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…には一度も行ったことがなかったけど、昨日は大垂水峠から高尾山、というルートで山頂にアプローチした。そんな人気の山のはずなのに、全く人と出会わないなぁ、なんか今日は特別?と思いながら西の方角から山頂のビジターセンターのエリアに足を踏み入れた瞬間、ものすごい人・人・人にびっくり!(このルートが少数派だっただけのことらしい)
その後、同ランキング2位の小仏城山に向かう道では、けっこう多めの人達とすれ違った。ナントカのひとつ覚え、で山ですれ違うときには必ず「こんにちわ」の挨拶を交わすものと思っていたのに、このルート上で挨拶を返してくれた人はごく一部だけで、大半はガン無視。
その時は、なんか冷たいな〜と思ったけど、あとから考えなおしてみると、挨拶を交わすのは「すれ違い人口密度」がある程度少ない場合までで、それ以上になれば「いちいち挨拶してたらキリがない」となるのは当然っちゃ〜当然か。これまで人の少ない日に人の少ないルートばかり歩いてたから、この当たり前のことに全く気づいてなかったけど、その境界線はどこらへんだろ?
合う人が少なければ、あいさつは必要かと😁
万が一〜万が一の時。
こんな人見かけませんでしたかと、覚えて貰うために🤣
でも、尾瀬ヶ原とか行ったら悲惨😭
まして、小中学生の団体さんに出逢ったら😭
学校では、人と出逢ったらあいさつをしなさいと、言われて来てますので、延々と、あいさつ返しか嫌になりますけど、仕方がないですかね😭
かくいう私とて、あいさつが口先だけで、相手と目を合わせたり、マジマジ観察することもほとんどしてませんでしたが、互いの万が一の時のために覚えておくという発想はありませんでした。なるほど。
確かに団体さんとのすれ違いになると大変ですね。でも挨拶された以上、自分はやり返したる!!
《挨拶の境界線》は、難しいですね。
私も多々悩むことがあります。
山を始めた頃、すれ違う時の挨拶はマナーのようなものと教えられた事があります。
コミュニケーションの一つや遭難などに会った場合に誰かの記憶の片隅に残っていれば発見率が上がるetc
少し前と比べたら登山を始めるハードルは低くなったと感じています。
それに伴い、経験者から教えてもらう等の機会も少なくなってしまったのでは?と考えています。
個人的に百名山で会う比較的若い層の方は、挨拶など返してくれない事が多いと感じます。
ま、ご年配でも返してくれない人はいますけれど(笑)
モヤモヤする部分はありますが、気にしないように折り合いをつける為に色々模索中です😓
やはり遭難時のリスク回避の意図を持たれている方は一定数いらっしゃるんですね。皆さんのコメントも拝見して、自分は今後
・こちらからの挨拶を発動すべきかは、その日のそのルートの相手の対面方向(自分と同じ方向)の登山者の数を推測して判断する。
・先方から挨拶してくれたら、無視せず必ず挨拶を返す。
・こちらから挨拶して無視されても気にしない。
という感じでやっていこうかな、と思いました。
私は登山歴30数年、4才上の兄は私より前から登山してました
その兄曰く
自分が山始めた頃は、八甲田の登山者なんてかなり少なかった
だから登山者と出会うと、「おっ人だ〜って思ったもんだ」(多少オーバーかも🤭)
「だから、登山者と出会ったら挨拶とか言葉交わしたりしたんだよ」
それがいつしかマナーとは言わないが、挨拶するもんだってなったのでは?
