記録ID: 210149
全員に公開
ハイキング
霊仙・伊吹・藤原
日程 | 2012年07月16日(月) ~ 2012年07月22日(日) |
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メンバー | |
天候 | はれ |
アクセス |
利用交通機関
御池林道沿い駐車場。 多賀町霜ヶ原からのアクセスは土砂災害で林道が埋まっており不可。
車・バイク
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地図/標高グラフ


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コースタイム [注]
7/16(月)10:30登山口出発〜7/22(日)16:30頃発見救出。
コース状況/ 危険箇所等 | 鈴鹿山脈御池岳の谷筋で6日間にわたり遭難を体験したレコです。 公開することに抵抗はありません。ご批判やご意見は甘んじて受け入れ致します。 記載されている情報全てが役立つものと思えませんし、一部オカルト的な内容も含まれています。しかし、私の体験を多くの方々に知っていただくことが悲惨な山岳事故を減らすことにお役に立てるのではないかと信じております。 【当日の装備】 ・食糧(カップ麺、マッシュポテト2人前、パワーバランス4本) ・飲料水(ハイドレーション2ℓ、炭酸ジュース500ml、水500ml) ・野球帽(カーキ色)モンベル半袖ジップアップシャツの下にナイキドライフィット長袖Tシャツ、モンベルパンツ、アンダーにメンズタイツ。 ・バーナー、コッヘル、ガスボンベ、 ・25,000分の1地図、山と高原地図、コンパス、ホイッスル 【なかったもの】 ・雨具、ビニールシート、ツエルト、バックライト付きリストウォッチ、ヘッデンン、GPS、 |
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過去天気図(気象庁) |
2012年07月の天気図 [pdf] |
感想/記録
by yucon
〜7月16日(月)〜
3連休の最終日、天候も良く、以前から登ってみたかった土倉岳−御池岳−T字尾根の周回ルートを目指し自宅を出るが当初の予定より出発時間が遅れたので途中撤退のつもりで行こうと家族宛てのメモには「ノタノ坂、土倉岳、T字尾根、山は登らずに帰ります。帰りは17:00頃」と書いて自宅発。
多賀町霜ヶ原の林道よりミノガ峠を経由してノタノ坂駐車場へと計画していたがミノガ峠を過ぎしばらく進んだところで林道が土砂で埋まっている。林道入口からここまで約1時間30分をロス。来た道を戻り犬上ダム沿いを上り君ヶ畑経由でようやくノタノ坂の駐車場へ到着、時刻は既に10:30であった。先行者が支度をされており間もなくノタノ坂方面へ入って行かれた、自分も行けるところまでは行こうと準備を始める。登山口へ向う、樹林帯を越え茨川分岐を経て高度を上げると稜線に出て鉄塔の下に到着した。鉄塔以降しばらく歩き、程なく土倉岳山頂へ到着、予定より遅れてはいるがこのまま御池岳を目指しT字尾根経由で下山することに決める。御池岳に到達し時間もないので直ぐにT字尾根の取付きを探し下山開始、取付き後少しわかりにくいところもあったがテープや踏み跡はしっかり残っており迷うことなく進む。
山岳トラブルは残り4分の1の行程での発生率が極めて高いと言うが今回も同じことが当てはまった。
順調に下山が進み後はTの突きあたりを左へ折れて林道への取付きを下りれば今回の山行は終了であった。しかし、ここからが私の地獄の始まりであった。
T字尾根を突き当たる前に西方向から今朝見かけた先行者(以後R氏)と出会う。「さっきと同じ所を通ったみたいで 同じ手拭いを拾ったんだ」私「迷われたんですか」 R氏「かもしれない」私「ではご一緒しましょうか」
この時点で自分の緊張度が一気に下がって行った。見た目は私より5歳以上は年上、服装や持ち物から見ても山を歩き慣れた雰囲気、会話の中でも「旺文社の登山コースは全部制覇した。」 この様な言葉や態度に私はR氏に全てを預けてしまった。自らテープや踏み後を確認せずR氏との雑談に夢中になる。気がつくと二人で迷っていた。R氏「迷ったねぇ、もう時間もないし この先に沢の音がするンで沢へ下りて川を下ろう、ちょっと急だけど・・・」力強く言われ 私は付いて行くしかなかった。沢への取付きは問題なかったかなりの急峻だった。残り5m程のところで最初の滑落、沢へ落ち両膝を負傷してしまう。先に下りていたR氏は駆け寄ることもなく先へ進んでいく(この時、不信感を抱くが時は既に遅し)そして沢の出口を覗いて戻ってくるR氏「出口は滝でダメだこりゃ、一旦稜線に出よう」。滑落して負傷までしたのに稜線へ登り返すだって?しかし夕暮れも近づいている。しかし「直ぐに稜線に出るだろう」というR氏に従い登り返す。登る途中もかなりの薮漕ぎでR氏に若干遅れるが何とか付いて行く。 しかしいつまでたっても稜線に出ない、出ないどころか勾配は急になるばかり、R氏は右に巻いて行くが私は直登を続ける。
ほぼ日没、しかし朝までここにいるわけにはいかず暗いながらも登り続ける。そして周りに樹木が無くなって来たころそれまで思い続けていたことを確信する「そうなのだ、今、自分が暗闇の中登り続けているのは“ボタンブチ”の直下なのだ!」見上げると遥か先にボタンブチが見える。休憩を取りながらも上へと進むとボタンブチ直下15m程の所に僅かなスペースがあり今夜はそこで一人ビヴァーグとする。
山頂からはR氏の呼ぶ声が聞こえるので自分がここにいることを告げて夜明け後に活動再開すると返事する。ボタンブチの直下で一夜を明かす人間は少ないと思うが、眼下には雲海が広がり頭上には満天の星空、ホタルの群れも飛び交う見たこともない美しい光景だった。
〜7月17日(火)〜
夜明けより登り始める残り10m程の所でR氏にロープを渡してもらい慎重に慎重を重ねて山頂へ到達、登り切った後慰霊碑に手を合わせる。
R氏の携帯より自宅に電話、留守電に「危機的な状況は脱したのでこれから下山します」と録音。
二人とも今日は会社の出勤日であり下山を急ぐ、しかしその焦りがミスを誘発していく、この時点で二人が持っている水分はなし。どこから帰るとの相談に何故かT字尾根を押してしまう、取付きで悩みルートは2度ロスト。自分の体調のこともあり何度もR氏に先行を依頼するもなかなか行こうとされない、しかし大きくルートをロストした後の登り返し後いつの間にかR氏の姿は消えていた。
