山を食う 武甲山


- GPS
- 04:43
- 距離
- 7.1km
- 登り
- 851m
- 下り
- 850m
コースタイム
- 山行
- 3:35
- 休憩
- 1:08
- 合計
- 4:43
今年は武甲山の「元々の頂上」が消え失せて40周年。思い出の最後の頂上を踏んだ日と同じ5月6日に武甲山登山するつもりだったけれど、都合で1週間早く登りました。
連休中なので混雑を避けるように早い時間のスタート。ノロノロ歩いて皆に抜かれると、のんびり静か〜な登山ができました。鳥の鳴声、鹿の鳴声、小鳥との戯れ、道端の花々。ほんのわずかな時間だけでも、武甲山の自然に溶け込めたような気がしたので、満足でしたよ。
天候 | 薄曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
大型連休中は駐車場が大混雑します。一の鳥居に駐車したい場合は、午前7時前には到着することをお勧めします。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
問題なし |
写真
感想
今回はちょっと変わった志向のレコにしてみましたけれど、その動機は「怒り」です。そして「怒り」の原因は「心の痛み」です。
私は高校・大学と地元秩父ではなかったので、武甲山を見ない時期が数年ありました。秩父に帰ってきて大きなショックだったのは、変わり果てた武甲山の姿。ほとんどトラウマです。絶望。越えてはいけない一線を越えてしまったような倫理的失望。何もできなかった罪悪感。
そりゃ、小学生の頃から夏休みの写生で武甲山を描いていれば、この山が普通じゃないことくらいわかるし、毎日眺めていれば心に引っ掛かる。そうやって秩父の子供は育ってきた。何でなの?何で止められないの?武甲山可哀そう。
そして大人になって世間に馴染むとわかった。食っちゃったんだ、秩父の人間はここで生きていくために武甲山を食ったんだ。進んで食ったやつもいれば、仕方なく食ったのもいるし、知らず知らずに食わされてたのもいる。学校の体育館の緞帳、「○○セメント寄贈」って書いてあった。「△△セメント寄贈」って文字は市内のあちこちで目にしてた。
たぶん、一定の年齢以上の、秩父に生きる誰もが武甲山に対して畏敬の念と共にうしろめたい罪悪感を感じているのだと思う。あるいはもっと感覚的情緒的な「心の痛み」を宿しているんじゃないかと思う。
私の場合は、それがやり場のない怒りになって、他のこととも混ぜこぜになって心の奥底で沸々と煮えたぎってる。時々、苦しくなったりする。あえて武甲山に登ると癒されてしまう。不思議。でも、武甲山に親しむと、かえって怒りが顔をのぞかせる。だから、時々なりふり構わずに吐き出さなきゃならない。
なんで、こんなことになっちゃったんだ?
こんばんは 初めまして ケダマと申します
僕は秩父の人間ではないですし、
武甲山が削られる前の姿も知りませんが
武甲山を削ったのは「日本の歴史の必然性」だと思っています
決して秩父の人だけが(Noromatanukiさんの仰る言い方を借りれば)
”食った”訳ではないはずです
*今住んでいる日高に太平洋セメントがあることもあり、
僕自身もその”食う”行為に一部加担しているとも言えるかもしれません
ご存知の通り、武甲山の石灰岩を原料としたセメントは
埼玉はおろか東京を始めとした関東一円を主に、
遠くは近畿まで高度成長期のインフラ整備に使われました
それらは色々な形で今も僕らの日常を支え続けていますし、
僕ら日本人が”食った”武甲山は違う形で存在し続けている、と
僕は常日頃から考えるようにしています
従って、いつも武甲山を眺めるときには、
よく言われるように「痛々しい」「削られて残念」等とは思わず
感謝の気持ちを持つようになりました
歴史の大きな流れに逆らえず、
仰るような気持ちを持たれるのも十分に理解できますが、
願わくばNoromatanukiさんの「怒り」と「心の痛み」が、
いつの日か感謝と誇りの気持ちに置き換わる日が来ますように…
<追伸>
