八幡平の西、秋田県の二等三角点「焼山」の点の記(坂本鍵吉陸地測量手。明治41年、1908年)の備考から。
「本點附近ハ硫黄火山脈ニシテ、到ル処蒸気及瓦斯ヲ噴出シ、観測ノトキハ経緯儀ノ輪郭部ヲ硫化セシムルノ慮アルヲ以テ注意ヲ要ス。又、処々最モ怖ベキ毒瓦斯ヲ噴出セシムルヲ以テ、附近ニ至ルトキハ、必ズ最モ地形ヲ熟知セル案内者ヲ使用スベシ。飲料水モ附近ハ有毒水アルヲ以テ注意スヘシ。」
火山の恐ろしさは現代の御岳噴火でも思い知らされましたが、噴火だけではないですね。硫化水素ガスでも噴出している所があったのでしょうか?。観測機材は当時の最先端精密機材だったのでしょうから、火山性ガスによる腐食を恐れていたようです。水もおいそれとは手に入らない。飲料水入手欄には「此附近徯流数多アルモ皆酸味アルヲ以テ飲料ニ堪ズ。」と記載されています。観測に支障の生じる”障碍樹木の有無”欄は「ナシ」の一言でオシマイ。草木も生えぬ…だったんでしょうか?。そういった所に何日か留まって三角点の設置・観測しなければならないのですから、これ又大変だったのでしょう。自然を相手に格闘する測量官の苦労の一面が知れる点の記です。
順路記載は
「鹿角郡花輪町ヨリ仝郡宮川村字坂比平(サカビダイ)ニ至ル四里、道路平坦。仝所ヨリ秋田縣仙北郡鹿ノ湯温泉ニ至ル山路ヲ登ルコト約四里、焼山頂上ニ達ス。仝山頂ヲ南方ニ登ルコト約三丁余ニシテ達ス。山路急坂ナルモ測站迄道路アリ。本点観測及造標ノトキハ仙北郡田沢村大字玉川ヨリ登リシモ、山路ハ鹿角郡ヨリ登ル良トス。」
です。鹿ノ湯温泉というのは現在の玉川温泉を指すそうです。明治の五万図を見ていないのでなんとも言いがたいですが、今の国道341号線ではなく、銭川温泉辺りから焼山を越えて玉川温泉に至る道があったようですね。どうも名残峠の北のピークを山頂と見なしている書きっぷりなので、地熱発電所の辺りから登ったのでしょうか?。ヤマレコでは玉川温泉、後生掛温泉からのトレースが多いようで、点ノ記に登り安いと書かれた北側からのトレースはそれら程多くはないようです。ヤマレコの記録を幾つか拝見するに、今の方が火山活動はおとなしい感じがします。
この点の記は国土地理院のHPから「基準点成果閲覧サービス」に行けば読めます。
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