元はヤマレコでGPSナビ登山談義を読んでいたのが始まり。当然の如く、地図派の意見が出る訳ですが、その時ふと「登山には地図を持って行く」という常識はいつからなんだろう?と思った事がきっかけ。それから明治・大正期の五万分の一地形図全国整備事業に興味をもち、調べ始めました。地図が無ければ持っては行けませんからね。そんな常識は成り立ちません。登山ユースに耐えうる本邦最初の日本全図は、陸地測量部作成の五万分の一地形図です。
小生が寡聞な為か、一般向けにこの製作過程を紹介した書物はそれ程見かけません。伊能図は一杯ありますけれど……。でも、普通に使っている地図の直接的御先祖様は、大抵この事業に行き着く筈。諸先輩を始め、地図を片手に山中を逍遙出来るのは、この事業の成果とその継承・発展のおかげ。この事業が現代日本に与えた影響は計り知れないものがあるでしょう。ですがその製作過程は断片的にしか紹介されていないようです。実際はどんな様子だったのか?。航空測量は思いもよらず、自動車も一般的ではなく、現地を足で訪れて直接目で見て測量するしかない時代です。地道な大事業で色々な事があった筈。
色々調べ始め、国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」から、全国の三角点の点の記が読める事を知りました。チョイと操作をすればサーバー上に登録されている過去版も読めます。この事業に従事し、全国を跋渉した測量官の書き残した一次資料が読める訳です。読んで見ると、興味深い事が書かれている三角点もあって面白い。順路記載からどう登って行ったのかを地図で追ってあれこれ想像するのも楽しい。その地域の点の記を網羅的に読むと、明治の地域の様子がそれとなく漂って来るようでなかなか興味深い。今から百年以上前の小さなヤマレコ。なんと言っても、かなりの三角点峰において、信頼し得る最古の登頂記録です。
これを全点読み解いて記載内容で検索可能なデーターベースに仕立て、それを用いて全体を俯瞰して整理し、この事業の再構築を試みると面白いかもしれない。断片を見ているだけでは解らない、見えて来るものが有りそうに思えます。そのような事を試みた人はいない様子。ならばやってみる価値がある。将にBecause it is thereです。そう思って片っ端から読み解き始めて五年程になります。
元は明治・大正の手書き文書をスキャンしたPDF。最初は悪戦苦闘。旧漢字や旧仮名遣いは当然。俗字や今ではまずお目にかかれない省略表記、測量官固有の癖字や当て字(誤字も)、消し込み線で消された横に小さく書かれた訂正、薄く書かれた上からなぞったのか、文字が二重に見えるPDF、などなど「読めね〜〜〜〜〜〜」と唸ることしばし。それでも、門前の小僧習わぬなんとやらで、続ける内に、ショボショボしていた目も馴染み、幾つも同様の事例が重なれば、こう読むのか!と推察も付き、関連情報の検索先も見つけ出して、段々読めるようになって来ました。今は「読めね〜」位。
概ね昭和20年代以前の点の記(縦書きのもの)を対象にしましたが、一等点は複数の版がある三角点が多く、何通も読むハメになって大変(記載内容が大して違わない版は対象外にしましたが…)。なんとか一二等点は合わせて約5900点済で略完了。三等点約8600点済、計14500点程済みました。全一〜三等点の1/3は終わった計算になります。三等点があと22300点程残っていますが、そろそろ本格的なデーターベースソフトに取り込む準備を始めるか…というところ。ナカナカ忙しくて山に登ってるヒマがない。コロナ籠もりは集中して取り組む良いチャンス(苦笑)。
こりゃリタイヤ後に取り組む良い課題を見つけました。何が出来上って何が解るのか、未だやっている本人にもシカとは解りませんが、ゴール目指して頑張ります。って、ゴールがどこだかもまだ良く解りませんが、取りあえずはゴールがある事をお祈り中。
以下、今までに読んだ点ノ記から、ホウと思った記載をボチボチ紹介して見たいと思います。
P.S.
結構難読なので、誤読があり得る事はご承知おきください。ハッキリ言っちゃえば、読解したというよりは推定したと言った方が良い部分もあります。従って一連の書き込みはあくまで私の読解結果で、元の点ノ記の記載の通りである保証はありません。引用元の点ノ記は明記しますので、興味のある方はご自身でご確認下さい。「基準点成果等閲覧サービス」での古い点の記の閲覧方法は、私のヤマノートをご覧ください。又、国土地理院の地方測量部でも閲覧可能です。
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