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Yamareco

記録ID: 102773
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
白馬・鹿島槍・五竜

白馬三山縦走

2008年07月26日(土) 〜 2008年07月28日(月)
 - 拍手
nobou その他4人
GPS
56:00
距離
23.4km
登り
1,908m
下り
2,489m

コースタイム

7月26日(土);栂池高原駅7:20‐7:50栂池登山口8:10‐8:50栂の森・水場9:05‐9:30天狗原-9:40湿原11:20-12:05雪渓終点12:25-12:30尾沢氏と12:45-13:10白馬大池・幕営
7月27日(日);大池6:00-6:57前ピーク7:07-7:57小蓮華岳8:11-8:51三国堺9:15-10:05白馬岳10:35-10:40白馬山荘11:55-12:45杓子分岐13:07-13:20杓子・鑓の鞍部14:46-14:58頃鑓・第1分岐-15:10鑓・ピーク下分岐-15:20頃・鑓下部ハイマツ帯で待機16:45-17:00頃鑓温泉分岐17:15-17:45天狗山荘・泊
7月28日(月);天狗山荘6:51-7:16鑓温泉分岐7:22-8:25鎖場待機8:40-9:05鑓温泉9:50-10:30崩落地-11:14サンジロ-11:55小日向コル12:15-13:15(休)13:25-13:50猿倉
天候 強風,雷雨,落雷あり
過去天気図(気象庁) 2008年07月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車 自家用車 ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
往路/FHC;広島-(バス)-栂池高原駅  nobou;明科-(車)-栂池高原駅
Toshi;新宿-(バス)-栂池高原駅,大池で合流
復路/猿倉-(TX)-八方バスターミナル(Toshi下車)-栂池高原駅-ミミズクの湯-森くら・泊
7月29日(火);解散/FHCはバスで帰広

感想

 初めてのアルプスが白馬岳だった。以来40数年白馬に通い続けて、明日からまた白馬。昨年に続くアルプス冒険学校は、平郡島のキャンプとの関連で日程を散々捏ねまわした挙句、こともあろうに夏休みが始まる前の授業日に設定してしまった。長野県の小中学校は8月から夏休みに入ると言うことを、すっかり忘れてしまったのだ。
 そんな訳でスタッフとして手伝ってくれることになっていた広島佐伯FHCの山仲間の援助を無にしてしまったが、彼らはその計画を夏の山行としてそのまま実行することになり、久々に純FHCのメンバー5人による山行が実現することになった。
 メンバー中の2人の若者は、広島時代の冒険学校のOB。1人は小学1年生からのつき合いで25年になる。今はバリバリのクライマーとして『岳人』誌の表紙に度々登場している。
 もう1人は中学に入ってからの入会で黙々と歩いていつの間にかそこにいると言う寡黙ながんばり屋だった。昨年は怪我を克服しての再開第1歩の山行だったが、今年も同じコースを歩きたいと言う。今年のコースは彼女の意向を汲んで決めたコースでもある。
 かつての冒険学校の子ども達が成人となり、同じ会のメンバーとして共に登ると言うことには感慨深いものがある。
 台風5号の強風下を歩いた前年とは打って変わって、今年は暑い日になりそうな予感がする。

 7月26日(土)
 栂池高原駅7:20発、栂池登山口着7:50。8:10発、同50、栂の森の水場で休憩。9:05発。天狗湿原下に雪渓あり, 9:30天狗湿原休憩所通過。風吹方面への分岐点から右に進んで山の神尾根への分岐に荷をおろす。ここで11:00まで湿原を散策。戻って昼食とし、11:20発,乗鞍への登りにかかる。
 岩場が混んでいたので早めに雪渓に入り渡る。12:05、雪渓終点で氷にシロップをかけて食べる。12:25発。同30,ケルンの手前で我が白馬学の師である尾沢さんに会い、10分ほど話し込む。聞くところによると大池山荘でツアーのガイドが心筋梗塞でなくなり大変だったとのこと。朝からヘリが飛んでいた訳が分かった。12:45発。13:10大池山荘着。すぐにテントを張る。