既に自分の思考能力が落ちているのがわかる。ようやくT字尾根の最終分岐手前まで来てどちらへ進めばよいか分からなくなり、登山道脇に倒れ込む だれか通りかかったら水をもらおうとひたすら待つが誰も来ない、気のせいか自分のいるところを気がつかれないように迂回して逃げていく登山者がいるように感じた。
ホイッスルを何度も吹き「誰か助けて下さい!」と呼びかけるが反応は無し、遠くの物陰からこちらの様子を窺がう気配だけがする。
15:00をまわり脱水症状が進行しており「水」への思いは募るばかり、フラフラと立上がり川のせせらぎのする方へ進んでいく、少々急だが下に沢があり水が飲めそうだ!川のほとりには水量を計測する機械の制御盤のようなものもあり、今も係員のような人が機械を触っている。「急な沢だが下りて水を飲みその後係員に自分の存在を知らせて助けを呼んでもらおう」自分の中ではそういうストーリーが出来上がり斜面を沢へ降りていく。しかし想像以上の急峻で音はすれども川が見えない、ついにはロープ無しでは降りられず木にロープをかけては次の木にと下降するがついにはロープを掛ける木もなくなる覗きこむと美味しそうな水が流れている沢が見える。もう止まらない、命と引き換えでも水が飲みたくなる。自分の足元の木にロープを掛けてゆっくりと下降する目いっぱい延ばしたところで沢まで3m以上あるだろうか、地面の柔らかそうな場所を選んで落ちた。落ちて倒れ込んだがしばらく動けなかった。ようやく川の水を手ですくい口へ運ぶ、生き返った瞬間だった。浅い沢だったが顔を突っ込み「水」の有り難さを感じる。谷の中州に移動したが身体中にダメージが残り登り返すのは困難な状況だ。時刻も16:30をまわり登り返しも難しい、今夜体力の回復を待って、明日朝から行動しよう、水量計の係員が来るかもしれないしと思いながら辺りを見回すとさっき機械があったところはただの木が生えていた、幻覚だったんだ・・と思い、いつの間にか眠っていた。ふと気がつくとまだ明るい、顎と首筋の間に違和感を感じて触ってみると「ニュルッ」ヒルだ!しかもでかい慌てて剥がして遠くへ放るが血が止まらない 4、5センチはあっただろうか、タオルで何度も拭いてみるがなかなか出血が止まらなかった。暗くなるまでに湯を沸かしラーメンを食べる。谷底での一夜も初めてではあるが野宿も一回経験すれば開き直りである。真っ暗な中ヘッデンを忘れたことや、非常食が少なめであったこと、ビニールシートもないことを後悔したが、無いものをねだっても仕方なく、レジ袋などで工夫して代用する。しかし時計にバックライト機能が付いてないと本当に不便である。
深夜谷底から稜線を見ていると人の気配がしている。どうやら捜索隊が自分を見つけてくれたかと思いこちらの所在もアピールするためガスバーナーを点火し「おーい、おーい」と叫ぶ。「明日の朝が楽しみだ」などと考えているうちに眠ってしまった。
〜7月18日(水)〜
前夜自分を確認してくれたという安心感もありひたすら救助が来るのを待つ、また体へのダメージも残っており 自分を見つけてくれるのは時間の問題と言う根拠のない自信が心を支配し具体的な行動に駆り立てない、自分が今いる位置から下へ50m程行けば日が射すヘリからも目立つ場所があるのに積極的に移動しようとしない、そうこうしているうちに上空をヘリが通過していった。夕方冷静に考えて初めて昨夜の深夜の捜索などあり得ないことに気がつく、全く棒に振った一日であった。
そしてここで大きなミス、バーナーとボンベをつないだままコックが少し開いていたようだ、ガス臭いと気がついたときは既に遅くガスボンベは空になっていた。唯一の火をコントロールする方法を失った。
〜7月19日(木)〜
朝から起きた時から頭の中で今日は救助隊が来る日と言うイメージが出来上がっており自分はただ待てばいいだけというモードになっていた、行動もそのとおり制御される。いつでも救助されるよう荷物をまとめてスタンバイしておく。上流の方で声が聞こえてどうやら私の救出部隊が来たような気配がする。「名前を尋ねられるのかなぁ」「後何時間ぐらいだろう」「救出されたらどう弁解しようか」「何を食べようか?」などと思いを巡らせるも一向に救出活動が具体的に進まない。さっき気配のした上流の方ではまだざわざわしている。15:00になりさすがに痺れを切らして上流のざわついた所へ行くと何も無かった「しまった!また幻覚だ!」と気付いた時さっきまで自分がいた場所の真上をへりがホバリングしている。「お〜い」と近づこうとした時にはヘリは上空へ消えていった。
これで2日間連続で時間を無駄に使ったことになる。「明日は幻覚に惑わされないように、気をしっかり持とう」と誓って日没を迎える。
〜7月20日(金)〜
前夜より自力脱出を考える。当時、自分は小又谷にいるものと勘違いをしており沢を下れば川と合流して川を下れば出られるものと検討する。地図を見ると間に堰堤があるように記されているが高低差も少ないものと予想して沢下りの決行を予定する。
午前中は捜索隊が来るかもしれないので10:00に行動開始とする。今日は幻覚もなさそうだ。最後の食糧マッシュポテトを水で溶き半分食べる。10:00を過ぎ特に変化がないので沢を下っていく程なく谷の出口に近ずく、すると出口は滝であった。しかも直下50mはあろうかという滝・・・。愕然としているところへ雨が降り出す。滝壺へ飛び込もうかと言うぐらい落胆していたが雨がひどくなり我に返る。谷の中心へ戻ったころには大雨、雷が一日中続き更には日没後も夜中ずっと降り続ける。これだけの雨に打たれ続けるのもあまり無い経験だ。雷もすぐ背後で鳴っているかというくらい激しいものであった。
真っ暗な中自分がいるところが水で流されたら終わりだ。座ったところから一歩も動けない。深夜尿意を催したがもし立ち上がって沢に落ちれば終わりだ。一歩も動かず尿はその場に垂れ流した。
雨粒で自分の体に穴が開くのではないかと思えるほどの激しい雨が一晩中続いた
〜7月21日(土)〜
昨日からの雨は早朝に上がったが身体へのダメージは相当だ。雨が上がった後すぐに眠り込んでしまった。目を覚ましたのは10:00頃、地図を準備し再度自分のいる地点、脱出方法を検討する。あまり信じたくないが現在地は「ゴロ谷」だ。R氏とゴロ谷からテーブルランドに乗りT字尾根からまたゴロ谷に落ちていることになる。背筋が凍りついた、「ゴロ谷からは脱出できないようになっているのか?」出ようとするたびに幻覚や雷雨に阻まれて自分がゴロ谷から生きて出ることは許されないのだろうか?
