⁋ 自己紹介(プロフィール)
資格・山岳保険・所属山岳会、達成した山リスト・挑戦中の山リスト、友達がありません。短く言えばそういう人間です。
現在のうろつき先:
1.私の地元、岩倉の外周「岩倉一周トレイル」の周辺の道。
岩倉には多くの里山の道が残っているので、これを次の世代へと歩き継いで行きたい。そういう思いがあり、山行記録も出来るだけ道案内になるように書いている積りだ。しかし、わたしの裏道・裏ルート趣味の為、バリエーションばかりで、肝心の「岩倉一周トレイル」の山行記録は後回しになったままだった。と言う所で、「岩倉一周トレイル(new救助標識コース)」と言うタイトルで2023年09月03日(日) の山行記録を satsuki_ttj さんがUPされた( https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5901758.html )。救助標識の位置も写真が入っていて判り易いので、これを基本に使って岩倉の山行を楽しんで頂きたい。
2.醍醐比叡山地のうちの大文字山より北側。
3.静原から天ヶ岳周辺。正確に言えば、市原〜静原〜八瀬・大原の府道のラインの北側で、鞍馬〜小出石の舗装道路のラインより南側。東は途中越(大原街道)、西は鞍馬街道。
4.貴船から雲ケ畑街道の間の山地。あまり北へは行けない(まだ行かない方が良い)。
5.あまり行く機会がないが将軍塚から稲荷山周辺。つまり東山。
わたしの過去など知りたくないかも知れないけれど:
子供のころ、両親とどこかの山に行った記憶がある。私市には何回も行ったが、もっと山らしい所で、道を失い草原を掻き分けて進んだ記憶がある。
大学生の時、大文字山に登ろうと考えた。本を買ったとも思えないので、立ち読みして調べでもしたのか、水路閣の奥の墓場の裏までは行った。その日は時間がなく、そこから先はまたの機会にした。
その、「またの機会」はそれから40年以上後になった。下山での通過だったが、意外にも墓場付近まで降りて来ると情景が記憶に残っていた。
大学生の間とその後35歳になるまでは京阪本線の三条から寝屋川もしくは香里園までの定期券を持っていたので、沿線をうろついた。本格的には山に入っていないが、桃山から宇治方面、東福寺や伏見稲荷の東側から山科にかけて、東山の将軍塚などを良くうろついた。淀か、八幡から大山崎のサントリーの工場まで川や平野を横断したのがなぜか記憶にくっきりと残っている。懐かしいあの頃。長髪だったあの頃。まだ禿げていなかったあの頃。また行ってみようと思うが、そう思いついてからもう10年以上が過ぎて、まだ実行していない。新しい興味の対象がどんどん増えるからだ。
1985年から2017年までは寺町六角で店を開いていた。11時か、12時前開店だったので、開店前の時間を利用してよく東山将軍塚周辺をうろついたものだ。
伏見稲荷周辺や東山五条から伏見桃山辺りを歩いていた時期もあった。多分2000年頃からだった。
2017年に母の介護のために仕事を辞めた。精神的な理由で母を一人にして置けないので、その後数年間は近くだけをうろついていた。里山の裏道を歩くので、近くだけでも興味の対象は尽きない。最近はいろいろな介護サービスの組み合わせで母の生活も安定しているので、ショートステイ利用中にわたしはある程度の遠出や外泊も可能になったが、今も主に近くをうろついている。
昨年末からはまた地元岩倉をうろつく事が多くなっているが、冬で昼間が短かったせいもあろうか。
今年2014年初め頃から、母の老朽化が進んでいるように感じる。あとで後悔しない為にも、一緒に過ごす時間を多くしようと思いショートステイの日数を減らしたので、ますます近くが中心になるかも知れない。
2024/2/19改稿
2024/2/26〜27改稿・加筆
※ お知らせ : GPSを利用していない山行記録は、GPSを利用した同一ルートの山行記録を公開したのち、原則として削除します。20523/9/19記
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する