若輩者が生意気なことを申し上げたようで申し訳ありません
お気に障ったようでしたらコメントの削除をお願い致します
kedamaさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
kedamaさんの仰ること、わかりますよ。
自分が別の状況で意見を求められたら、kedamaさんと同じことを言うかもしれません。
武甲山は山岳信仰では観音菩薩の山でもあったようです。偶然にしろ、身を削って私達を生かしてくれた山として、私はまさに観音様だと思って純粋に感謝しています。
また、高度経済成長期の日本を支えた山であることも事実で、秩父の名を全国に知らしめる山でもあったでしょう。武甲山という存在は私にとってはまさに仏様です。
私の痛みと怒りは、歴史の流れのいくつかの転機の中で武甲山の採掘のあり方をコントロールしきれないでいる人間(自分も含めて)によるものです。
そして、武甲山は秩父では今でも信仰の対象であり、神の山なのです。だから、やっぱり恨めしいですよ。自らが。自分たちの大切な神を削ってそれを見ていて良い気持ちはしません。そのジレンマこそが痛みであり怒りなのです。
何だか夜分遅くにスイマセン…
そうですね、僕も当時の秩父に住んでいる大人だったとしたら
経済の大きな流れの中で、いくら自分自身が止めたくても止められない
本来であれば神様の山であるはずの武甲山を削るなんて、という
歯痒さのような忸怩たる思いを抱えつつも、きっと反対はできないです
その結果がNoromatanukiさんの仰る感情につながるんでしょう
目を遣ればすぐそこに削られた武甲山があり、目にするたびに頭をよぎる感情…
確かに僕はそこまでの思い入れを持って眺められない他所の人間ですから、
完全に秩父の方々の気持ちを理解するのは難しいでしょうね
出過ぎたことを申し上げたようで、申し訳ありません
これから先もまだ規模は縮小されているにせよ採掘は続く様ですが、
以前ほど経済的な依存度が高くない今、武甲山自体の回復や採掘コントロールに関して、
これまでよりは秩父の方々が積極的に関与できる可能性も高いように思えます
皆さんの感情含め、
少しでもあるべき姿に武甲山が近づける日が来ることを祈っています
kedamaさん、再びのコメントありがとうございます。
私の話の足らないところを、kedamaさんのコメントで肉付けしてもらってしまったようで、恐縮です。kedamaさんの2つのコメントを含めて、このレコが完成したみたいな気がします。ありがとうございます。
私にとって武甲山って特別なんです。武甲山の歴史は秩父の歴史そのものですし、自然も文化も民俗も武甲山が育んできたものです。どこかで秩父を思えば武甲山が目に浮かぶし、武甲山が見えれば安心する。
現在の武甲山のことは、この時代を生きてきた私達の人生の出来事なので、なんとかしたい気持ちでいっぱいだし、何かする気分が高まってきました。
Noromatanukiさん、こんばんわ。武甲山の白い斜面、見晴らしのいい日にには北側の群馬県央部からだと涙が流れているように見えます。三角錐のスカイラインが無傷なだけに一層痛々しいです。難しいことはわかりませんが、写真の時代が今生きている人たちの世代というのも、複雑な気持ちになります。花がまだまだ豊富なのが救いでしょうか。スカシユリなどの珍しい種はきちんと残して欲しいですね。
yamaonseさん、こんばんは。ご無沙汰していました。
群馬の山からも、武甲山良く見えますよね。昔の写真を見ていると、無傷だった当時の武甲山は、周辺の山々からはどんなふうに見えていたんだろう?なんて考えたりします。
チチブイワザクラやミヤマスカシユリ、貴重な固有種があった場所が消失するというのは、どうなんでしょう、今時の常識では考えられないような気がします。武甲山を始め自然そのものは偉大なる「存在」ですから、小さな花の命さえ守れるか守れないかは人間の問題ですね。
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