昨日作ったマッシュポテトの残りを腐っているとわかりながらも食べる。
そういえば最近股間がむずむずしている。恐る恐る肛門付近を見ると自分の肛門から次から次へとウジ虫が出てきている。どうやら自分の腸内で卵からかえり肛門から出ていくようだ、出口がないと気に入らないのか股間の皮膚に噛みついて痛い、沢の水の中に卵がありそれを飲むことにより体内でふ化するようだ。
いろいろと考えた結果、沢を下る選択肢はないので尾根を上がる、しかも御池岳側ではなくT字尾根の側に上がり稜線まで上がれば誰かに会えるだろうというもの 12:00過ぎに出発し比較的勾配の少ないガレ沢から取付き高度を上げていった。左右に巻き何とか高度を上げていくが残り20%を残して日没を迎えてしまう。
斜面途中の木の根にまたがり幹に抱きつくような姿勢で夜を迎える。深夜寝ぼけて足を踏み外し木から落ちそうになる。間一髪で踏ん張れた。微動だにできない姿勢で一晩過ごし小便はまた垂れ流した。
〜7月22日(日)〜
朝目覚めると木の上だった。 しかし頭の中では救助隊が既にこちらに向かっているという状況が出来上がっている。ほんの少し上の尾根の方からもいろんな人の声が聞こえ辺りがざわついていた。近所のおじさんの声、飼っている犬の声聞き慣れた声がたくさん聞こえる。
そんな雰囲気の中自分は木の上で安心して待っている。昼頃のどの渇きを訴えるとお茶を用意してくれるという。楽しみにして待っている。
しかし、いつまで経ってもお茶も出ない救助も来ない「「はっ!」と気がつくと時刻は13:30「しまった!また幻覚にやられた!」「どうしよう、この時間からでは上を目指すしか」と考えたが水の量が0になっている。
万事休す。「もう終わりか」とそう思った時、下の沢から声が聞こえる。しかも自分の名前を呼んでいる。こちらからもあらん限りの声で叫ぶが届かない。意を決して「降りよう、出来るだけ早く」思いきって落ちるように下りる。落ちて死ねば死んだ時だ!!全身打撲とすり傷になりながら落ちる。 半分程下りたところでコッヘルを投げ落とす。一眼レフを投げる。望遠レンズを投げる。それでも下の人に気付いてもらえない(当然ながら下の人も幻覚)残り3分の1のところでザックも投げ落とす。
ついに丸腰だ、会社からも捜索に来てくれているのか会社の同僚の女性の声がする。「川崎さんのためにここにジュースを置いて行こう」この様な会話が聞こえた(これも幻覚です)しかしこの会話を聞いたとたん、自分のやけくそ気味の下降にブレーキがかかった。「死ぬまでにあのジュースを飲もう!」それまで死んでも仕方ないと思ってギャンブルで下降していたが急に慎重になった。やっとの思いで川辺に下り立ったがジュースはない、しかも極端に体力が低下している。沢の水を何とか口に含みフラフラと立上がるが一歩進むのがやっと川べりから何とか中洲に這い上がろうとするが全く力が入らない。中洲の高さは1mぐらいだろうか、50cm程までに這い上がった時中洲の反対側に小川が流れており その川の向こうに親子の3人連れと中年男性がいる。ラジオ放送が流れていて野球中継を放送していた。「三途の川」かと呟く。その川の岸辺に先程のジュースらしきものが冷えていた。履いている靴が重くて片足の靴を脱ぐももう片足を脱ぐ力がない、少しでもジュースに近ずこうとするが5cmが進まない。
川の向こうの人たちはたのしそうにしている。ラジオ放送は霊会の放送か?変な響きがある。
しばらくその場に倒れ込んだ、ヘリが2度上空を通るが手を振る力もない。肛門からはウジ虫が誕生し続けている。全身山ヒルの噛み跡だらけだ。ムカデにも脇腹をやられている。「このままのたれ死んで虫のエサかぁ」
その時は突然やって来た・・・ 人の気配がする。久々に人間の気配だ!2人程の人影が見える。最後の力を振り絞り手を振る、一人が近づいてくる 女性だ、「遭難してます、川と言います」「生きてる!よかった!」歓喜の声と一緒に複数の人が来るのがわかった。「水を!」と言うとアクエリアスを一口いただく 今まで飲んだ中で最もおいしい飲み物だった。口の中でアクエリアスはきらきらと輝いていた。さっきまでいた川の向こうの人たちの姿は既に消えていた。リーダーらしき人が無線で報告していた。みんな「良かった」「よかった」を連呼していた。ジュースを探してもらったがそんなものはなかった。
自分の中ではまだ半信半疑だった。もしかすると幻覚かもという疑念が振り払えなかったが「川崎さん!」と呼ぶ声に目をやると色黒の精悍な男性がおられた。「Toshiです」「エッ!Toshiさん」ヤマレコユーザーで私が師匠と勝手に思い込んでいる「Toshi42」さんだった。「初めましてこんな形で・・・・でも会いたかった」涙が止まらなかった。そして涙の暖かさでそれを現実と認めることができた。
ギリギリでヘリを飛ばして搬送いただけるとのことでヘリに引き上げられていくヘリに乗り込んだとたん全ての緊張が消えていった。「助かった」と言うより「終わった」と言う気持ちの方が大きかった。
〜あとがき〜
私が知りうる限りの感謝の言葉どれも当てはまらず、全部並べても足りず、この気持ちをどのように表現すればよいかわかりません。
お読みいただいた通り些細なボタンの掛け違いが最終的に大事に至ります。今回に限れば持ってこなかったものも多く、いつもならザックに入っているものまで入ってませんでした。そして何よりも水分です。特に夏場に脱水症状になるとまともな判断ができず決死の高さから水場へのダイブも平気でしてしまいます。遭難者が沢で倒れているのを発見とありますがこれは沢へ下りたのではなく水を求めて無理な高さから沢へ飛び下り死亡するケースが多いかと思います。思いがけないビヴァーグにも対応できるほどの水分持参でも多過ぎることはありません。
もう一つ悩まされたのが「幻覚」です。極限状態の中、脳は少しでもリラックスや安心を求めて都合の良い幻覚を見せます。これは夜間野宿で眠れていないことも原因であり、ツエルトやシュラフを準備しておくだけで睡眠不足を防ぐことができます。
