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日記一覧に載せるほどの内容ではないので載せていません。この投稿や書加えはプロフィールでご案内させていただきます。
2023/11/28 寒谷林道枝道・1
2023/11/7 花尻橋付近
2024/4/1 今年の石楠花は裏年か?
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2024/4/1 今年の石楠花は裏年か? 画像2
(画像は開花期になれば削除予定です)
きのう宮メズラ・魚の子山周辺などをうろついたが、どの石楠花にも蕾(つぼみ)が一つも付いていなかった。去年はどこに行っても石楠花の花だらけだったので、お疲れかな。他の地域はまだ見ていないが、去年はどこともアタリだったので、今年はどこもハズレだろうか。
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2023/11/28 寒谷林道枝道・1 画像1
寒谷林道の標高306付近から東の谷を登る地理院地図の破線の道。林道から土壌地点へ踏跡があるので行ってみた。
地理院地図通りに標高300付近から入ると谷の右側に入り易い。谷の左側に行きたいので、わずかに上の標高306付近から入ると都合がよかった。(GPSの高度につき誤差あり。)
谷を登れなくはないが、入ってすぐに折返して左に上る踏跡がある。少し上がると谷に沿って登るルートがあり結構広い。踏跡と言うより道に見える。
やがてこのルートは谷と合流して広い谷になるが、ここでは道の存在は確認出来ない。砂利の多い崩れる土で、傾斜がきつくなって来ると登り難くなった。
右側の尾根に上って見たが結構傾斜があり、雨になったので止めにした。魅力的とは言えないが、メインルートまで登れる可能性はある。わたしはもう一度は行かないかも知れない。
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2023/11/7 花尻橋付近
今日の八方ふさがりならぬ「四方ふさがり」の活動記です。わたしは進むのを諦めた道ですが、進まれる方もいらっしゃるかも知れません。この付近は獣避けゲートや宅地化で取付が少ないので、何かの参考になればと思い記録しておきます。
現在は、花尻橋を含めて花尻橋から南側が八瀬花尻町で、花尻の森のある花尻橋から北側は大原戸寺町になっている。しかし、愛宕郡志でば、八瀬村東北部と大原村戸寺区南部に花尻と言う小字がある。大原村戸寺区は旧戸寺村で、明治16年に8村の合併で大原村になった。
花尻橋の北側、花尻の森にある小野源太夫社は松田源太夫という武士にちなむ神社で、小野と言うのは彼の姓ではない。八瀬・大原・高野村(現在の上高野)などが小野郷であったことから来ているものと思う。村社としているサイトもあるが、愛宕郡志では無格社で、蛇を表す勧請縄が張られる勧請吊が1月10日に、尾の方祭が5月5日に、おうつりが12月15日か16日に行われる。また、江文神社と梅之宮神社の両方の御旅所でもあり、例年、それぞれの神輿が5月4日と5月5日に宮入している。
大きな木が生えているのが花尻橋のバス停から見えているが、鳥居にも小野源太夫社というプレートはなく、名前の碑もない。江文神社御旅所の碑のみなので、観光などでの来訪者には名前は知られていないだろう。
付属している阿彌陀如来の堂より小さいかも知れない本殿の後ろに、山へ入る道がある。進んで行くと右手にフェンスがあり、地理院地図の南に巻いて行く山道(注1)へ分岐する辺りには、フェンスにゲートがある。そのままフェンスに沿って行くと、突当りにフェンスがあってゲートもある。珍しくゲートは2つとも壊れていない。
(1)突当りのゲートから中に入り、谷に沿って進んで行くと、厄介な感じになって来る。この谷を詰めて行って水井山近辺の比叡山北主尾根に行くことを目論んでいたが、諦めた。
なお、この谷は夏に来ると山蛭が多いので注意。
(2)ゲートから中に入ってすぐ、ゲートの内側に沿って左へ巻いて行くと、尾根芯へ登り易い所がある。そこから尾根を登って見た。
すると地理院地図の破線の道、戸寺の住宅地域から山裾を南東に登って来る広い溝道に出合った。地図では、その道は稜線(この地点)まで上がってのち、巻いて南東に進む事になっている。GPSが表示する現在位置が不安定なので、付近を色々探して見たが、わたしにはどうも安全性に欠けていると見える道しかなかった。一応、このルートも諦めた。
(3)次に、溝道が尾根ルートに交わる地点から、そのまま尾根を上がってみた。尾根の中心に溝があり、安全を図って溝を登ったが、その後、傾斜がきついので左側の尾根(土手)に上がってジグザグに登ったりした。しかし、退屈な道に感じられるし、地図ではこの先更に傾斜がきつい可能性もあるので、途中でやめてしまった。もし進行可能ならP573に至る。
(4)最後に下山になるが地理院地図の破線の溝道を北へ辿ってみた。
溝道はやがて羊歯や倒木などに埋まって道ではなくなり、その手前から左側の踏跡に入ってみたが、地理院地図の方向に進むと初めは明瞭な踏跡も最後はススキに埋まってしまった。前方にネットも見えるし足元も良く確認できないので諦めて小野源太夫社に戻った。
以前、戸寺の住宅地域側からこの地理院地図の道を調べた事がある。山裾の道の山側(東側)に一並びの家があり、その後ろに家が一軒あって、私道か公道か判らないアクセス道があった。アクセス道の右側の側溝付近だけ舗装がなかったので、そこを上って行くと枕木一本の小さな橋があって、位置的にそこが取付だと思われた。しかし橋を渡ると小さな空き地に焚火の跡があって、その先はススキに覆われて道はなかった。やはり、ススキの茂みが地理院地図の道なんだろう。
注1.地理院地図の南に巻いて行く山道には入ってみていないが、その位置にゲートがあるので道もありそうに思える。地図を見て頂けば早いが、南東へ上がり下がりしながら巻いて行って、地図では中途半端な所で終わっている。山行記録「京都北山トレイル 西尾根登って水井山 横高山も西尾根を降りる」2022年10月8日の yjin さんのルートや、今日の(2)のルートの上の方に出られる可能性がなくはない。
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