 自炊小屋には尾沢さんが話していた亡くなったツアーガイドに率いられて来た徳島の6人の登山者がいて、急遽駆けつけた地元ガイドの案内で下山するところだった。見かねて尾沢さんが午前中の2時間ほど付近を案内したそうで、亡くなった人も気の毒だが、ツァー客も気の毒と言う他ない。言葉少なに悄然と帰って行く6人を見送る。
午後から気温が上がり、みな暑さを避けてテントの影やハイマツの間に入り込んで休むなどして時間を過ごす。トタン敷きのテーブルの上で寝ていてふと気配を感じて目を覚ますと、後から追いかけて来たToshiがいた。これで5人が揃う。
 16時過ぎから夕食準備。初日はnobou担当で定番の十目チラシ寿司。予め錦糸卵,キュウリの千切り,針ミョウガ,カニカマ,アナゴ代わりのウナギの蒲焼を刻んだものを用意し、アルファ米を湯戻しして混ぜる。5人にたっぷり6人前の分量で満腹。副菜の赤タマネギスライスの味付けモズク和えも大好評だった。
 食後は夕焼けや日没時の雲の変化を楽しみ、暗くなってからは大町方面の稲光に喝采を送るなどした後、早々に休む。いつものように前日2時間しか寝ていなかったのですぐに寝ついたが、0時前には目が覚め、後は考え事をしたり時々はウトウトしながらひたすら夜が明けるのを待つ。夜半にきれいな星空を見る。

 7月27日(日) 
 順調な滑り出し
4時起床。湯を沸かしてアルファ米の山菜おこわを湯戻ししているところへ食担の@kiが来たので後を任せる。朝食はメザシとミリン干し,みそ汁。終ってパッキングをてきぱきと済ませ6:00出発。花を楽しみながら雷鳥坂をゆっくり登る。花はハクサンコザクラ,リンネソウ,コマクサ,コゴメグサ,チシマキキョウ,イワキキョウ等。特にイワキキョウの濃い紫が目立つ。
 6:57〜7:07,小蓮華の1つ前の大池から見える一番高いピークで休憩。二重山稜にかかるとハクサンフウロ,シナノキンバイ、クルマユリ,ツリガネニンジンの仲間、タカネヤハズハハコなどが現れる。この辺りから白馬岳方面からの登山客が列を成してひっきりなしに下って来るのにぶつかり、待つのに時間を食われてなかなか進まない。
 7:57〜8:11小蓮華岳下で休憩。前方にガスの動きがある。昨年は崩落があって立ち入り禁止になっていたのを気づかず通過したが、今もロープが張られている。 8:51〜9:15,三国境で休憩し、10:05白馬岳登頂。同35発,10:40白馬山荘に着いて大休止。思い思いに食べたり飲んだりして11:55まで寛ぐ。

 風速?十m・・? 稜線で雷雨に遭う
 白馬岳までは順調に来た。今回は対象となる子どもがいないので自分達だけの登山となった。その分だけ、他に気を遣うことなく純粋に花を楽しんでいることに気づく。少なくとも杓子岳の分岐まではそうだった。
 12:45,杓子岳の頂上を踏んで行くつもりで分岐点で休憩。この時鑓方面で雷鳴がしたので頂上通過はやめて先を急ぐことになり13:07発。  
 13:20,杓子と鑓の間のコルに到達する頃、雷鳴 が激しくなり雨が降って来たので雨具をつけて大岩の陰での待機となる。はじめ雲の中の放電だったのが、あっと言う間ににバリバリと言う激しい地上とのやりとりになった。
 鑓の頂上から2パーティー3名が降りてきてコルで交差。1人は足速に杓子方面に向かったが、2人は鞍部の一番低い位置に座り込んで待機の体制をとる。自分達も長期戦の覚悟を決め大岩にへばりつくようにして風雨をさけながら雷の通過を待つ。
 岩の側は決して安全とは言えないし、電解質の塊である人間が5人も固まっている事は雷を呼び込みやすいので、バラバラになって身を伏せておくのが本来であるが、まあどこにいてもさして変わりはあるまいと腹をくくって風雨を避けることを優先する。
 防水能力が落ちた雨具のズボンはたちまち雨を吸い込んですぶぬれなり、上着からも水が入って容赦なく全身をぬらす。風と雨による体感温度の低下は戦意を喪失させ、思考力の低下を招く。
 10分くらい経った時、杓子の道から駆け足で1人のグリーンパトロールの若者がやって来たので、上に行くつもりかと聞くと『いや、今の一発でやめました。ここで待ちます』と言って座り込んだ。
 その状態が1時間近く続いた後、雨が雹に変わりバラバラと雨具を叩きはじめた。

 目の前に落雷
 すぐ前に雪渓があり、その先に岩場があって岩場から崩れた土砂が雪渓の上に小さな堆積をつくっていた。その方面を何気なく見ていた時,突然カチッと言う音がしてどよめきが起こった。その瞬間,私が眺めていた岩場のすぐ左上で火柱が立ち、電光が岩の表面を植物の根が枝分かれすように分散して走ったのを3人の仲間が見たと言う。距離にして40mほど先でのできごとで、それが我々のいる岩場でなかったのは単なる偶然でしかないと思われた。
 雷撃を受けた岩の付近からパラパラと少量の砂が落ちていくのを見た者もおり、私はそれらの瞬間を見逃したことに切歯扼腕したが、雷はなおも激しく暴れまわって容易に収まりそうになかった。
 待機中,この雷と雨を何故予測できなかったかが議論になり、白馬岳通過時の天候に対する楽観視が浮き彫りになった。

