増えすぎた鹿から植生を守るために、高さ2mぐらいの金網で囲われた領域が数多く管理されていました。
金網の中は様々な植物がのびのびと育っていてとても賑やかです。
更に、金網毎の植物も微妙に異なっています。
草だらけの柵もあればスズタケが生い茂った柵もあります。
しかし、柵の外のこちら側はまるで芝刈り機で草刈をしたかのようなさっぱりとした状態です。
青くて硬そうな、鹿も食べない様な草だけが悠々と生えています。
もし、鹿が適正な数だったら柵の中の様な鬱蒼とした森だったり藪だったのでしょう。
そういえば蛭ケ岳手前の岩場だけ色とりどりな花が咲いていました。
足場が悪い所なので鹿が近づけなかったのでしょう。
仮に本来の鬱蒼とした植生状態ならば、蝶や蜂などの昆虫が盛んに活動したでしょう。
葉っぱを食べに幼虫もやってくるでしょう。
虫がいれば鳥がやってきます。
地中ではそれぞれの植物に相性の良い微生物とか菌が生息できたでしょう。
菌の活動が活発になれば土壌の養分が豊かになって、樹木は更に元気になれるでしょう。
首都圏の山を歩いて感じる事は樹木がとても弱っている、という事です。
幹の途中からぽっきり折れてしまったり、根こそぎ倒れてしまったり、
何百年と暮らしてきた樹木が簡単に倒れてしまっています。
異常気象の影響があるかもしれません。
でも、一番大きいのはやはり植生が失われてしまった事ではないでしょうか。
三又で出会った、主の様な方は、スズタケがすっかり無くなってしまって山が崩壊するようになってしまった、と言っていました。
スズタケの強力な根が地盤を固めていれば崩落も無いのかもしれません。
あまりにも難しい現状ですが、かつての豊かな山に戻って欲しいと強く願っています。
写真1 柵で守られた植物たちの楽園
写真2 一見愛らしいのだが…
写真3 まだ元気だった頃のタワ尾根のミズナラの木
はじめまして。
一昨年30数年ぶりに大倉尾根を歩いて、木道の多さと土の流失に驚かされました。
私の記憶では道の周囲は笹が生い茂る粘土質でビブラムソールでも滑るような土の登山道だったはずです。
ガレ場やザレ場は記憶に有りません。
たった30年で山は変わるのですね。
蛭ヶ岳まで足を伸ばしたらようやく昔の丹沢を感じられました。
早く昔の植生を取り戻してほしいものです。
コメントありがとうございます。
そうですか、笹が生い茂っていましたか。
手持ちの地図は発行=1988と書いてあるので、私が歩いたのは25年前ぐらいでしょうか。
ところが、景色あんまり覚えていないんですよね
登山道は今よりずっと地味だった気がします。
丹沢山から蛭ケ岳にかけては花たくさん咲いてたんでしょうかねぇ。
hirogodspeed さんは高校生で山岳部ですか。
若い時に正しい登山を経験されて、羨ましいです。
kIhA58様RESありがとうございます。
私は10代で登山を初めて10代でやめてしまいました。今さら後悔しても意味はないので50の体にムチ打って歩くしか有りません。
当時の山岳部は極地法登山の真似事と根性主義で水も少ししか支給されず大学山岳部などでは死人まで出ていたようです。
山…辛いものという考えしか持てませんでした。
おまけに高校だから冬山も禁止ですから基本夏山の集団的登山しか身に付かずなんとも中途半端に終わりましたね。
多くの先輩や同期は卒業と同時に山を去りました。
山岳部という組織的背景を失った結果、山を継続出来なかったのでしょう。
今は、ささやかながら単独行の自由を満喫しております。
自然豊かな丹沢の復活を願いたいものです。
なるほど、当事者にしか解らないいろいろなご事情があるんですねぇ。
単独って企画立案実行判断全部担当するので楽しいですね。
同じ山でも若い頃と感じる世界が違うので不思議なものです。
中高年登山楽しみましょう
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