誰もがこのような事態に巻き込まれる可能性はあります。私は一貫して「安全に家に帰る」を最低条件に行動したつもりです。この行動はその条件に適合しているか 常にそれを念頭に行動しました。ただそれが生死を分けたとはとても思えません。生死を分けたのは皆様のお力と偶然の積み重ねです。何が災いし何が幸いしたのかは未だにわかりません。
ゴロ谷、ボタンブチのキーワードでNさんの存在を感じずにはいられませんでした。局面局面で私に力を貸してくれていたように思います。でないと薄暗い中ボタンブチへの直登や木に抱きついて一夜を明かすなどとても無理だと思います。
最後にこの遭難後の診断結果を報告します。
・高度脱水症 ・全身打撲 ・多発性皮膚潰瘍 ・はえ幼虫症 ・内部蛭寄生症の疑い
3連休の最終日、天候も良く、以前から登ってみたかった土倉岳−御池岳−T字尾根の周回ルートを目指し自宅を出るが当初の予定より出発時間が遅れたので途中撤退のつもりで行こうと家族宛てのメモには「ノタノ坂、土倉岳、T字尾根、山は登らずに帰ります。帰りは17:00頃」と書いて自宅発。
多賀町霜ヶ原の林道よりミノガ峠を経由してノタノ坂駐車場へと計画していたがミノガ峠を過ぎしばらく進んだところで林道が土砂で埋まっている。林道入口からここまで約1時間30分をロス。来た道を戻り犬上ダム沿いを上り君ヶ畑経由でようやくノタノ坂の駐車場へ到着、時刻は既に10:30であった。先行者が支度をされており間もなくノタノ坂方面へ入って行かれた、自分も行けるところまでは行こうと準備を始める。登山口へ向う、樹林帯を越え茨川分岐を経て高度を上げると稜線に出て鉄塔の下に到着した。鉄塔以降しばらく歩き、程なく土倉岳山頂へ到着、予定より遅れてはいるがこのまま御池岳を目指しT字尾根経由で下山することに決める。御池岳に到達し時間もないので直ぐにT字尾根の取付きを探し下山開始、取付き後少しわかりにくいところもあったがテープや踏み跡はしっかり残っており迷うことなく進む。
山岳トラブルは残り4分の1の行程での発生率が極めて高いと言うが今回も同じことが当てはまった。
順調に下山が進み後はTの突きあたりを左へ折れて林道への取付きを下りれば今回の山行は終了であった。しかし、ここからが私の地獄の始まりであった。
T字尾根を突き当たる前に西方向から今朝見かけた先行者(以後R氏)と出会う。「さっきと同じ所を通ったみたいで 同じ手拭いを拾ったんだ」私「迷われたんですか」 R氏「かもしれない」私「ではご一緒しましょうか」
この時点で自分の緊張度が一気に下がって行った。見た目は私より5歳以上は年上、服装や持ち物から見ても山を歩き慣れた雰囲気、会話の中でも「旺文社の登山コースは全部制覇した。」 この様な言葉や態度に私はR氏に全てを預けてしまった。自らテープや踏み後を確認せずR氏との雑談に夢中になる。気がつくと二人で迷っていた。R氏「迷ったねぇ、もう時間もないし この先に沢の音がするンで沢へ下りて川を下ろう、ちょっと急だけど・・・」力強く言われ 私は付いて行くしかなかった。沢への取付きは問題なかったかなりの急峻だった。残り5m程のところで最初の滑落、沢へ落ち両膝を負傷してしまう。先に下りていたR氏は駆け寄ることもなく先へ進んでいく(この時、不信感を抱くが時は既に遅し)そして沢の出口を覗いて戻ってくるR氏「出口は滝でダメだこりゃ、一旦稜線に出よう」。滑落して負傷までしたのに稜線へ登り返すだって?しかし夕暮れも近づいている。しかし「直ぐに稜線に出るだろう」というR氏に従い登り返す。登る途中もかなりの薮漕ぎでR氏に若干遅れるが何とか付いて行く。 しかしいつまでたっても稜線に出ない、出ないどころか勾配は急になるばかり、R氏は右に巻いて行くが私は直登を続ける。
ほぼ日没、しかし朝までここにいるわけにはいかず暗いながらも登り続ける。そして周りに樹木が無くなって来たころそれまで思い続けていたことを確信する「そうなのだ、今、自分が暗闇の中登り続けているのは“ボタンブチ”の直下なのだ!」見上げると遥か先にボタンブチが見える。休憩を取りながらも上へと進むとボタンブチ直下15m程の所に僅かなスペースがあり今夜はそこで一人ビヴァーグとする。
山頂からはR氏の呼ぶ声が聞こえるので自分がここにいることを告げて夜明け後に活動再開すると返事する。ボタンブチの直下で一夜を明かす人間は少ないと思うが、眼下には雲海が広がり頭上には満天の星空、ホタルの群れも飛び交う見たこともない美しい光景だった。
〜7月17日(火)〜
夜明けより登り始める残り10m程の所でR氏にロープを渡してもらい慎重に慎重を重ねて山頂へ到達、登り切った後慰霊碑に手を合わせる。
R氏の携帯より自宅に電話、留守電に「危機的な状況は脱したのでこれから下山します」と録音。
二人とも今日は会社の出勤日であり下山を急ぐ、しかしその焦りがミスを誘発していく、この時点で二人が持っている水分はなし。どこから帰るとの相談に何故かT字尾根を押してしまう、取付きで悩みルートは2度ロスト。自分の体調のこともあり何度もR氏に先行を依頼するもなかなか行こうとされない、しかし大きくルートをロストした後の登り返し後いつの間にかR氏の姿は消えていた。
既に自分の思考能力が落ちているのがわかる。ようやくT字尾根の最終分岐手前まで来てどちらへ進めばよいか分からなくなり、登山道脇に倒れ込む だれか通りかかったら水をもらおうとひたすら待つが誰も来ない、気のせいか自分のいるところを気がつかれないように迂回して逃げていく登山者がいるように感じた。
ホイッスルを何度も吹き「誰か助けて下さい!」と呼びかけるが反応は無し、遠くの物陰からこちらの様子を窺がう気配だけがする。
