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昭和37年(1962年)、地元の新聞社、北國新聞社が発刊した「白山」。
昭和中期の頃の白山の資料である。
当時の地図も付録としてついている。
登山史だけでなく、地質学、生態系、植生系、気象、周辺の歴史、民俗学、宗教的背景などなど、非常に多くの貴重な内容が書かれている。
とくに興味深いのは、当時の写真だ。
当時の登山スタイルや風景、登山道の様子などを伺い知ることができる。
有名な黒ボコ岩。
実はこれ、現在は地震で崩れたあとの残骸だったのだ。
昭和36年8月の北美濃地震の際に、大半が崩れ落ちてしまったらしい。
崩れる前の貴重な写真が掲載されている。
今と形も大きさもまったく違う。
観光新道には、今にも転げ落ちそうな巨大な岩が登山道に覆いかぶさっている。
今はこんな岩なんてないぞ。
いったいどこにあったんだ?
地図には今は存在しない登山道が書かれている。
廃道になったのだろうが、もしかしたら痕跡があるのではないか?
探してみるのも面白いかもしれない。
生態系では、当時、まだ白山にも雷鳥が生育していた事実が書かれている。
(その後、白山での雷鳥は絶滅したと思われていたが、数年前、一羽のメスの雷鳥が白山で発見されている。)
面白いことに、雷鳥の欄には、富士山への雷鳥の移植が成功したとも併記されている。
これは数年後には失敗して絶滅しているはずだ。
昭和37年あたりは、富士山にも雷鳥がいたことになる。
まだすべて読み切ってはいないが、非常に興味深い内容ばかりだ。
これを読んだのち、その記録、記憶をたどりながら白山を登ってみるのもまた味わい深い登山になりそうだ。
黒部の水平歩道や下ノ廊下、剱岳、立山、白馬、槍ヶ岳に登った時もそうであったように。
また白山に登りたくなった。
故郷に、かくも素晴らしい山があることに感謝しよう。
写真は、その資料と付録の地図、昭和36年以前の黒ボコ岩と観光新道の様子、当時の白山室堂である。
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