけれど、これでようやく一つの目標が達成出来て嬉しかった。
充分に眺めを楽しんでから、満ち足りた思いで中の湯へと下る。
中の湯ではバス停に着いてからわずか10分後に新島々行きのバスが来るという運の良さ。
終わり良ければすべて良しの楽しかった山歩きだった。
左の画像 焼岳北峰からの穂高
中央の画像 新中尾峠付近から見た焼岳
右の画像 上高地の河童橋と穂高
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