このエリアは父方、母方ともに所縁の地である。
自分にとっては生まれただけの地。
父の職場が群馬の山中へ移った関係で、群馬・埼玉に移り、祖父母宅へ昔、例年盆と正月に通った。
遠路はるばる家族一同では莫大の出費だ、勿体ないことだと先日まで思っていたのだが、父方の母子家庭だったいとこたちの叔母が亡くなった際、当時のいとこ・祖父母・各々の両親らの写真を見ると決して無駄ではなかったと確信した。
いとこ総勢11人にその親8人に祖父母2人、計21人での熊本旅行は非常に良かった。
悪ガキだった自分は武者返しの熊本城の石垣に果敢に挑んで、ものの見事に跳ね返されたらしい。それゆえ熊本城はやはり思い出の地である。
吉野ヶ里にも行ったし、父方の元来の地 柳川には結構行った。
柳川は、実は非常に古くから民間人の交易の港であった。有名なのは博多であるが、それは表向きの貿易港で、裏向きは有明海側の柳川近傍などだったという。
父方はその柳川を拠点とする船乗りの子孫であるらしい。
「倭寇の子孫だ。お前も自由に生きろ」と言われたのは2年前になるだろうか。
因みに、明治の有明海の干拓の実績もあるようでそこに立った。今も町名に残っている。
父が土木に進んだのにも影響があるかもしれない。
一方の母方、こちらはルーツは久留米の高良山である。筑後川の神代の渡しの末裔であり、元寇の際に川の南の軍勢を運ぶために舟橋を作り、そのことが絵図にも残っていて、感状を送られたという記録がある。以降も、明治頃までこの渡しは続き、そこに残っていたようだ。この舟渡の地を引いているということ。
菩提寺がこの付近にあったこともあり、今でも時々行く。
そのため、船を渡った人々の側になってみようと行ったのが年末の薩摩街道縦断の目的だった。
だが、本当に驚いたのは、母方の神代は、佐賀において実は大きな痕跡を残している。特に福岡と佐賀を隔てる背振の方々にとっては、特別であるらしい。
詳細は三瀬城跡訪問のレコに書いた通り。
午前に回った佐賀神社、松原神社、徴古館、佐賀城跡も見事。
神社には白磁の鳥居と大きな壺に感動したし、神社の祭神は藩祖 鍋島直茂ら、幕末の指導者 鍋島直正らである。
そして、その鍋島一門衆に遇せられたのが、背振の民が指導者に迎えた神代だった。
現在の佐賀県庁は神代邸である。これには驚いた。母も伯父もここまでとは知らなかったようだ。
「佐賀人の後には草も生えない」という言葉がある。
一見、ケチと皮肉って聞こえるが、約二百年前に肥前鍋島藩立て直しのために君主自らが率先垂範したものである。
こうしてできた原資が佐賀の、ひいては日本の近代化のキーとなった。日本の産業革命の礎は肥前鍋島にあり。後は伊豆韮山の世直代官 江川公である。
肥前のアームストロング砲に駆ける思いの詳細は司馬遼太郎の短編 アームストロング砲の話に集約されている。
科学技術のみではなく、軍事・政治思想・法学などの有り様を明治新政府が取り入れていたらもっとまともな形に、明治維新以降の日本を持っていくことができたのではないかという思いが、これまで以上に募るばかりだ。
済んだことは仕方がないが、これからを考える上で、今の有り様のままでいいのかを考えてみる機会にはなることであろう。
また、高良山のレコで書いたように、私にとっては非常に重要な地である。
高良の麓は上述のアームストロング砲の製造地となり、その周りは今も高良台駐屯地となっている。大砲自体は佐賀神社にあり、元旦に祝砲をあげることとなっている。
この事業に携わった田中久重の弟子たちが東京芝浦に作ったのが、あの東芝である。
それゆえ現在の東芝の苦境は心苦しいものもあるが、何とか立て直すことを信じてやまない。
