|
|
|
そのため、色々なところで記念イベントを行っているようだ。
その一つ、黒部市が企画したイベント「黒部ダムを探る」の特別講演に行って来た。
はい、私、自他ともに認める黒部マニアである。(笑)
場所は宇奈月にある「黒部市歴史民族資料館」。
講演者は元関西電力OBである「奥野 義雄」先生。
実際に技術者として黒四ダムの建設に携わった生き字引の方である。
なんと、破砕帯突破会議に実際に参加されていた方なのだ。
(あの映画の1シーンになった、あの場所に実際にいた方なのだよ!)
御歳なんと90歳。
失礼ではあるが、とてもその年齢に見えない方であった。
約3時間のご講演中、ほとんど立ちっぱなし。
言葉もしっかりされており、細かい数値等も交えたご講演内容は素晴らしいものであった。
お話の中では、黒四の歴史から、ダム構造の技術的説明、そして開発秘話等も語られた。
プロジェクトX、黒部の太陽(小説&映画)、各TVドキュメンタリーなどで黒四開発のことは多数語られているが、
その多くは苦難や破砕帯突破の話が中心であり、時にはその悲壮感を全面に出した形になっている。
今回のご講演では、それらメディア等では語られない部分までも聴くことが出来た。
しかも今回は実際に建設に関わった人間の生の言葉である。
耳に届く声には、その臨場感、情景などがそのまま伝わってくるようであった。
途中、話を聴きながら鳥肌が立ってしまったくらいである。
黒四と言えば破砕帯突破、そしてそのための工期遅延、苦難や試練が中心に伝えられているが、
実はそれらは単なる一面であり、その遅延のおかげで、建設現場一帯の地質的、地形的調査を徹底的に行うための時間が生まれ、
それが実際のダム建設においては大きな収穫となるような、ダム技術者にとっては非常に貴重な時間であったこと。
また、トンネル開通後のダム建設においても、工事の困難さが主に語られるが、
その裏で、当時の副社長の平井寛一郎氏がダム建設に口出しをする世界銀行と渡り合い、主張を通した秘話も聴くことが出来たこと。
この話はまるで一つのドラマであった。
ダムの設計図はSoluton16まであり、当初は完全アーチ式ドーム型ダムであったが、
最終的には地形、地質の弱点を避けるため、ウィングダムが両サイドに設けられ、技術者としてはプライドを捨てた苦渋の選択だったこと。
ダム堰堤の上端20数メートルくらいが岩盤に密接されていない理由のこと。
もちろん、これらの話は黒四をよく勉強なさっている方々には承知のことかもしれないが、
私のような一般人はここまでの話はあまり知らされていない。
メディアが語る事が全てではないのである。
講演会場になった資料館には、黒部ダム建設の記録写真や数々の資料が展示されており、中々興味深い。
黒四に興味がある方は一度訪れてみてはいかがかと思う。
講演終了後、階段でお帰りの奥野先生とご挨拶させていただく機会があったが、
なぜあの時、握手をさせていただかなかったのか、非常に悔やむばかり。
なんてバカなんだぁ〜〜〜〜!
実際に黒四に携わった方のスピリッツを感じたかった!
ん〜、黒四の新たな歴史を知ってしまったから、今年もまた下ノ廊下に行きたくなったぞ。
歴史を知って望む登山は非常に心に残り、また楽しいものである。
最後に、
貴重なお話をご講演いただいた奥野義雄先生には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
写真は会場と展示物の数々。
「黒部の太陽」の作者、木本正次氏の直筆サインは貴重だ!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する