話の始まりは、大和葛城山からの下り。山頂から水越峠までダイトレで下ったのですが、その道がずいぶんつらかったのです。段差の大きな階段がずっと続き、ちっとも楽しく感じられませんでした(あくまで私的には、ですが)。
そのときは下りで通ったのですが、この道は絶対登らないようにしようと固く心に誓いました笑。こんな急登はまったく登る気が起きないと、私のなかでは×印がしっかり刻印されました。
それから何日かのちのこと。どういうわけか、ふいに金剛山三大急登といわれる中尾の背ルートに行ってみたくなりました。実際行ってみると、中尾の背は聞きしに勝るハードルートで、地面が土か岩かの違いだけで傾斜自体はあの重太郎新道と変わるところがなく、距離もそれなりにあり、木の根や幹、岩、ロープなど、手掛かりになるものは何でもフル活用して四輪駆動でよじ登りました。それがどうだったかというと、とても楽しかったのです。
金剛山でアルピニズムを思わせる登攀を味わえるとは思っていなかったので、大変満足度の高い山行になりました(なお、中尾の背は初心者や初級者は立ち入らないほうがよいと感じました。遭難のリスクがあります。私自身、遭難していたかもしれないと振り返っています)。
で、あとになって妙なことに気づきました。葛城山のハードルートは登る気さえ起きないというのに、金剛山のハードルートはとても面白く感じられた。これはいったい、どういうことなのだろう、と。
傾斜の度合ということでは金剛山の中尾の背のほうが厳しいものがありました。しかも、葛城山は下りで、金剛山は登りで体験しています。単純な「しんどさ」ということでは、金剛山のほうがはるかに上回ったはずです。なのに、「面白さ」は金剛山のほうに軍配が上がるのです。それも圧倒的に。
なぜなんだろう? 自分にはMの傾向があるのかとも思ってしまいますが、理屈に合わないといえば合わない話で、我ながらちょっと不可解です。ほかの人にも同じようなことがあるのでしょうか。
一つの答えとしては、その道が「階段」かどうかということがあると思います。山の階段は、しっかり整備してくださっていてありがたいのですが、反面、その多くは自分の歩幅とは合わないため、歩き方を強いられてしまいます。それがつらく感じてしまう大きな要因なのかな、と。とくに段差の大きな階段の場合、つらさやしんどさが増幅されてしまいます。
では、階段でなければ問題ないのかといえば、それも一概には言えません。以前、山梨県大月の高畑山へ登ったときは、急登にあえぎにあえぎ、大変つらい思いをしました。正直、あまり楽しいとは思えませんでした(私は、ですが)。しかし高畑山の急登は中尾の背に比べるとマイルドだし、なおかつ階段でもありません。階段かどうかだけでは説明がつかないのです。
急登を面白いと感じるか、しんどいと感じるだけか、その違いはどこから生じるのか。今後の山行のなかでもこの謎について探ってみたいと思います。
初めまして、ドレミファと申します
ダイトレ水越がらの石の階段ですよね
ダイトレは階段が多いので私は皮肉って「階段天国」なんて呼んでます(笑)
あの階段は歩幅と高さが合わないうえに見た目に長い
それに南斜面で日差しを遮るものがなく暑いです
ダイトレの階段の中で厳し部類かも知れません
ヤマレコ内でも階段が嫌いという人は多いと思います
やはり階段は単調で飽きるから?
急登もちょっとした岩登りや梯子のおかずがあると飽きないですね
二上山ふるさと公園の一直線の階段でトレーニングしている人を見かけますが
本当に尊敬しますm(._.)m
こんにちは。コメントありがとうございます。
> 急登もちょっとした岩登りや梯子のおかずがあると飽きないですね
なるほど、「おかず」の有無ですか。
ふつうの登山道でも変化のない一本調子の道より、いろんな要素があって変化に富むほうが
面白く感じられますよね。それと同じというわけですね、納得できます。
葛城山山頂〜水越峠の区間はたしかにダイトレのなかでももっとも厳しい気がします。
あそこと、短いながらも岩橋山への登り(葛城山側から)が厳しいですね。
あと、二上山側からの葛城山の手前の階段区間ですかね。
二上山のふるさと公園の階段でトレーニングですか? 超タフですね。
あの階段はもし転んだら命にかかわる(大げさでなく)、危ない階段だと思います。
あそこもあまり通りたくありませんです(苦笑。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する