また、その後、明治になって、地下足袋にゴムをつけるところから始まったある会社はブリジストンとなり、今日でもゴム材料の世界で世界をリードする存在となった。
これもまた、生まれの地、久留米の偉業の一つである。
技術屋となった今、東芝とブリジストンの原点となった地が私の故郷であり、両親の先祖代々の地であることは誇りにしていいと感じた。
とりとめもなく書いたこの「ルーツを求めた旅」
タイトルは仰々しいが、自分探しの旅というにはそこまで鬱屈したものでもない。
ただ、知らなかったけど実はすごいことをやってのけた人が近かろうが遠かろうが、そんな親類が存在したことを知ってしまったからには現場を訪ねて向き合い、例え自分にとって卑屈に思えるほどつらくなったとしても、心の拠り所になるかもしれない。
親やいとこぐらいに近すぎると、却ってコンプレックスになりかねないが。
まずは、知った上で、どうとらえるか。
そこが重要なのだと思う。
私には偉大すぎる父と、優秀すぎる弟同然のいとこがいるが、それは自己嫌悪の元凶ですらある。
そのいとここそが真の父の子で、私の兄であれば、こんな卑屈な思いから逃れられたも知れないのに。
父は高卒にしてゼネコンで技術所長まで登り詰めたが、彼のいわせれば、高卒ゆえに上に行ける可能性がある会社を選んだ。大学への進学の招聘をきって、就職を選んだという。
せめて大卒なら何を為したのだろう。
それゆえ、父からは、東大法学部を目指せ、理系なら医師を目指せと色々言われた。
苛めに苦しみ、とにかく中学までの自分を知らない東京の高校に進学することで闇から切り離すことしかない自分には進路は亡命に他ならなかった。
人生で勉学に励んだのはあとにも先にもこの時が一番だった。
受かろうが受からなかろうが開成を受けたのは、嘲る連中を成果で見返すためでしかなかった。
結果としては、部相応の所に落着きすべてが幸いした。
無理してはいったところでは、結局、劣等感に苛まれるだけでしかないのだから。
それでも、大学の研究室や職場では、己の足りなさにうんざりすることしきりだ。
高校、大学での同期たちは私などより遥か高みにいる。
件のいとこもそうだ。
学者として教授への椅子取りゲームに勝ち抜くのも時間の問題だ。
益々、私と彼とを変えてほしくなる。
養うものがなく一人のままでいるのだから、逃げたまま平穏無事でよいのだろうとずっと思ってきた。しかし、それでは失われたプライドを持ってアグレッシブにいけと教えてくれた、二人目の上長の言に反する。こんな中、今回の旅は、40を前にして、失いきっていた誇りを再び取り戻す一助にはなったのかもしれないと感じた。
このまま、仕事は仕方ないと帰りたいのまま、それ以上は求めないまま、60過ぎまで約20年過ごすのを受け入れられるだろうか?
入社した10年あまり、どこか釈然としないものを抱えたまま、それを無理やり是とするために、見ないために趣味に逃げ続けていくままでいいのか、そこにぶつかり、否応なしに気づかされている。
約4年前までは剣道、居合道、ダイビング、スキーがその逃げの手段だった。
歩き旅や山行に至っては上記が継続困難となったがために始めたもの。
それでも、歩きと山は、かけがえないものとなっている。
山に至っては、何があろうとやり遂げる、生き延びるという人の根本に眠っている生への執着を呼び覚ましたことは間違いない。何故なら、登頂自体は目的であってもゴールではない。下山し、休み明けには何事もなかったかのように日々の業務をこなすまでがゴールである。
山番組に不満なのは登頂はゴールではない。下山して里に戻って何とかてきる算段つけけるまでではなかろうか?
