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登山を始めてからその日記を書くまで、何故か自分が自己責任論に触れてはいけないような気がしていました。
今思うと、それはきっと「遭難者が非難される時に使われる言葉」というイメージが僕の中にあったからです。
加えて、死=責任の放棄という大前提がある以上、完全な自己責任を果たすことが出来ない事を知っていながら山に行く自分に嫌悪感を抱いていたから。
そして、僕が死んだ後に家族に精神的・金銭的負担が掛かることを知っていながら山に行く事への罪悪感があったからなのでしょう。
それ故、自己責任について考えたくない、触れたくないと思っていたのでしょうね。臭いものには蓋をして見ないふりをしていたのでしょうね。
ですが、有り難い事に幾つかコメントを頂き、その返信内容を考えているうちに徐々に気持ちが整理され軽くなっていきました。
自己責任とは「自分で考えて行動し、その結果に責任を負うこと」とされていますが、世間的な使われ方としては、使う人の立ち位置で都合良く形が変わるような曖昧なものになっています。
登山者と非登山者の違いのみならず、発信する側と受け取る側の違いによっても同様です。
「責任逃れや自分の行動を正当化する為の言葉として間違った使い方をしてる人が多いのでは?」とヤマレコ社長のまとやんさんもこの前の動画で言ってましたよ!
このように、使う人により自己責任の意味に違いがあるのならば、僕個人がその言葉にとらわれ身動きがとれなくなる必要はないのでは?
むしろ大事なのは、発する方も受け取る方もその在り方であり、僕自身が自分の負うべき責任から目を逸らさず真っ直ぐ向き合う姿勢こそが大事なのではないか?
他人がどう思うかではなくもっと自分自身と向き合う事が大事なのではないか?
かと言って、先を考え過ぎて自分が遭難した後や死んだ後の責任の負い方をウダウダ悩むのも何か違うのではないか?
それよりも遭難しない、死なない為にやるべき事を考えるほうが先ではないか?
格好悪かろうが無様だろうが、がむしゃらに山で生き抜く事を考えるほうが先なのでは?
そんな風に意識が変わっていきました。
そして登山は自己完結と言う言葉です。最初、目にした時は自己責任より難しいのでは?と思いました。
自己完結とは「自分自身の中で物事を納得したり解決したりすること」とされています。
登山初心者の自分は山と向き合ってきた時間が少なく、まだまだ皆さんの意見を参考に試行錯誤してますし、自分のスタイルを確立するに至っていません。
それが自分に自己完結は難しいと感じた理由です。
しかし、登山における自己完結=無事下山とするならば、これ程シンプルで分かりやすい言葉はありません。
例え今の時点で僕の登山スタイルや考え方が定まっていなくても、その時々の山行で無事下山する為に何をするかを考えれば良いだけです。
自分が未熟であることを認め、未熟なら未熟なりの行動をとるだけです。
まず僕がするべき事は、何か事が起こった後にどう責任を負えば良いのかを考える事ではなく、自己完結=無事下山する為に何をすべきかを考える事です。
そこに至った時に目の前の霧が晴れたような気分になりました。
あれ?でもそれって普段やってる事だから、結局一周回ってもとに戻っただけじゃ……と気付きそうになった所で思考停止して見て見ぬフリをしました!
そもそも、余程のことが無い限り誰に何を言われようと登山を止めるつもりの無い僕は、ずっと自分への嫌悪感や家族への罪悪感を払拭する為の理由と言いますか落とし所と言いますか、心のモヤモヤが上手く収まる場所を探していたのだと思います。
ですので、これはこの先も心底登山を楽しむ為に自分に必要な行程だったはずです。
という訳で、今後も無事下山を目指して楽しく山を歩いていきたいと思います。
読み返してみると、なんだか頂いたコメントとその時の返信の引用ばかりになってしまいました。
でもお陰様で「自己責任の重圧→自己完結=無事下山が最優先」に気持ちが落ち着きました。
だからと言って遭難後や死亡後の為にしている事をないがしろにするつもりはありせん。
やるべき事をやったらウダウダ悩むのを止めるだけで、僕が怪我した時や死んだ時に、愛する嫁さん(多分片想い)や可愛い娘達(きっと片想い)の負担を減らす方法をこの先も探していくつもりです。
あれ?でもそれって登山関係なく、夫として父親として普段からしなくてはイケナイ事なのでは……
※写真はフォローさせて頂いているあっきー@くまさんが以前日記で紹介されていたフローチャートと、僕が遭難した時の為に嫁さんに渡してある手作りマニュアル(バージョン4くらい)です!
何があっても家族の元へ帰る、それも無事に。
私はこの一念で山へ行きます
かっこつけているのでは無く、そうしなければ次の山行許可が降りないと思うからです😅
こんばんは。
「山に行けなくなるのが嫌だから」しっかり準備するし、無理しないし、躊躇せず撤退出来る…山が好きな人が一番納得出来る言葉かもしれませんね。
僕もこの先、山での失敗が原因で山に行けなくなる事だけは避けたいです。
そして願わくば、体が動かなくなる年齢まで山を歩けたら良いなと思ってます!