 予測しようとしなかった雷雨
 一昨日から昨日,今日と雷予報は出ていた。にもかかわらず今日のこの激しい雷雨は予測できなかった。いや予測しようとしなかったと言うのが正しい。極論すればタカをくくっていた。
 それは単なる熱雷だと決めつけて天気図で寒冷前線の存在と位置に関心を払わなかったからだ。なので熱雷なら午後2時か3時頃までに着けばいいと考えていた。雷3日と言い、一昨日も昨日も雷は夜だったし、今日は朝からそれほど気温の上昇は感じられなかったので熱雷の発生はあったとしても遅い時刻で規模も小さいだろうと考えていたからだ。
 けれど白馬山荘で天気図を見て閉塞前線を確認していた者はいた。しかしそれをもとに天候判断について検討しようとしなかった点では見なかったのに等しく、結果的に閉塞前線の影響については誰もが注意を払っていなかった。
 閉塞前線は寒冷前線の動きが速くて温暖前線に追いついて、冷たい空気が暖かい空気の下に潜り込んで暖かい空気を押し上げるために激しい上昇気流を生じさせる。冷たい空気同士のぶつかり合いであっても2つの気団に温度の差があって前方の空気が追いついた空気より冷たい場合は追いついた空気が前方の空気に乗り上げて上昇気流となり、反対に追いついた空気が冷たい場合には前方の空気の下に潜り込んで前方の空気を押し上げて上昇気流を生じさせる。
 いずれの場合も激しい上昇気流が生じることによって雷雲が発生する。これは界雷と言われて熱雷とは区別される。時に両者が同時に起こることもある(熱界雷)が、界雷は季節や時間を選ばないから午後2時,3時までに着けば・・,と言うのは通用しない。また前線の動きに伴うものなので広範囲に及ぶ。

 仮に白馬山荘通過時に、界雷の発生が予想されることを知っていれば突っ込まなかったか・・,と言われればそこは何とも言えない。多分,『まあ早く通過すれば・・』と急ぐ程度だったのではないかと思う。
 だが、それでも杓子岳の頂上ルートとの分岐点で最初の雷鳴を聞いた時,界雷だと確信すればまだ白馬岳方面に引き返す選択肢があったことは確かだし、コルに到達した時点であってもなお白馬岳に引き返す選択肢はあったと言うことが言える。この点は言い訳のできないミスである。

 一難去らず、次の難!
 目の前の落雷の後も雷公は暴れまわったがやがて白馬岳方面に幾分移ったかと思われた。グリーンパトロールの若者が立ち上がって鑓に向かうと言い、私達は様子を見させてもらうと答え、若者が70〜80m上のハイマツで避難していた単独の登山者と何やら話しているのを見て、私達も上に向かう。
 14:46発。同58,単独者が避難していた道標を通過。ここまで来て俄かに風が強くなる。経験から20m/秒くらいの風と思われたが、踏ん張って歩けない風ではない。
 更に進んで白馬鑓の頂上に向かう分岐点にかかる頃,再び雷鳴が頭上で轟き、後ろからマッキンレーで風速40m/sを経験しているToshiが追いすがって『スピードを上げて一気に越えて下ろう』とプッシュしに来た。
 一番しんどいところだったが『得たり応!』と加速して分岐点を通過。下りに入って後方を振り返り、ついて来ているのを確認して歩き始めた途端に風が一段と強くなり、吹き飛ばされそうになる。
 下りに入ってから最初の100mほどは風下に向かって斜め進むので強風に押されて半ば転がるように進む。『かつて経験したことのない風』を感じてハイマツか何かの陰に避難しようと目の前のハイマツの風裏に入ることを考えたが、そこから先は下に雪渓のある急斜面であるし、道はそこから右に折り返しているので敢えて風上に向けて突っ込んでジグザグを切りながら徐々に下る。
 幸いなことに左手信州側に縦にハイマツ帯があって仮に吹き飛ばされてもそこで止まると言う安心はあったが風を避ける場所がなく、殆ど四つん這いで風上に向かって進みながら徐々に下る。
 風上に向かっている時は踏ん張って耐えていればいいのだが、問題は逆に道が風下に切り替わる時で、風に背を向けて慎重に立ち上がろうとしたところを狙われて吹き飛ばされ、2mほど先にもんどりうって転ばされて右手を岩角にぶつけた。同じことをやってもう1度同じように吹き飛ばされたが、左手のハイマツ帯に沿って50mあまり下り、そのハイマツの切れ目に逃げ込んで一息つく。
 後続と離れたのが気になったので、そこに荷物を置いて戻ろうと考えたが、その荷物を持っていかれる恐れがあったので更に下って少し窪みがある感じのハイマツ帯まで一気に走り、風裏と言うよりも風の下のわずかな凹みのハイマツの根に体を押し込んで風雨を避ける。そこに荷を置いて空身で登り返そうとしたが、とても登れる状況ではなくそのままハイマツの中に潜って待つしかなかった。
 雷はなおも頭上にいたがもはや気にもならず、ひたすら後続が到達するのを待つばかりである。

