転載と言ってもコピペしてワードにまとめるとかではなく、ネットにばら撒いた俳句を句帳に手書きで書き写していくという作業であります。
手書きのメモ帳にアイデアを纏めてからネットにうpるスタイルで、、
マメに句帳に記していなかったので
そんなことは始めた頃からマメに書き留めておけ!! というツケが廻って来てしまいましたぁw
記した内容は11月1日から今日まで詠んだ俳句で、例外なくヤマレコにうpされており、これは客観的に”ヤマレコに頼っているという”尋常ならざる事態でございます

気をつけたいのは”縦書き”にすること。一行で書くこと。
こだわりがある人は中国の硯と墨を使ってとなるのですが、やっつけ仕事なので私はボールペンです。
手書きで一句一句書き写していく
そして出る出るダメ句の連発ww 特に始めてからの2ヶ月50句ほどは酷い。概ね酷い。少し慣れた頃の正月のも、相当酷い。
推敲ではカバーしきれないw
詠み直しが必要ですが反面教師として残しておきますw
菜箸に身を変えていて祝箸
これなんか極めて酷い。。
※コメント欄参照
太箸の早や菜箸となりにけり ゆきうさぎさん添削
前のでましなのはこのくらい。。
三ノ塔照れる君から冬紅葉
冬鳥や遊ぶ日比谷の薄黄色
立冬のひさし大山みち幾つ
偲ぶれば楽多きあり夜半の冬
巻き道の波のようなる落ち葉敷
熱燗や奥多摩の図とインク臭
最近のでいいのは少し多い。
春炬燵テレビ見ながら飲んじやだめ
枝の日に枝の寄り合う受難節
海彦が里に飾りし栄螺かな
道赤く落ち椿また落ち椿
春疾風徐行の車両震わせり
茶畑や里の風までうすみどり
夏山とヨットに会いに沼津まで
梅雨来る長靴の子サンダルの子
夏の日を光源にして燈明堂
風涼しペダルに残る波の音
真つ青な海なり鱚は輝けり
またいづれ振り返らずに青芭蕉
我の背を大山行者の行く音か
なぜなら、これ(最近の)が私の限界であるから、私主観なのは当たり前なのですw
一年後は自分基準が違う。 つか添削をお願いします
俳句は文字数を食わないので日誌や報告文と違いページを食わない。
手書きの句帳を開けば、ダメ句を含めてぽんと出る。大変わかりやすいw
原爆忌広島巨人はじまつた ほの香
はじめまして。こんにちは。
僭越ですが、「菜箸に身を変えていて祝箸」→「太箸の早や菜箸となりにけり」なんてどうでしょう(祝箸は、太箸の傍題)。
「過ぐ音か」は、「過ぐ」では終止形で、「音」という体言に繋げる場合は「過ぐる」になります。古典文法への慣れも大事ですね。
ゆきうさぎさん、こんにちは 貴重なコメントありがとうございます
ヤマレコというフィールドにはこういった同好の士が多かろか?とも思ったのですが、そんな中・添削してくれ感謝ですm(_ _)
菜箸に身を変えていて祝箸 ほの香
”祝箸”という季語は正月三が日限定で”季語を疎かにした”と言う意味で自分を酷評しました。
コメント後に、祝箸という季語は三が日に限らない。という発見をしました。
太箸の早や菜箸となりにけり ゆきうさぎさん添削
いずれにしてもこちらのほうが季語を大切にしていますね
”太箸の早くも菜箸となりにけり”
なんて修正したいところですが、
”早や”は切れ字の”や”ではないんですよね?
> 「過ぐ音か」は、「過ぐ」では終止形で、「音」という体言に繋げる場合は「過ぐる」に>> なります。古典文法への慣れも大事ですね。
我の背を大山行者の過ぎ音か
んー、、”か”は譲れないので
我の背を大山行者の行く音か ほの香
返信、ありがとうございます。
「早や(はや)」で、もちろん切れ字の「や」ではありません。表記として「早(はや)」でもいいのですが、「早菜箸」と漢字が連続する見た目を嫌って、こうしてみました。飯田蛇笏の「をりとりて…」という全てひらがなの句が有名ですが、句の見た目も大事ですからね。
大山行者の句は、現状は無季ですが、山行記録のページによると、新しい季語の創造を狙った野心作のようですね
偉そうなことを言っていますが、今日もプロの俳人に自分の句を添削されたYUKI-USAGIでした
色んなところになるほどなるほどw
> 「早菜箸」と漢字が連続する見た目を嫌って
私も読み手を考えて、誤読を嫌って平仮名で開いたりルビをふったり、また写真とリンクさせたり、季語を解説したりと頭を悩ませました。
それも初学の楽しい時期と言えるでしょうか。
初学者のくせに生意気をいいますと、いきなりヤマレコで俳句独自の表現をしても”解らない”となるわけで、いつもうpする前に俳句とは縁のない文系2-3人に見せて感想を聞いて修正するようにしていますw
特に気取り・駄洒落・アーパー・押し付け・主観・難漢字・時系列・体験・独自表現に対しての反応はストレートなのでとても戒めになりますw
そうこうしているうちにヤマレコの読み手のレベルも上がってきました ←今ここ
別に闘いをしているわけではないのですが、
表現方法やてにをはではなくて、
特に季語の扱いは”詠み手”が主導して行かなくてはと思います
> 新しい季語の創造を狙った野心作
キャリア的に早いですねw でも誰かがですねー
> 我が背(せな)
我が背を大山行者行く音か
”せな”と読めるんですね!そうすれば仰せのとおり字余りも解消でき、調べもいいですね
でも読み手に”せな”と読める人は僅かだと思いますから、”背を”のままだと思います(↑▽↑)(↑▽↑)
> 偉そうなことを言っていますが、今日もプロの俳人に自分の句を添削されたYUKI-USAGIでした
おお(ノ゚ο゚)ノ
私は”講w”には所属しておりません。初学の者の漠然とですが、虚子、多佳子、高子、池田澄子、古賀まり子作品は私に響くものがあると思いました。貧困のため本は買っていませんがw
今後共よろしくお願いいたします。
なお
ゆきうさぎさんのマイページ(プロフとか山行記録)にはアクセスしておりません。
そのほうがネット的でしょう?
今は敢えてのネコ科でございます (↑▽↑)
※そもそも俳句=ネコ科との持論であります(↑▽↑)
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