山で磨いた生への渇望。これを自身を取り巻く状況、環境に対する打ち手に回せば、少しはましに生きていけるのではないかと思う。中々実施は困難だろうが、できることを少しずつ積み重ねることならやってやれないことはないと思う。
これが、九州縦断から始まる2016年末の旅、今回の佐賀散策、
伯父といとこへの訪問と飲み。
実家に集う正月三が日の関東に集まる身内対応、
自宅にきた両親への対応、
趣味のスキー、妹と甥を連れた八割おもてなしのスキー、とあるドラマを見まくったことによる、これまでの自分への反省など。
もやもや考えていた最近、会社から長期の研修と以後の他事業への移動の示唆が来た。
これも何かの縁だろう。僥倖にすら思えている。
みなさんにとっても、NHKのファミリーヒストリーではないですが、祖先なり、先人たちの痕跡を知ることは何かの力にはなるかと思います。
山には直接関わらずとも。
また、山に今容易に行けるようになったことや、営業小屋、道のありがたみなどは避難小屋しかないエリアに行くと実感します。先人への敬意という意味では似ているかもしれません。
<追記>
日本にとっての大航海時代であった、豊臣滅亡までの時代の日本では、平戸にオランダ商館があり、陸奥 石巻からガレオン船を自前で作成し、太平洋を渡った。
戦国史で忘れてはいけないのは火縄銃しかり、ガレオンしかり、当時最先端のものをすぐに内製してしまう技術力を日本人は備えていたということだ。
材料とモデルさえあれば、トレースできてしまう。それが、日本人の国民性というべきか。
江戸末期の必死な科学技術の移入と内製化はその文脈の中にある。
戦後においても実は同じなのかもしれない。
しかし、トレースされる側になると、それを守ることが実に弱いし、お人よしにすぎる。
だから、他国に好き放題やられる。
韓国のサムソンなどその典型である。
彼らは日本人に日本の特許を翻訳させ、外願が無い国にそれを我がものとして特許取得を行う連中である。
冷戦構造が残っていなければあんな連中、潰し切ってほしいし、サムソン製の製品こそ、なぜ、不買運動しないのか理解に苦しむ。
それほどの害悪に半国営企業のドコモがベンダーに組み込んでいることすら許せない。
韓国では政権との癒着でたたかれているようだが、あんなものは茶番だ。
大韓民国創建時から続いていた話を、蒸し返されただけのこと。
策謀しか見えない。韓国内の内紛に過ぎないのか、他国からの謀略なのか、ポイントはそちらにある。または、ただのガス抜きなのかもしれない。
どうあれ、連中にどれだけ国益を損なわれたのかを冷静に考えていただきたい。
Galaxyを買い、Sampung製品を購入すること裏に何があるのか?
価格のみで考えず、その裏にあるものを考えて購買してほしい。
日本は気づかぬ間に周囲に多くの強敵を育ててしまっていること、身から出たサビであるかもしれないが産業衰退が様々な業種で発生している。自業自得ではある。
それでも、安さにかまけた購買行動は、結局、周囲の雇用をつぶし、わが身に負債として伸し掛かることを是非考えてほしい。
そんなに目先の安さがないとなりませんか?近未来に、国内の企業が倒産しまくったら、どうなさるつもりですか?
もうそこまで追い込まれている。
その危機感が残念ながらなさすぎると思わざるを得ないのです。
これまで支えてきた日本の大企業の苦境は、我が身に降りかかることを理解してほしい。
それは、購買行動で決められることなんです。
今の楽を買うか、将来の安寧を願うのか、その心意気の問題です。
自分たちが貫こうとした意思を、どこまでお捨てになるおつもりか?
ガラス球に騙されて民衆を奴隷に打った西アフリカの貴族たちと同じことをしていないか?よくよくお考えいただきたいものです。
山などそもそも金銭的余裕がなければやれないこと。
目先に捉われないことは必要な観点ではないでしょうか?
登山口付近の集落こそが、まさに疲弊しきっている現実を直視すべきではないでしょうか?そこの民と、整備する人がいなくなればすぐに登山は廃道になります。
私は、山に行くときは現地に所縁のある品を原則購入し、施設を利用し、微々たる金額であってもそこにお布施のようにお金を落とすことを心がけています。
これって、重要なことでは?
これぐらいしか、登られていただいた山付近の人々への恩返しの方法がほとんどないのだから。整備している団体に寄付というのもありでしょうし、道を整備しに行くというのもあれでしょうが。
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