 予兆はあった
 ハイマツの中に潜り込んで風雨を避けながら、頭の中でこの事態に至らしめたことに対する自責的自問自答が始まる。
 確かに杓子岳を通過する辺り、時刻で言えば12:50頃を境に天候は急変した。それはあまりにも突然の変転で予測できなかったと言えなくも無かった。
 が、その変化の幅は大きすぎたとしても、天候が悪化の方向に向かっていることは予測しなくてはならなかったし、振り返って見れば小蓮華岳に到達する前頃,黒部側に黒いガスがあって本峰や剣・立山方面がスッキリ見えていなかったのが気になっていたと言う予兆を実は感じていた。だが、それ以上にノーテンキにこの日の稜線の花の素晴らしさに浮かれていた・・。
 夏の後立山連峰から燕・常念にかけてのアルプスの稜線は、安曇野の方からはスッキリ見えることは少ない。だがそんな時でも稜線に出ると西側は大抵晴れていて飛騨側や越中側はきれいに見えることが多い。
 なので雷鳥坂を登りきって小蓮華岳を望む位置まで来ると剣岳の秀麗な姿に歓声が上がるし、立山・薬師方面から槍・穂高岳や三俣蓮華岳・黒部五郎岳までをスッキリ見渡せ、白馬岳山頂からは黒部ダムの観光放水まで見ることができる。もし鹿島槍の双耳峰に代表される後立山連峰までもがきれいに見渡せることが出来たら、これ以上ない夏型の最高の天気である。
 それに照らして見ると山が晴れている時のこのパターンが朝から見られていなかった。稜線の左(信州)側からガスが上がってくるのは普通のことで、真に暑い時にはこれが上昇気流となって午後には雷雲に発達するのでこれと競走で行動すればよいことになる。これに対して飛騨側にガスがある場合は前線の影響を疑うべきだったし、白馬山荘ではそれを確認することが何よりも重要だった。
 緊張感をもって注意深く雲の動きを観察し深く読んでいれば、花に浮かれてばかりいられる場合ではなかったのだ。
 こんな問答を100回繰り返しても今のこの事態が変わるわけではない。もしことが起こったら、頼まなくても各方面が容赦なくバッシングしてくれるだろう・・。今は濡れてガタガタと震えが来る体を何とかすることと後方の4人との連絡を取ることが先決だと気づいてマイナス思考を打ち切る。

