「千里を行きて畏(おそ)れなきは、無人の地を行けばなり。」[テキストは銀雀山漢簡孫子に基づく]
『孫子』虚実篇第六より。
『孫子』という書物は、三国志で有名な魏の曹操(そうそう)が編集して注釈を付けたテキストが、一千八百年近く正本として伝えられてきた。一九七〇年代になって、中国の古代墓から『孫子』の非常に古い写本が発掘された。その墓の推定年代はおよそ二千百年前(前漢代中期)と考えられていて、現在はこの「銀雀山漢簡孫子」が曹操よりも古い時代のテキストであるとして、研究者の間ではより尊重されている。上は「銀雀山漢簡孫子」のテキストである。曹操以来のテキストでは、「畏」の字が「労(勞)」であって、「千里を行きて労(つか)れざるは、、」となっている。
ここで説かれるのは、指揮官が軍隊を戦場まで連れて行くときの心得である。優れた指揮官は、軍隊が行軍するのために二つのことを行う。一つは、戦略的に有利な地点を見抜いて、そこに自軍を敵軍よりも先んじて連れて行くこと。二つは、その選んだ地点に軍隊が無傷で到達できるように手を尽くすこと。
どんなに指揮官の戦略眼が天才的であったとしても、軍隊が戦場に着くまでの旅程で消耗してしまえば戦えない。食糧が足りない。沼沢地や断崖があってなかなか進めない。寒気で凍傷となる。伏兵がいて襲われる。このようなことがあれば、兵は危難に会う「畏(おそ)」れがあり、たとえたどり着いたとしても「労(つか)」れて消耗してしまい、指揮官の思惑どおりの勝利はおぼつかなくなるであろう。優れた指揮官は、遠くの戦場での作戦を設定しても、無人の地を行かせるように軍隊を運ぶものだ。安全な道を調査して、土地に詳しい案内役を選び、伏兵を避け、行軍のペースを最適に調整する。孫子の兵法はこのように言うが、現実の戦史では名将といえども兵卒を生死ギリギリまで酷使して行軍させるものであった。
軍隊の行軍では、戦場までの移動はできるだけ楽をすることがベストである。いっぽう山登りでは、長距離の行軍で体力の限界に挑むことも目的の一つとなる。なので、山登りでは疲れることを避けるべきだとは言えない。しかし道をよく調べていなかったために迷って消耗したり、使える交通機関を使わず長すぎる路程を設定してパーティメンバーの体力を超えてしまったりすることは、調査の不足、計画のミスだといえるのではないだろうか。それは、山登りであっても避けるべき畏れと疲れではないだろうか。
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