と言うのが兄の見解でした
あっ! 諸説有りということで😅
私は、人の少ない平日に人の少なそうなルートを好んで選ぶことが多いので、そんな時に稀に人と出会うと、気の合う変人同士、みたいな連帯感を感じたりしますね。
私が幼少の頃、父に連れられ山に初めて入った時、父がすれ違う人と挨拶するので「え?今の知ってる人やったん?」と驚いて尋ねたら、「山では知らん人同士、誰でも挨拶するんやで」と教わり、不思議な世界やなぁと思ったものです。
よく行く燕岳では時期によってかなり人多いですが、登山道を歩いてる人にはほぼ全員に挨拶します。
それには互いに「頑張って・楽しんで」って気持ちも入ってる感じがします。
一般ハイカー・観光客も入っていそうなところ(その線引きも難しいけど)
では全員ではなくて、挨拶する人を選別する傾向はあります。挨拶文化を知らない人もいるから。
基準としては、雰囲気とか目が合ったりとか楽しそうに歩いてる人とか。
一方、話が盛り上がってるグループにはしないかな。
挨拶されれば必ず返しますが、そんな感じです。
マナーと言われますが絶対しなくてはということでもないと思いますし
押しつけになったらマナーとしては本末転倒です。
人それぞれでいいと思いますし、返されなくても気にしてません。
そうですね。向こうもこちらも、山に入るほとんどの人の本質は「楽しみ」であり、たがいの楽しみを阻害することなく、あわよくば双方の楽しみがさらに増すならよいなぁ、程度で気まぐれも織り交ぜつつ、深刻に考えずにさらっと出したり遠慮したり、にしようかなと思いました。
わたくしも山の挨拶はリスク管理と連帯する証のリスペクトかと思っています。アメリカの(敵じゃないよね)の右手握手に少し似ているかなぁ。
何かあったら助け合おうね〜というふうに捉えています。
挨拶の返事がなくてもイライラしないようにするため、その場合は記憶から消すようにしています笑(その場合、何かあっても思い出せないかもしれませんが💦)
境界線は、私の場合リスク管理に値する場所かどうかかなぁ、と勝手に思っています。もちろん挨拶することはOKです。
多くの児童、生徒とのすれ違いは、人格形成?、教育?のため、何十回でも挨拶しま〜す。
今後、挨拶を交わす際は、互いに記憶の片隅に残しあえるよう、もう少し相手の風体を見るようにしてみようかな、と思いました。
そして相手の返事がない場合は、社会の多様性について学ばせてもらえた、と感謝の心でやりすごすことにします(笑
私の挨拶の線引きは、観光客が要るような場所では挨拶しない、ですね。上高地とか木曽駒ロープウェイ駅付近とか。高尾山に行ったことはないですが、観光客のいるような場所では挨拶しないかなと思います。
あと、みなさん、記憶に残るように挨拶すると書かれてますが、私は逆でなるだけ記憶に残らないようにさらっと挨拶するようにしてます;山で会うストーカーまがいの人は本当に怖いので。遭難に関しては記憶に残る残らない的な見知らぬ人の不確定なものに頼らず計画書やいまここやココヘリで位置情報を共有する方がいいかなと思ってますし。
すんでのところで、あやうく大筋合意形成、一件落着となりかけたところに貴重な別見解を投入いただき、ありがとうございます。おっしゃる点、まさにあると思います。山に来る人は純真な心を持つ者ばかりとは限らず、中には邪(よこしま)な思惑を秘めた不心得者だっているかもしれないですからね。
実はこの山行の中で、似たような状況で、さる方を怖がらせてしまった😱、かもしれないエピソードがありましたので、あえてここでご紹介しておきます。
小仏城山から降っている途中、この撮影場所を選ぶのにあーでもない、こーでもない、とウロウロしてた時、
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=7770946&pid=304a0f5823e48937d2d8e224fbceae53
かなり若い欧米系外国人の女性が片言で「コンニチワ」と挨拶して追い越して行かれました。私が撮影を終えて再び降り始めたのは、それから少々時間が経ってからでしたが、千木良のバス停付近で追いついてしまいました(国道を渡る信号の押しボタンが判らなかったらしく、押したのは後から来た私)。そこで私が追い越して行ったのですが、弁財天やら弁天大橋であの角度、この構図でなどと撮影しつつ道草を食ってる間にその人が私を追い越し、巡航速度の関係で私がその後追い越し、なんて状況がなんと50分間にも渡ってしまいました。これはやばい、勝手のわからぬ異国の地で不気味なおっさんに付き纏われて怖がられてるに違いない、どうにかこの悪循環から脱出せねば、との思いがあったのも、計画になかった嵐山登頂を最後に急遽差し込んだ理由のひとつにあった可能性は、ここだけのナイショ🤐話、ということで😆
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