 仮想の6000歩
 後続の4人の状況を考えて見た。現在どこまで来ているのか,自分とどれだけ離れているのか,4人のうちの誰かが事故っていないか・・等々。
 まず、距離的に鑓のピーク下から自分の位置までの距離がそれほどある訳ではなく、また峠を越えた時の位置関係から両者がそれほど離れているとも思えなかった。吹き飛ぶ雨とガスで見えないことが不安を助長しているが、事故っていなければ我々は比較的近い所にいるのだろうと考えた。
 峠から左下に向かって下り始めてハイマツにぶつかった所から右折する所を直進して雪渓に向かわないかと言うこと、またそのハイマツがわずかな風除けにもなるので避難場所として利用できなくは無いが、4人には少し狭すぎると言うこと,そこに留まることなく下降を続ければ風を避ける所が無く、避難するとすれば自分が最初に逃げ込んだハイマツの切れ目にまで下がるしかないこと等々・・。
 次に誰かが事故を起こしているとすると、必ず1人が風雨を突いて自分または天狗山荘に連絡を取ろうとするだろう,そしてその役は若いToshi君だろう。その様子がないところを見ると少なくとも事故は無いと判断してよいだろうと考える。
 後方にいるOgaは沈着でベルクバハトの訓練も積んでいるし、Toshiは海外の高所経験が豊富だから、道を間違えることは無く避難場所を何とか見つけているだろうと考えた。こうして後方の心配を取り除くと自分の体に対処することが一番重要だと言うことになる。
 明けない夜は無いと言うが止まない風もない筈だ。早ければ2時間,長くて5時間を想定する。仮に一晩中吹き荒れて動けなければ、できれば4人を糾合してこの場所でテントを体に巻きつけて5人固まって一晩中押しくらまんじゅうでもやっていれば朝になるだろう,糾合できなければ後もテントを持っているので同じ方法を取るしかないだろう・・,と考えて最悪のビバーク方法に決着。
 次にその間にぬれて冷えた体を持ちこたえさせればよい,と考えた。雷のことはどうしようもないのでもはや頭から消えていた。
 じっとしていれば冷えるばかりである。ぬれている体を温めるには体を動かすしかないので、ハイマツの中に潜り込んだだまま風雨の中を歩くのに近いを状態を想定して足を交互に踏み、片腕を振るような仕草を続けることにした。
 疲労凍死と言うのは単純に冷えると言うことではなく、体内で燃焼するエネルギーが切れて補給できない状況に陥った先に来るものだから、エネルギーが補給できる以上は体を動かして燃焼を促すべきだ。寒い時にブルッと身震いが起こると体温が2℃上昇すると言う。幸いにして食料はまだ2日分以上あるので腹が減るぐらいしっかり体を動かすべきだ。暑くなるほど動くことは出来ないまでも、体温が常温になればぬれも少しは乾いてくるはずだ。山ではよく着干しと言うのをやるではないか・・,と考える。
 時にはイチィ・ニッと元気よく声を出して数を数えながら、1000歩,2000歩と仮想歩きで体を動かす。少なくとも小刻みな震えは止まった。
 4000歩を数えた頃,風の中に時々息を感じたような気がした。はじめは希望的観測かも知れないと一旦楽観論を退けた。だが、1時間あまりたった頃、一瞬も途切れることのなかった轟音に切れ目〜風の息が感じられるようになり、それと同時に雨が小降りになって目の前の小ピークがハッキリ見えるようになった。いつの間にか雷鳴がおさまっていた。 


 地獄に仏・・・山荘からの救援!
 4000歩を数えた時点でわずかながらハッキリと風の衰えを感じた。それ以上に目の前の小ピークがスッキリと見えて、雨がかなり小降りになったのが分かったので初めて立ち上がって後方を見ると、やはりそこに後のメンバーがいた。
 こちらはある程度希望的予想をしていたが、向こうは最も居そうに無い(Toshi)所からひょっこり顔を出したのでびっくりしたらしい。何にしても安心したし嬉しかった。
 Ogaがしきりに手で合図をよこすのだが意味が掴めない。進行方向に対して手で×のジェスチャー,続いて手で左(信州)側を指している。4人いるはずだが3人しか見えなかったので、1人は左手で示した方の陰に居ると言う意味かと思ったがよく分からない。面倒になってまた潜り込み、まだ歩ける状況ではないので更に2000歩ほど仮想歩きを続ける。
 6000歩で天狗山荘の方に進む決断をして後方に伝えようと立ち上がった時、突然一行とは別の単独の人が現れて大股で通過して行ったのに驚き、またそれに勇気づけられもして後方に合図を送り、先行者の後を追う。時刻16:45。
 正確な記録が無いが、鑓のはじめの道標通過が14:58,ピーク下の分岐点通過が15:10頃で、その後、風を避けてハイマツに潜り込んでいたのが15:20か25頃,それから16:40頃までの約1時間あまりをそこで待機していたと思われる。
 16:45発。17:00頃,鑓温泉への下降点に到達。ここに来て初めてOgaの手信号の意味が解り、下降ルートに入って風を避けながら後続を待つ。その下降点への入り口がちょっとした鞍部で風の通り道になっていて煽られそうなのでOgaと一緒に来た紅一点を確保しながら風裏へ引っ張り込んで一先ず落ち着く。
 ここで下降ルートに入って鑓温泉まで下るか、途中の大出原でビバークするか、いずれにしても下へ行こうと話していた丁度その時、天狗山荘から心配して駆けつけてくれた人があった。
 山荘の支配人と思われるその人は、私達の戦力と士気を確かめ、下ってビバークするつもりだと言う私達に『小屋までは30分で稜線部分が20分,この区間を頑張れば後は風裏なので小屋へ行きませんか! 女性の荷物は私が背負います。荷物が無ければ軽量でも飛ばされることは無いでしょう・・。他の方も荷物が無理なら後で取りに来る手もあります』と言ってくれた。地獄に仏の思いで有りがたく申し出を受け、残る2人の到達を待って最後の難関に向かう。
 17:15発。稜線を左に寄らないようにトップで進む。すぐに西空が晴れて富山湾と能登半島らしい島影が見えているのに気づき、後に伝えたる。
 5月に歩いたコースを山の上から見る感慨に浸る余裕は無く、一時も早く稜線を抜けることに全力を注いで、丁度20分で道標を通過,更に10分後の17:45小屋に着く。