15:00をまわり脱水症状が進行しており「水」への思いは募るばかり、フラフラと立上がり川のせせらぎのする方へ進んでいく、少々急だが下に沢があり水が飲めそうだ!川のほとりには水量を計測する機械の制御盤のようなものもあり、今も係員のような人が機械を触っている。「急な沢だが下りて水を飲みその後係員に自分の存在を知らせて助けを呼んでもらおう」自分の中ではそういうストーリーが出来上がり斜面を沢へ降りていく。しかし想像以上の急峻で音はすれども川が見えない、ついにはロープ無しでは降りられず木にロープをかけては次の木にと下降するがついにはロープを掛ける木もなくなる覗きこむと美味しそうな水が流れている沢が見える。もう止まらない、命と引き換えでも水が飲みたくなる。自分の足元の木にロープを掛けてゆっくりと下降する目いっぱい延ばしたところで沢まで3m以上あるだろうか、地面の柔らかそうな場所を選んで落ちた。落ちて倒れ込んだがしばらく動けなかった。ようやく川の水を手ですくい口へ運ぶ、生き返った瞬間だった。浅い沢だったが顔を突っ込み「水」の有り難さを感じる。谷の中州に移動したが身体中にダメージが残り登り返すのは困難な状況だ。時刻も16:30をまわり登り返しも難しい、今夜体力の回復を待って、明日朝から行動しよう、水量計の係員が来るかもしれないしと思いながら辺りを見回すとさっき機械があったところはただの木が生えていた、幻覚だったんだ・・と思い、いつの間にか眠っていた。ふと気がつくとまだ明るい、顎と首筋の間に違和感を感じて触ってみると「ニュルッ」ヒルだ!しかもでかい慌てて剥がして遠くへ放るが血が止まらない 4、5センチはあっただろうか、タオルで何度も拭いてみるがなかなか出血が止まらなかった。暗くなるまでに湯を沸かしラーメンを食べる。谷底での一夜も初めてではあるが野宿も一回経験すれば開き直りである。真っ暗な中ヘッデンを忘れたことや、非常食が少なめであったこと、ビニールシートもないことを後悔したが、無いものをねだっても仕方なく、レジ袋などで工夫して代用する。しかし時計にバックライト機能が付いてないと本当に不便である。
深夜谷底から稜線を見ていると人の気配がしている。どうやら捜索隊が自分を見つけてくれたかと思いこちらの所在もアピールするためガスバーナーを点火し「おーい、おーい」と叫ぶ。「明日の朝が楽しみだ」などと考えているうちに眠ってしまった。
〜7月18日(水)〜
前夜自分を確認してくれたという安心感もありひたすら救助が来るのを待つ、また体へのダメージも残っており 自分を見つけてくれるのは時間の問題と言う根拠のない自信が心を支配し具体的な行動に駆り立てない、自分が今いる位置から下へ50m程行けば日が射すヘリからも目立つ場所があるのに積極的に移動しようとしない、そうこうしているうちに上空をヘリが通過していった。夕方冷静に考えて初めて昨夜の深夜の捜索などあり得ないことに気がつく、全く棒に振った一日であった。
そしてここで大きなミス、バーナーとボンベをつないだままコックが少し開いていたようだ、ガス臭いと気がついたときは既に遅くガスボンベは空になっていた。唯一の火をコントロールする方法を失った。
〜7月19日(木)〜
朝から起きた時から頭の中で今日は救助隊が来る日と言うイメージが出来上がっており自分はただ待てばいいだけというモードになっていた、行動もそのとおり制御される。いつでも救助されるよう荷物をまとめてスタンバイしておく。上流の方で声が聞こえてどうやら私の救出部隊が来たような気配がする。「名前を尋ねられるのかなぁ」「後何時間ぐらいだろう」「救出されたらどう弁解しようか」「何を食べようか?」などと思いを巡らせるも一向に救出活動が具体的に進まない。さっき気配のした上流の方ではまだざわざわしている。15:00になりさすがに痺れを切らして上流のざわついた所へ行くと何も無かった「しまった!また幻覚だ!」と気付いた時さっきまで自分がいた場所の真上をへりがホバリングしている。「お〜い」と近づこうとした時にはヘリは上空へ消えていった。
これで2日間連続で時間を無駄に使ったことになる。「明日は幻覚に惑わされないように、気をしっかり持とう」と誓って日没を迎える。
〜7月20日(金)〜
前夜より自力脱出を考える。当時、自分は小又谷にいるものと勘違いをしており沢を下れば川と合流して川を下れば出られるものと検討する。地図を見ると間に堰堤があるように記されているが高低差も少ないものと予想して沢下りの決行を予定する。
午前中は捜索隊が来るかもしれないので10:00に行動開始とする。今日は幻覚もなさそうだ。最後の食糧マッシュポテトを水で溶き半分食べる。10:00を過ぎ特に変化がないので沢を下っていく程なく谷の出口に近ずく、すると出口は滝であった。しかも直下50mはあろうかという滝・・・。愕然としているところへ雨が降り出す。滝壺へ飛び込もうかと言うぐらい落胆していたが雨がひどくなり我に返る。谷の中心へ戻ったころには大雨、雷が一日中続き更には日没後も夜中ずっと降り続ける。これだけの雨に打たれ続けるのもあまり無い経験だ。雷もすぐ背後で鳴っているかというくらい激しいものであった。
真っ暗な中自分がいるところが水で流されたら終わりだ。座ったところから一歩も動けない。深夜尿意を催したがもし立ち上がって沢に落ちれば終わりだ。一歩も動かず尿はその場に垂れ流した。
雨粒で自分の体に穴が開くのではないかと思えるほどの激しい雨が一晩中続いた
〜7月21日(土)〜
昨日からの雨は早朝に上がったが身体へのダメージは相当だ。雨が上がった後すぐに眠り込んでしまった。目を覚ましたのは10:00頃、地図を準備し再度自分のいる地点、脱出方法を検討する。あまり信じたくないが現在地は「ゴロ谷」だ。R氏とゴロ谷からテーブルランドに乗りT字尾根からまたゴロ谷に落ちていることになる。背筋が凍りついた、「ゴロ谷からは脱出できないようになっているのか?」出ようとするたびに幻覚や雷雨に阻まれて自分がゴロ谷から生きて出ることは許されないのだろうか?
