「およそ用兵の法は、国を全(まっと)うするを上となし、国を破るはこれに次ぐ。」
『孫子』謀攻篇第三より。
近年の研究では、兵法の書『孫子』は老荘思想の書『老子』に大きな思想的影響を与えていると考えられるようになっている。戦争の書がどうして無為自然の思想書と関係があるのか、と一見疑問に持つかもしれない。しかしながらテキストをよく読んで比較してみると、両者の思想的背景には共通性が見られるのである。
『孫子』・・無理をせず、楽に勝てる態勢に持っていくまで準備して待つ。勝利は無理に得られるのではなく、すでに優位に立っている態勢ができあがった後の総仕上げにすぎない。最上の戦略家は、まるで何も戦っていないかのように見える。
『老子』・・無理な道徳や規制によって社会をいじくりまわさない。よい政治は為政者が無理に矯正するのではなく、社会自体が持つ力がその力のままに運動して成長するように誘導する。最上の政治家は、まるで何も政治をしていないかのように見える。
奈良県の天川村で、大学教授が行方不明となられているようだ。無事であることを祈るより他はない(後記:7月26日無事発見されたもよう)。登山を作戦になぞらえるならば、孫子の兵法が説くようにどんな作戦にも100%の勝利はない。天候・道のコンディション・危険動物の出現といった外部の危機は常に起こるリスクがあることは、私のような登山初心者でもすでに体験していることだ。
なので、登山者としては万全の態勢を取って、しかし敗れるかもしれないということをどこかで想定しておく必要があるだろう。思わぬ困難が起こっても、撤退できる余力を残しておけば後日にまた挑戦すればよい。ロマンチシズムに満ちた冒険を追い求めることは、人の性(さが)である。しかし孫子と老子は、戦争や政治といった人の生死に関わる重大問題は、無理をせず自然に成し遂げられていく時期が来るまで焦らず進むことを説く。登山という作戦を遂行するときにも教訓となるのではなかろうか。
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