 炉辺に憩う
 17:45天狗山荘着。すぐに乾燥室に案内されてストーブで暖をとり濡れたものすべてを乾かして人心地をとりもどす。ストーブの周りには、先ほど追い越して行った人をはじめ、コルのすぐ上にいた単独の人や降られたけれど比較的早く着いた人等、いずれも中高年の数人の男性が激しかった風と雷雨の様子をこもごもに語っており、私達もその輪に加わってしばし炉辺談話を繰り広げた。雨に打たれながら夢のようにこがれた暖かいストーブのそばにたどり着いた安心感からか、みなが饒舌になっていた。
 乾燥室の窓からは白馬鑓のピークから下の経路がよく見えた。ピークのすぐ下の道標から道は信州側に向かって斜めに下り、ハイマツ帯の始点からほぼ直角に右折している。そのハイマツ帯の頭で風を避けれなくはなかったが狭く、またその先は雪渓に落ちていて無理に下れば戻れない方に進んでしまう。ここを右折するのは風上に向かうことになり、また風を避ける場がなかったのでしんどかったが正解で、縦に伸びるハイマツ帯に沿って下り、ハイマツ帯の切目で風裏に入って凌ぐことができたのは幸運だった。この間の距離はわずか400m程である。
 私自身が潜り込んだハイマツの凹地はその先にある小ピークの陰になって小屋からは見えていないが、その小ピークがなかったら多分鑓温泉への下降点の三叉路まで前進していた筈で、そうすると後続の4人との距離が開いてしまっていたと思われる。この小さなピークがあったために出来たわずかな窪みが絶好の待機場になったと言うことがここからよく分かった。
 山荘の支配人氏は、一旦ピーク下に現れた私が再び小ピークに隠れたままいつまでたっても出て来る気配がないので迎えに来てくれたと言うことだった。私達が来ると言うことはグリーンパトロールの若者が伝えてくれたものと思われたが、山荘では顔を合わすことがなく、礼を言いそびれてしまった。
 多くの人ぴとの助力で、こうして暖かいストーブまで来ることができた。わざわざ迎えに来てもらった上に荷物まで運んでもらった私達が素泊まりすることにしたのは自然のなりゆきで、その後はゆっくりとくつろぎ、自炊小屋での夕食の準備にかかる。
 キャンプ場にはテントが1張りあったが、それは昼までに着いた人のもので、もう1人はテントを張ろうとしたが強風でどうにも出来ず断念したと言った。
やや小降りになったとは言え雨はまだ降り続いている。明日は晴れれば唐松岳を目指すが、天候は未だ不透明で予断を許さない。