昨日作ったマッシュポテトの残りを腐っているとわかりながらも食べる。
そういえば最近股間がむずむずしている。恐る恐る肛門付近を見ると自分の肛門から次から次へとウジ虫が出てきている。どうやら自分の腸内で卵からかえり肛門から出ていくようだ、出口がないと気に入らないのか股間の皮膚に噛みついて痛い、沢の水の中に卵がありそれを飲むことにより体内でふ化するようだ。
いろいろと考えた結果、沢を下る選択肢はないので尾根を上がる、しかも御池岳側ではなくT字尾根の側に上がり稜線まで上がれば誰かに会えるだろうというもの 12:00過ぎに出発し比較的勾配の少ないガレ沢から取付き高度を上げていった。左右に巻き何とか高度を上げていくが残り20%を残して日没を迎えてしまう。
斜面途中の木の根にまたがり幹に抱きつくような姿勢で夜を迎える。深夜寝ぼけて足を踏み外し木から落ちそうになる。間一髪で踏ん張れた。微動だにできない姿勢で一晩過ごし小便はまた垂れ流した。
〜7月22日(日)〜
朝目覚めると木の上だった。 しかし頭の中では救助隊が既にこちらに向かっているという状況が出来上がっている。ほんの少し上の尾根の方からもいろんな人の声が聞こえ辺りがざわついていた。近所のおじさんの声、飼っている犬の声聞き慣れた声がたくさん聞こえる。
そんな雰囲気の中自分は木の上で安心して待っている。昼頃のどの渇きを訴えるとお茶を用意してくれるという。楽しみにして待っている。
しかし、いつまで経ってもお茶も出ない救助も来ない「「はっ!」と気がつくと時刻は13:30「しまった!また幻覚にやられた!」「どうしよう、この時間からでは上を目指すしか」と考えたが水の量が0になっている。
万事休す。「もう終わりか」とそう思った時、下の沢から声が聞こえる。しかも自分の名前を呼んでいる。こちらからもあらん限りの声で叫ぶが届かない。意を決して「降りよう、出来るだけ早く」思いきって落ちるように下りる。落ちて死ねば死んだ時だ!!全身打撲とすり傷になりながら落ちる。 半分程下りたところでコッヘルを投げ落とす。一眼レフを投げる。望遠レンズを投げる。それでも下の人に気付いてもらえない(当然ながら下の人も幻覚)残り3分の1のところでザックも投げ落とす。
ついに丸腰だ、会社からも捜索に来てくれているのか会社の同僚の女性の声がする。「川崎さんのためにここにジュースを置いて行こう」この様な会話が聞こえた(これも幻覚です)しかしこの会話を聞いたとたん、自分のやけくそ気味の下降にブレーキがかかった。「死ぬまでにあのジュースを飲もう!」それまで死んでも仕方ないと思ってギャンブルで下降していたが急に慎重になった。やっとの思いで川辺に下り立ったがジュースはない、しかも極端に体力が低下している。沢の水を何とか口に含みフラフラと立上がるが一歩進むのがやっと川べりから何とか中洲に這い上がろうとするが全く力が入らない。中洲の高さは1mぐらいだろうか、50cm程までに這い上がった時中洲の反対側に小川が流れており その川の向こうに親子の3人連れと中年男性がいる。ラジオ放送が流れていて野球中継を放送していた。「三途の川」かと呟く。その川の岸辺に先程のジュースらしきものが冷えていた。履いている靴が重くて片足の靴を脱ぐももう片足を脱ぐ力がない、少しでもジュースに近ずこうとするが5cmが進まない。
川の向こうの人たちはたのしそうにしている。ラジオ放送は霊会の放送か?変な響きがある。
しばらくその場に倒れ込んだ、ヘリが2度上空を通るが手を振る力もない。肛門からはウジ虫が誕生し続けている。全身山ヒルの噛み跡だらけだ。ムカデにも脇腹をやられている。「このままのたれ死んで虫のエサかぁ」
その時は突然やって来た・・・ 人の気配がする。久々に人間の気配だ!2人程の人影が見える。最後の力を振り絞り手を振る、一人が近づいてくる 女性だ、「遭難してます、川と言います」「生きてる!よかった!」歓喜の声と一緒に複数の人が来るのがわかった。「水を!」と言うとアクエリアスを一口いただく 今まで飲んだ中で最もおいしい飲み物だった。口の中でアクエリアスはきらきらと輝いていた。さっきまでいた川の向こうの人たちの姿は既に消えていた。リーダーらしき人が無線で報告していた。みんな「良かった」「よかった」を連呼していた。ジュースを探してもらったがそんなものはなかった。
自分の中ではまだ半信半疑だった。もしかすると幻覚かもという疑念が振り払えなかったが「川崎さん!」と呼ぶ声に目をやると色黒の精悍な男性がおられた。「Toshiです」「エッ!Toshiさん」ヤマレコユーザーで私が師匠と勝手に思い込んでいる「Toshi42」さんだった。「初めましてこんな形で・・・・でも会いたかった」涙が止まらなかった。そして涙の暖かさでそれを現実と認めることができた。
ギリギリでヘリを飛ばして搬送いただけるとのことでヘリに引き上げられていくヘリに乗り込んだとたん全ての緊張が消えていった。「助かった」と言うより「終わった」と言う気持ちの方が大きかった。
〜あとがき〜
私が知りうる限りの感謝の言葉どれも当てはまらず、全部並べても足りず、この気持ちをどのように表現すればよいかわかりません。
お読みいただいた通り些細なボタンの掛け違いが最終的に大事に至ります。今回に限れば持ってこなかったものも多く、いつもならザックに入っているものまで入ってませんでした。そして何よりも水分です。特に夏場に脱水症状になるとまともな判断ができず決死の高さから水場へのダイブも平気でしてしまいます。遭難者が沢で倒れているのを発見とありますがこれは沢へ下りたのではなく水を求めて無理な高さから沢へ飛び下り死亡するケースが多いかと思います。思いがけないビヴァーグにも対応できるほどの水分持参でも多過ぎることはありません。
もう一つ悩まされたのが「幻覚」です。極限状態の中、脳は少しでもリラックスや安心を求めて都合の良い幻覚を見せます。これは夜間野宿で眠れていないことも原因であり、ツエルトやシュラフを準備しておくだけで睡眠不足を防ぐことができます。
誰もがこのような事態に巻き込まれる可能性はあります。私は一貫して「安全に家に帰る」を最低条件に行動したつもりです。この行動はその条件に適合しているか 常にそれを念頭に行動しました。ただそれが生死を分けたとはとても思えません。生死を分けたのは皆様のお力と偶然の積み重ねです。何が災いし何が幸いしたのかは未だにわかりません。
ゴロ谷、ボタンブチのキーワードでNさんの存在を感じずにはいられませんでした。局面局面で私に力を貸してくれていたように思います。でないと薄暗い中ボタンブチへの直登や木に抱きついて一夜を明かすなどとても無理だと思います。
最後にこの遭難後の診断結果を報告します。
・高度脱水症 ・全身打撲 ・多発性皮膚潰瘍 ・はえ幼虫症 ・内部蛭寄生症の疑い
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レコを読ませて頂きました、壮絶な7日間よく頑張られました、ご無事で何よりでした。
少しの油断・ミスから大変な事になると改めて思いました。
慣れた山でも、人気の少ない所はそれなりの装備を持とうと思いました。
しばらくは養生され、早く元気になられて復帰をおまちしてます
ヤマレコでの知り合いであるとともに
良く知った方の遭難ということで心配しましたが、まずは、心と身体の養生、回復、そして心配して帰りを待たれていたご家族への愛情をそそいであげてください。
その後、山へ復帰してください。
さて、まだ生々しい記憶の中での記録ありがとうございます。お気に入り登録していいのか?わかりませんが
今後の自分への戒めにして時々目を通したいと思います。
本当に、生還してくれてありがとうございました。
ご無事で何よりです。これに懲りずにこれからも山を続けてください。
お疲れのところ大変恐縮ですが、予定されていたコースや、最後に道をそれた場所、発見された場所などを地図にトレースしていただけると幸いです。
先ずは生還された事がなによりです。
遭難情報を見て心配する事しか出来なかった者です、こうして色々な思いで書かれたレコかと思いますが、良い悪いではなく貴重な情報だと感じます。この事をどう繋げるかはそれぞれの考え方も有る所でしょう
レコ読ませていただきました。
涙が出ました。
本当に生還できてよかったですね…。
誰にでも同じ状況になる可能性はあるんだと、よりリアルに感じました。
自分のためにも周りの人のためにも、今まで以上に装備を見直し、注意して山に入ろうと思い直しました。
公開して頂きありがとうございました。
レコ、読ませていただきました。
公開してくれて、ありがとうございます。
私も鈴鹿山系専門ですが、何か遭難事案も他人事で、近くの低山という意識があり、今回の遭難事案のあまりのリアルさに、背筋を凍らせながら読みました。
涙が出ました。(怖くて)
必要な装備は必ず持って行きます。
私も過去に遭難までは行きませんでしたが、2度道に迷った経験があります。レコを読んでいる間にその時の様子がフラッシュバックしました。
怖かったでしょうね。本当によくがんばりましたね。
言葉に表せないくらいの経験をされ、この記録を表に出す事で、思い出すこと自体も辛かった事と思います。
普段から山を歩いている身からすると、到底人事には思えず、背筋に冷たいものを感じながら最後まで拝読いたしました。
今はとにかくご養生されてください。
ホントに無事に帰ってきていただき、ありがとうございます。
ヤマレコで遭難された事を知り、ただ心配をしていただけのものです。
正直に申しますと、ご心配されていたご親族やご友人の書込みを拝見しており冗談ではないと思いつつ、現実とも思いにくい微妙な思いで傍観しておりました。
このようなご報告をいただいて、初めて現実として受け止める事が出来た次第。今後の戒めになる貴重なお話を公開していただいたことに感謝いたします。
山歩きを楽しむ程度と本格的な登山には縁遠い身ですが、あまり人のあるかない里山を1人で歩くことが多く、何度か道に迷った経験もあります。
もし身動きが取れなくなったらどうなるか?