コメント有難うございました。
「遠足は帰るまでが遠足です」って名言だと思うんです、登山も職業登山家でもない限り「登山は帰るまでが登山です」が基本なんですよね。植物観察・絶景をみる・写真を撮る・テントで泊まる・ピークハントする・山小屋ごはんを食べる等、途中に他の目的を挟んでもいいけど、最終の着地点は無事下山。途中の目的はクリアできなくても無事下山は絶対。別に途中の目的が達成できなくても無事下山しているならそれは自己完結出来た成功した登山例なのだと思います。
こんにちは。
前回頂いたコメントへの返信と重複してしまいますが、口では安全第一と言っていながら、最近は無意識のうちに登頂>無事下山になっていた気がします。
仰るように「登頂出来るかどうかは関係無い」ですよね。
改めてそこに気付けた事、そして自分自身が納得出来た事も今回の収穫の1つだと思っています。
「家に帰るまでが登山」ですよね。
当たり前のことですが、つい忘れがちになる言葉でもあります。
僕は車でのアクセスが多いので、下山後に気が抜けて帰りの道中事故など起こさぬよう、最終目的地は我が家である事を肝に銘じておきます!
コメント有難うございました。
『自分が未熟であることを認め、未熟なら未熟なりの行動をとるだけ』
仰る通り、これが全てだと思います。
謙虚な心を忘れずに、慢心せず、油断せず、決して準備を怠らず、過剰な背伸びをしないこと。
何故ならば、自分は未熟なのだから。
何年山やってても同じです、私もそう。
自分がベテランだなどと高慢になればいずれどこかで足元を掬われる。
あ、写真のやつ私が以前日記に書いたやつですねw
きちんとやってらっしゃるんですね、素晴らしいと思います。
こういうことを懇切丁寧にやる行動と意識こそが、危険から身を守る第一歩だと思ってます。
こんにちは。
人間慣れてくると油断したり慢心してしまいます。
「初心忘れるべからず」とは良く言ったもので、慢心する自分を律する事が何よりも大切なのでしょうね。
僕は本当の初心者ですが、それでも短い距離や少ない標高差だと油断してしまったり、下山中や一度歩いた事のあるルートだと自分でもハッキリ分かるくらい気が抜ける事がありますので、気を付けたいと思います!
実は「自分が未熟であることを認め、未熟なら未熟なりの行動をとるだけ」はminislopeさんの言葉の受け売りなのです。ですが、自分の言葉として使っても恥ずかしくない様な行動を取っていくつもりです。
フローチャートの印刷と家族へのマニュアル作成はあっきーさんの日記を拝読した後、直ぐに実行しました!
自分でマニュアルを書くことでいかに危険な事をしているかを再確認出来ました。と同時に、嫁さんに説明した後に僕の心が驚くほど軽くなったのを覚えています。
その時も今回も含め、あっきーさんには何度も助けて貰っています。本当に有難うございます。
いつまでも登山を続けられるように、今後もやるべき事を丁寧にやっていきたいと思います!
コメント有難うございました。
自己責任ってことをそれほど深く考えなくてもいいんじゃないかなとは思います。
何かやらかしたときに責任とるのは社会の一員として当然のことです。自己責任とかでなく。
そしてそれは、遭難などでは関係各所へのお礼や謝罪・報告、支払が生じるならその支払などで果たされます。
再発を防ぐためにその時の詳細を公開することも責任、としてる方もいますね。
また、自分ではどうにもならなくなったときに、誰かに助けを求めるのも普通のことかと思います。
だからといって、はじめからそれを当てにしたり、安易に頼るのは只の無責任です。
何かやらかさないためにしっかり計画し準備して、しっかり行動管理する責任。あえて言うならそれが自己責任です。
自己責任って言われる一番の理由は、山や道を管理する立場の人や団体を守るためなんです。(道具などもそうかな)
例えば、道標の向きが違って道間違いして遭難したとして、道標設置者などが訴えられても困るわけです。
商業施設の駐車場とかで「場内での事故等について責任は負いません」って表示されてるのと同じです。
登山はリスクの高い遊びですから、いちいちそのリスクに責任は負えないってことですね。
大事なのは責任云々より、危険予知だと考えます。
準備段階はもちろん行動中も常にリスクマネージメントが必要です。
ヤマレコの社長が「絶対遭難させないチャンネル」というのをやってるみたいですが
ヤマレコユーザーとしては「絶対遭難しない覚悟」を持ってそれに答えたいですね。
こんにちは。
仰る通りでして、今となってはですが、そこまで深く考える必要もなかったのでは?という気持ちもあります。
これまで、学校、部活、仕事、家庭と、その大きさは違えど責任を取らなければならない立場にいた時に、果たしてどれだけ自分の負うべき責任について真剣に考えていたでしょうか。
正直に言いますと「今の立場ならこの場合はこうしなければならない」という既に出来上がっているガイドラインに沿って立ち回っていただけで、負うべき責任に目を向けた事は殆ど無かったと思います。
そこにきて登山における自己責任に真正面からぶつかってしまいました。
結果、これまでの自分がいかにが無責任であったかを思い知った次第です。
ですが、今回逃げ出さずに色々悩んだ事は自分の成長にも繋がったはずです。
なので決して無駄な時間では無かったと思ってます。
何があっても人のせいにはしない。その覚悟とそれを裏付ける行動をした結果、自分ではどうにもならず誰かに助けを求めるのと、最初からそれを当てにするのは明らかに違いますよね。
初心者の僕でも「きっと前者は例え山で追い詰められても遭難しないのだろう。そもそも自分が追い詰められる状況を作らないのだろう」と思いますもの。
是非そんな登山者を目指したいと思います!
僕も最近、以前は見えなかった山の危険が徐々に見えてきました。
これからも、より隙のない危険予知とリスクマネージメントを目指して山を歩いていきます!
コメント有難うございました。
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