 鑓温泉に下る。
 こう言う機会でもなかったら小屋泊まりなどしないが、2Fはがら空きだったので遠慮することもなく、また疲れていたこともあって珍しく他の人達より先に寝た。途中で目覚めはしたが、その後もまた寝て途中で雨の音を感じ、4時を大きく過ぎて起きる。自炊小屋へ行っていつものようにアルファ米を湯戻しする。すぐに@kiが来たので任せる。
 はじめは単に雨だったのが雷雨となり、かなり激しく鳴り始めた時点で唐松岳への縦走を誰も口にしなくなってごく自然に鑓温泉への下りが決まった。
 再び雷雨の稜線を鑓温泉への下降点まで歩くのは気分が重かったが、大半が雨を衝いて出かけた後、雷鳴が収まり、雨も小降りになったのをチャンスと見て6:51に出発する。7:16〜22分岐点で小休止。その時点で雨具は要らなくなっていたが少し下って大出原上部の雪渓で雨具を脱ぐ。
 大出原まで下るとそこは風雨の心配どころか、昨日来の稜線付近の悪天が信じられないほどの穏やかな世界で、湿性お花畑を楽しみながらののんびりした下りとなる。荒天を知らぬげに登ってくる女性だけのペアと男女のペアを見送る。この先の稜線でもこの穏やかさが続けばよいが・・。
 8:25〜40,前方に大集団のパーティーがあり、鎖場で渋滞してしばらくは動けそうにないので座り込んで待機し、9:05鑓温泉着。みなは入浴すると言うが面倒だし、その先の長さを考えるとその気にはなれない。いつものことなのでこの温泉には一度も入ったことがない。
 9:50発。まっすぐ下った後、崩れた土石が幅広く河原状に堆積した部分を横切り、10:30頃,最後の大きな崩落部分に到達。前方で大きな石が下に転がり落ちる音を聞く。そこは土砂が滑った後も生々しく、足場を築こうにもズルズルと滑ってしっかりしたスタンスのとれない斜面の土砂の上を騙すように足早に通り抜けるような所で、動く石の音を聞きながら素早く通過して抜けたと思った時、はるか上部でガラガラと石音がして先に通過していた2人連れのパーティーが大声で『ラク〜ッ』と叫び、前にいた仲間達が『早く抜けろッ!』と口々に喚いた。
 そんな現在進行形の崩落現場を通過して10:40に2人連れがいた広場に着く。そこで休んだ10分の間に少なくとも4回の落石を目にした。落石は、およそ70〜80m上部の岩場から始まり、コースを蛇行しながら他の石を巻き込んで次第に大きくなる。大抵は通過部分の30mほど上で止まるが、中には勢いよく下まで落ちて来るものがある。そう言う上部からの崩落がある一方で、その場の足元から大きな石や土石が下に動き出して巻き込まれる危険もあった。
 休んでいる間に先ほど鎖場で待機させられた宮崎県から来たと言う集団が現場にさしかかったがすぐに引き返し始めた。雪渓を下って小日向のコル手前で合流するか、あるいはもっと下まで行けるコースがあるのかもしれないが、その決断の速さから地元ガイドが付いているものと思われた。
 崩落現場から10分ほど歩くと従来の水平道が使用不能になっていて河原に下ろされ、新しく切り開いた道を延々と歩かされる。常念岳の一の沢の道とまったく同じ状況で、これも一昨年の7月豪雨によるものと思われた。
 11:35,小さな沼のほとりを通過して川底から小日向のコルへの登りにかかり、11:55コルに到達。20分休んで12:15発。さらに長い長い下りが続き、表土が剥ぎ取られて河原状になった道からやがて樹林帯に入る。13:15〜25小休止。同40林道。13:50猿倉に着く。
 天狗山荘から7時間,鑓温泉からは4時間。長い道を飛ばして歩くとダメージが大きいので今回はゆっくり下った。

 終章
猿倉からTXでToshiを八方バスターミナルに送った後栂池に戻り、白馬のミミズクの湯で入浴。大町に移動してスーパーで買出しし、その夜は森くらのツリーハウスに泊まる。
 @ki特製のグリーンカレーが絶品・大好評で、森くら支配人のTomさんとOkunを交えて交流。Okunとは8月1日〜7日の平郡島キャンプで4人全員が再び会うことを約す。
 終り

 附;大幅修正された梅雨明け・・・気象庁発表確定値
 9月1日,気象庁は08年の『梅雨入り,明けと梅雨前線の特徴について』を発表した。これによると北陸の梅雨明けは速報値の7月19日から立秋前日の8月6日へと大幅に修正されている。2日や3日のずれ,大きくても1週間程度のずれならともかく、3週間もの修正である。ちょっと大きすぎるんじゃないか・・,と驚いた。
 関東甲信の梅雨明けの平均値は7月19日,北陸のそれは7月22日である。これに対する08年の速報値は、関東甲信が7月19日ごろで平年並み,北陸は平年より3日早い7月19日ごろとなっていた。
 昔は『梅雨明け10日』と言う言葉があって、7月20〜30日頃が『山の天候が最も安定する時期』と言われてきた。近年の気象変動でそう言う実感はあまりしなくなったが、意識の底には『梅雨明け10日』と言う感覚めいたものが居座っていて、それに支配されやすい年代である。
 気象庁の発表であっても鵜呑みにしてはいけないとは思いつつも、日頃から気象について充分に注意を払ってその動きを追い、独自の見解を持てるほどの気象通ではない。なので『ずいぶん早い梅雨明けだなぁ』と思うその次には『今年の夏は暑くなるんだろうなぁ』と言う思いが来て『7月後半は山は大丈夫だろう・・』等と迂闊にも単純に思ってしまった。この安易さが命取りになるところだった。