色々妄想した事もありますが、妄想の中の自分自身は、より冷静に行動したり、逆に潔く諦めたりする筈なのですが、おそらくこの場に書かれた内容に近い状態になるのでしょう。
そして、yuconさんのように非常食などは用意もせず、簡単にお菓子程度しか持ち合わせていない私の場合、精々3日か4日が限度、このような記録を残すことも出来ないでしょう。
安全に家に帰る…山歩きを楽しむ物に架せられた最低限のマナーではないでしょうか。
拝見いたしますと年齢も近く、今更ながら親近感を感じております。あらためて貴重な体験談を聞かせていただいた事に感謝いたします。
生還まもなくでこのような詳細なレコ、それも本当に貴重なレコをあげて下さりありがとうございました。
我々が想像できる以上の辛い体験を思い出させる作業だったと思います。
携帯から連絡があったとは聞いていましたがR氏の携帯からだったのですね。
安全に関していつも気にしておられたyuconさんの事故のはじまりが一体どのような様子だったのか疑問でしたがそんなことがあったのですね…正直、R氏の行動には疑問を抱かざるをえません。
今は十分に身体を休める事に専念してください。
本当にありがとうございました。
ほんとうによかった
無事で戻られ
この貴重な経験を読ませていただき
感謝いたします。
遭難の恐ろしさを、鳥肌が立っております。
今は、お体を十分に休めてください
お疲れ様であります。
うじやはえが湧くお話は本当ですか?お怪我はどの様な感じなのどしょうか?それとも幻覚だったのでしゃうか?病み上がりできっついかもしれませんが…ほんの少しでよいので事実を語これからも私の為にヨロクオネカイシマス
よく帰ってきてくださいました。
そしてこのように大変でつらく、そして貴重な体験をお教え頂けたことを大変感謝しております。
本当に思わないところに、そして思わぬタイミングで遭難は突如としてやってくるのですね。
何に迷い、惑わされ、足を引っ張られるのか…
心に頭に叩き込みたいと思います。
緩みがちになる気持ちを引き締めて、支度を見直しております。
まず大怪我無く生還出来て良かったです。
yuconさんの遭難に気付いたのは息子さんの質問箱に気付いた21日頃でした。
どう歩かれたか想像しつつ、T字尾根降り口は尾根芯逸れると危ないなーと思ってました。
遭難の記録を読ませて頂きました。
要因は幾つかありそうですが、一番は道迷いでしょう。
次からは是非GPS(ロガーでなくハンディGPS)を持参し使いこなす事をお勧めします。
情報を知るのが遅かったために何ら役立つサポートが出来なかったこと、心苦しく思います。
私たち山を歩くものは自分自身の経験とあとは想像力の及ぶ限りで危険回避の準備をするのですが、過去の事故や遭難の記録がノウハウにつながっている事例はいくらでもあるものと思います。
でも今回の事例は、生きている当事者が語ってくれています!
yuconさん、本当に、本当によく帰ってこられましたね!
そして、ここに残された記録。
原因の所在からトラブルの対処、極限状況での心理までよくさらけ出してくれました。
読んだ私たちに強烈な衝撃を与えた一文は今後数知れないヤマレコ仲間を救うことになると信じています。
体と心の傷を両方ともゆっくり癒して、また山で会いましょう。
今度は私が待ち伏せしますよ
本当に無事でよかったです。
お帰りなさい。
想像を絶する経験を勇気をもって公開されたことに敬意を表します。
焦らずゆっくり静養され、体と心を癒し、いつかまたウィットとユーモアに溢れたヤマレコを楽しみにしています。
お疲れ様でした。
そして、この記録を公開してくださったことに
感謝します。
読んでいて、涙が出ました。
そして、改めて山の厳しさを感じました。
自分が初心者のころ、涸沢から屏風岩を登って、
下山時に間違って早稲田尾根方面に進んで、
プチ滑落したことを思い出しました。
たまたま屏風岩を登っていた青学の大学生グループに
助けられました。
また数年前はGPSのルート誤表示による
光岳でのロストという経験を思い出しました。
今回のyuconさんの記録を読まなければ、
今夏の山行も注意を怠る可能性もありました。
とにかく痛んだ体をゆっくり休めて、
以前の健康を取り戻されることを切に願います。
この記録を見て、改めて山の怖さがわかりました。
ご家族の方が、質問に書き込みをされていて
探しているのを知っていたのですが、私には何も出来ず。
毎日、無事に帰ってきて来ることだけを祈っているしかありませんでした。
下山されたと知った時は、本当にホッとしました。
7日間で壮絶な体験をされた事を公開しくださりありがとうございます。涙が出ました。
この内容を見て、今後気を付けなければいけないな。と
考えさせられました。
とにかくゆっくりゆっくり休んで下さい。
本当に、お疲れ様でした。
御協力いただいた皆様へ
去る8月2日(木)に三重山岳会事務局(事務局長居村氏他5名様と面談)、東近江市役所(生活安全課課長他1名様と面談)、東近江行政組合八日市消防署(村田署長、野出副署長と面談)、東近江警察署(西岡署長、他1名様と面談)へご挨拶へ行ってまいりました。
上記以外では個別にお礼状を書いている最中です。
他に私の知らないところで御挨拶が洩れているところがあるようでしたら是非ともお教え願えませんでしょうかよろしくお願い致します。
by yucon
はじめまして。多忙でヤマレコをさぼっている間に遭難されたとはお気の毒でしたが、無事に生還されて何よりでした。ご家族や関係者の皆様もほっとしていることでしょう。
今回の遭難体験が、山へ入るすべての人の教訓となるように願っています。
そして、体をもとに戻しつつ、何が遭難の原因だったのかをもう一度一つ一つ考えて深く反省し、改めて楽しい登山を再開してください。
それまでどうかお大事になさってください。
一歩間違えば明日は我が身
この詳細な記録は貴重であります
貴重であるがゆえに、更になぜこうなったのか、原因、誘因の分析をお願いいたします
はじめまして。
私も長浜在住で同年代(46)です。
山仲間は近い友達ばかり。
