雷様に狙われた(?)覘標の話が出たので、ちょっと脱線。覘標の高さの話。
一二等点の点の記には、覘標の高さ欄があります。当時建てた覘標の高さは20m越えもあったとか言われていますが、もっと高い覘標の記録があります。私の読んだ限りでは、最も高い覘標は、
二等三角点、大正台(北海道帯広市)
・覘標 構造法:覘板附懸柱式高覘標(机板高(柱石上面上)三○米二四)
・覘標 覘標ノ高サ:柱石上面ヨリ覘板上縁迠四貳米○一(覘板錐体頂間四米五七、錐体頂机板間七米二○)
です。建てたのは大正四年。測量官名は記載されていません。覘板というのは錐体頂の下だと思ってましたが、この点の記を見るに上から覘板上縁 - 錐体頂 - 机板のようです(42.01m - 4.57m - 7.20m = 30.24mになって机板高と合います。錐体の上に柱を建て、覘板を付けたのでしょうか?)。それでもてっぺんまで42m。錐体頂まででも37.44m。経緯儀を置いた机板までは30.24m。敷地面積は36坪(約11m四方)。覘標の材料調達明細が尋常ではない細かさで大量に書かれています(当然、木造です)。実際に一からこの高さの覘標を建てたのだと思います。建築には詳しくないのですけれど、一階当り4.2mの高さとすれば、10階建てのビル位の高さでしょうか。関東大震災で倒壊した凌雲閣(いわゆる浅草12階)が52mだったそうです。
20m超の覘標というのは、遠望の効かない平野部ではしばしば見かけます。30m超は稀です(整理していないのでハッキリ言えませんが、全部で片手程度だと思います。両手は無いと思います)。40m超は大正台しか見当たりません(錐体頂や机板高で見てもNo1です)。当時、現地附近にそのような高所で作業が出来る職人が居たとは思えませんが、素人普請で40mが建てられたとも思えません。風が吹けば揺れるようなヤワな造りでは測量にならないでしょう。クレーン車なんて使える筈もありません。どうやって建てたのでしょう?。(尚、覘標高の記載のない点の記もありますので、もっと高い覘標があった可能性は残ります。まぁ、態々記入欄があるのに、そんなに高い覘標を建てながら、何も書かないって事はないと思いますが。)
測量作業中に覘標の上から落ちて亡くなった作業者(回照夫)もいたそうです。10m落ちれば命に関わる事もあるでしょう。20mなら即死も考えられます。大正台では、経緯儀は30mの机板上に置いた筈。そこで観測していた訳です。少し考えればわかる話ながら思いつきませんでしたが、高い覘標では転落の危険もあったのですね。高所恐怖症の人は測量官にはなれなかったでしょう。
なお、「陸地測量部写真帖」には立木4(3?)本の上に足場を作り、その上に建てた三等三角点覘標の写真が載っています。地面からの覘標高33mだそうです。立木上の足場までが3/4位を占め、上の覘標はオマケにしか見えません。北海道苫小牧地区の三等点だそうですが、北海道の三等点はまだ手を付けていないので、どの三等点かは解りません。ここも地上30m位で測量していたハズです。普通、三等点の点の記には覘標高を書かないので、備考欄に何か書いていてくれればよいのですが。まぁボチボチ読み進めて探してみます。
当時、北海道は、原生林が多く残り覘標を高くしないと視通確保の伐採が滅茶苦茶大変になる、材料の材木も比較的豊富だった、内地測量の最終段階で覘標構築の経験も豊富だった等の理由によると思いますが、比較的高い覘標が多かったようです。逆に島嶼部では、特に火山島など岩石島では材木に乏しいですから、海送するしかなく、一等点でも5、6m程度の覘標に留まったようです。まぁ、周囲に視通障碍木も無いのですから、それで充分間に合ったのでしょうけれど。山岳地域では土台が高いので、高い覘標は必要なく、5~10m位が殆ど。20m超なんて見当たりません。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する