 7月27日は若狭湾から新潟にかけて大荒れの日で、平地でもテントが吹き飛んで死傷者が出るほどだった。白馬稜線では予報は出ていたものの予想を越える激しい雷雨と強風で60代の夫婦が被雷し、県警のヘリが捜索する騒ぎがあった。
 以下はその様子を伝える記事
『27日午後2時50分ごろ、北アルプス白馬岳(2932m)付近で、岐阜県中津川市の男性(66)と妻(60)が落雷に遭い、手足がしびれて歩行困難になったと、同じパーティーの仲間が白馬山荘を通して通報した。県警ヘリなどが捜索したが発見できず、翌28日午後、白馬岳から約3キロ北の雪倉岳の避難小屋に自力で避難していたところを発見され救助された。男性は足に軽いやけど、女性は無事だった。大町署によると、山小屋にはほかに千葉県の50代の夫婦と兵庫県の60代の男性も落雷を避けるため避難していたがけがはなかった。2人は同県の登山サークルのメンバー計6人で27日白馬岳に入山。29日に下山する計画だった。27日昼頃、三国境から同山荘に向かう途中だった。ほかの4人は山荘にたどり着き、無事だった。落雷の後、2人は『手がしびれる』などと症状を話すことはできたが、パニック状態だったという(「歩行困難になった」の報も)。一帯は当時、激しい雷雨だった。』
(産経新聞、時事通信、信濃毎日新聞、NHKなどからデータ引用・抜粋した〜『山道を行く〜遭難カルテ』http://yamayakenta.blog51.fc2.com/blog-entry-460.html の記事から引用)

 同日,同時刻,私は白馬鑓から天狗山荘に向かう稜線上のハイマツに潜りこんで雷雨と強風が収まるのを待っていた。
 その事態に至ったのは事前に前線の動きを調べもせず、また雷の予報が出ていたにも関わらず安易に稜線に入ったことに尽きるのだが、『梅雨は明けた』と言う思い込みがあったことは確かで、しかしハイマツの中で寒さに震えながら『梅雨は明けていない,夏はまだ来ていないではないか・・』と喚きつつ、『天候の判断は自分でしなければ駄目だ』と言うことを思いっきり実感していた。
 なので今年の梅雨明けに関してはいずれ修正の発表があるだろうと予測していたが、まさか3週間もの大幅修正があるとは・・,でも実際がそうだったんだよね!
 修正された梅雨明けの翌8月7日は立秋。梅雨明けと共に秋が来たのだった。確かにその日から風が変わったのを暑い最中の広島でも感じた。まして北陸や信州では短い夏だったのだ。
 
 気象庁にとってもこの修正は屈辱だろうしつらいだろうなと思うが、現場では命に関わるので同情している訳には行かない。
 それでも登山現場は自己責任である。現場での感覚をより研ぎ澄まさなければならないし、それ以前に過信と無知を戒めなければならないと強く思った次第。

 以下,発表内容の原文
『報道発表資料
平成20年9月1日
気象庁
平成20年の梅雨入り・明けと梅雨時期の特徴について
平成20年の梅雨入りは、沖縄・奄美と東北地方ではかなり遅く、東日本と西日本ではかなり早かった。梅雨明けは早いところが多かったが、北陸地方と東北南部はかなり遅かった。降水量は、6月は平年並のところが多かったが、7月は東日本と西日本でかなり少なかった。
気象庁では、毎年、春から夏にかけての実際の天候経過を総合的に検討し、各地の梅雨入りと梅雨明けの確定及び梅雨時期の特徴のまとめを行っています。今般、平成20年の梅雨についてとりまとめた結果は以下のとおりです。
1.梅雨入り・明け
今年の梅雨入り・明けを別表1、2のとおり確定した。
2.確定値のポイント
(1)梅雨入り〔九州北部、中国地方〕
速報での梅雨入り発表後はおおむね予想の通り経過したものの、日照時間や平均雲量など、より長い期間の天候経過及び九州南部や四国地方の天候経過との比較などから、これらの地方と同じ日を梅雨入りとした。
(2)梅雨明け〔北陸、東北地方〕
速報での梅雨明け発表後も、北陸、東北地方では前線の影響を受けて予想に比べて晴天が持続せず、また7月下旬には北陸地方で前線による大雨が発生したことなどから、この前線の影響が解消した後の梅雨明けとした。
3.梅雨時期の特徴(詳細は別紙のとおり)
(1)梅雨入り
沖縄・奄美と東北ではかなり遅く、東日本と西日本ではかなり早い梅雨入りとなった地方が多かった。
(2)梅雨明け
早い梅雨明けとなったところが多かったが、北陸と東北ではかなり遅かった。
(3)梅雨前線
梅雨前線は、5月と6月は日本の南の海上に停滞することが多かった。7月は平年に比べ活動が弱かったが、下旬には北陸から東北にかけて停滞し、局地的な大雨となったところがあった。
(4)降水量
降水量は、6月は九州南部、関東甲信でかなり多く、東北南部でかなり少なかったが、そのほかは平年並のところが多かった。7月は東日本と西日本でかなり少なかった。

本件の問い合わせ先:予報部予報課 03-3212-8341(内線3127)
地球環境・海洋部気候情報課 03-3212-8341 (内線3154)』
 

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