中長期の目標として、多摩川分水嶺踏破を掲げてみました。青梅駅から高尾駅まで、全行程の距離を調べてみると、計141.3km。ハセツネ2回分?そんなもんなの?なんだか短いなぁ....。
でもそれ位なのかも知れないと思います。機会が有ればもう一度計って見ることにして....。
現時点では、そのうちの66.7kmが踏破済み。約47%です。雲取山-笠取山-大菩薩嶺間が結構山奥なので困難そう。日帰りじゃ無理っぽいので、サンデーハイカーとしては辛いところ。その他はおいおい行くとしても、やっぱり16:30に日が暮れちゃう秋冬は、ちょっと長目のコースは辛いなぁ。長沢背稜も上手く繋がないと....。
ぼちぼちやるかぁ。
こんにちは
またまたa_tomさんのマイマップを全ルートの表示で
拝見させていただきました。
凄いのはもちろんですが、見ていてとても楽しいいです
更にここから多摩川分水嶺が増えると・・・
記録を参考にさせていただいて
いつか高尾から雲取山に行ってみたいと思います。
そろそろ奥多摩のシーズンになってきたので
またどこかの山でお会い?できたら良いな
と思っております。(うまく昼時でホエブスも見られたら嬉しいです 笑)
to4さんこんにちは。
下廊下はどうでしたか?私は吉村昭氏の小説、「高熱隧道」で知るのみの世界ですが、チャンスがあれば、行って見たいコースであります。やっぱり現地を歩いて見て経験するのと、文章で読むだけではずいぶん異なりますので。泊まられた阿曾原谷は、ホウ雪崩で宿舎が山を越えてとばされ、多くの方が亡くなった所だそうです。どんなところか、大変興味有りです。宿舎はどのような峰を越えて吹っ飛ばされたのか????、建物を峰を越えて吹っ飛ばす自然の驚異とは????。日電歩道もダム建設の資材運搬のために岩壁をコの字型にくりぬいた所で、登山道としてはともかく、どんなところを資材を担いでボッカしたのか?興味は尽きないです。(百キロ近い荷物を担いで登ったり、十メートル以上の鉄骨を担いで登ったりしたそうな。信じられます?)
今、江戸時代の旅人にチャレンジしてみようかな?って思ってます。多摩川分水嶺ではないですが、甲州裏街道、大菩薩登山口から丹波村まで、大菩薩峠を越えて、昔の青梅街道を行ってみようかと。甲州裏街道では間違いなく、ここが最大の難所で、越えるのに苦労したはず。当時山中に宿を取れたとも思いがたいので、当時の旅人よろしく、1日で越えてみようかと思ってます。インターネット上で、江戸時代の山越え記録が無いか、検索中です。このような歴史のある道は、先人の足跡を辿りながら行くのも、私の楽しみの一つです。(と言う意味で、黒川鶏冠山の、武田金鉱山も興味あったりします。こっちは、めちゃくちゃアプローチが長いので、日帰りじゃぁ無理っぽいんですけれど...。)
下ノ廊下は素晴らしいところでした。
残念ながら高熱隋道を読むことなく行ってしまいました・・・
帰ってきてからネット等で当時の事を調べました、知ってから行った方が良かったのか
知らない方が良かったのか・・・(知っていたら純粋に景色を楽しめたのか?)
ですが次に行く時は、高熱隋道を読んだ後に行きたいと思います(既にアマゾンにて発注)
そして、色々な歴史の上に成り立っている事を感じながら歩いてみたいと思います。
黒部と言う名前の由来については調べて行きました
名前の由来の一つにアイヌ語で「魔の川」と言う意味があるそうです(ご存知かも知れませんね・・・)
入山OKの時期なので魔の川を感じる事はありませんでしたが、過去から現在までも
過酷な場所だと想像はしていました。
余談ですが地名は歴史のヒントだと思っているので市町村合併、開発による地名の
変更には凄く反対です(これも本の受け売りですが・・・)
雪崩で鉄筋の建物が吹っ飛ぶとは想像は全くできません・・・
もちろんあの水平歩道を、鉄骨や重機を担いで歩くなど想像を絶します
水平歩道と字で書くと楽しげですが綱渡りに近い?と思います。
仙人ダムの施設内のトンネルは32度ありました、高熱ではありませんが
すごく暑くて湿気も多く蒸し風呂のようでした
この中で作業をするのはかなり過酷だとは想像できました。
私も歴史が好きなので( 広く薄くですが・・・) 山に行く前、または行った後に
現地の歴史を調べて楽しんでいます。
江戸時代の旅人チャレンジも楽しそうですね・・・
実際に歩いて当時を感じるのは、ただ歩くのではなく
一度で二度楽しめそうですね、大変そうですが・・・
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