最近ヤマレコでyuconさんの記録を見ました。
本当に映画のような奇跡の出来事ですね。
でも、この記録を教訓・心得としたいと思います。
いつかどこかでお会いできるといいですね。
では。
お疲れ様でした。貴重な体験を読ませていただきました。いろいろと遭難記を読んでいますが、自分ひとりで自宅に帰りつくには、何が必要かまた、どんな山も慎重にと、あらためて考えさせられました。勇気ある記載に感謝いたします。
今日初めて知りました。
よく拝見するyuconが遭難されたとは思いも
よりませんでした
私は登山初心者それにいつもソロで登ります。
貴重な体験を自分への戒めとして心に刻み込んで
これからの登山に役立てたいと思います。
まずは心身共にもとに戻られること祈っております。
そして元気になられてヤマレコに復活してください。
私も、鈴鹿の山はたびたび行きますが、沢沿いや稜線の分岐点など迷いやすい場所が、多々あるところですね。
これだけの間、気力を持って対応された体力・精神力は相当なものと思います。具体的な事例で大変参考になりました。
また、幻覚については、昨年の夏に常念から前常念をへて三股への下りで、水分不足と疲労からか、樹林が建物の屋根に見えたり、標識や橋に見えたりした経験があります。3人で行ったのですが、他の人も、見えたと言ってました。
私もヤマレコ最近ご無沙汰で「週刊ヤマレコ」のメールで知りました。
yuconさんにとって御池は魅力と魔力の共存する山ですね。
落ち着かれましたら、今後の対策を皆で考えていきましょう
僕も20年ほど前に迷いました。
安全な伊吹山でお会いしましょう。
貴重なご体験のご報告ありがとうございます。
他人事とは思わず、一歩道を踏み外すと同じ経験をするようになることを胸に留めて安全に登山できるように心がけたいと思います。
貴重な記録です。
ご報告ありがとうございます。
大変勉強になりました。
初めまして。tommyboysといいます。
訪問履歴などから何気なく訪れました。
記事を読みびっくり!
現実的な感じがよく表現されているのではないでしょうか?
本当に無事のご生還なにより(何か言うすべもない)ですが、ご自身のご体験をヤマレコにアップされた勇気にも感服いたします。
稀有な人生体験をなされました。(私はしたくないです。)
この記事を見て改めて危機管理・危険察知の重要性、普段の安全確認・冷静さや生きる意志の有り様を感じました。大変学び取る事案が多いレポートです。
如何に平素安泰としていられることに無関心だった自分を反省させられました。
ありがとうございました。そして、お体ご自愛ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・おかえりなさい。
するつもりもなく、体験するかもしれない。どうやったら体験せずにいられるのか、非常に考えさせられるものでした。
セルフレスキューの講習もありますが、こうした生々しい人間の感じたことが、一番人の心に強い学びを与えると思います。
本当にありがとうございます。そしてお帰りなさい。
貴重な体験を共有してくださったことに感謝いたします。私は低山ハイクしかしませんが、書籍でいろいろな遭難記録を読んで自分のこととして捉えてきたつもりです。しかしながら、実際の生の体験を拝読し、改めて自らにも起こりうることとして肝に銘じます。
山歴30年、しょっちゅう山遊びしている者です。今は静岡在住です。
Nさんの時は岐阜に住んでいて、御池廻りついでに勝手に探したりもしたのですが、yuconさんの遭難は全く知りませんでした。私はヒルが嫌で、7月頃は3000M級の山しか考えていなかったせいでしょうか、今頃になってのコメントですみません。
御池のある鈴鹿山系は、真冬も含め百回以上徘徊していますが、ほとんどが単独行で、道迷いも経験していますので、yuconさんの記録(ブログのほう)は非常に身に迫るものを感じました。色々な遭難関係の書籍を読みましたが、これほどリアルに「その時」を追体験できたのははじめてです。特に幻覚のことなど非常に参考になりました。
貴重な体験談の公開に心より感謝します。そして本当に、生還されて良かったです。
私はPCをやるよりも山に行ってしまうので、ヤマレコもたまに見る程度ですからお顔もわかりませんが、きっとどこかですれ違っているでしょう。
また楽しい山でお会いしたいと思います。ありがとうございました。
PS 先日、T字尾根から往復してきました。テーブルランドの降り口の下は、微妙な小尾根がゴロ谷にむけて落ちています。ルートのあるシャクナゲのやせ尾根へは、その小尾根の東南斜面を斜めに下った先のコルから急な岩場を登りかえすのですが、斜面を下らずに小尾根の尾根筋をたどってしまうとゴロ谷に導かれてしまうのを確認しました。ご参考まで。
初めまして。
ヤマレコ初心者です。
たまたま辿り着き読ませていただきました。
喉の渇きで沢へ落ちてしまうこと、幻覚…
普段なら想像もつかない事が山では起きるのですね。
そしてヒルなど…私ならパニックでどうかなっていたかも知れません。
壮絶で、読んでいて涙も出ました。
私は地図も持たずに山に入っていました。
反省しなければなりません。
みなさん触れられてませんが、Rさんはご無事だったのかと気になりました。
はじめまして。
私はもっぱら読む専門ですが、こちらの体験記を読み、改めて感謝の気持ちをお伝えしようとここに書き込みます。
幻覚に悩まされながら、立派にご自分の行動を把握されており、そして下山後に詳細に公表された・・・素晴らしいことです。自分なら、これができるかどうか・・・。
この記録を読んだすべての登山者が、我が身を振り返るきっかけになったことと存じます。
最大の賞賛と感謝をこめて・・・
ありがとうございました。
いまさらですが無事で何よりでした。日ごろ安全と思って山に登っておりますがこの手記を読ませていただくとその油断が大変な事故を招くということを改めて教えていただきました。山に登る際はこの手記を思い出し油断なく山登りをしようと思います。ありがとうございました。そして無事帰れてよかったです。
3年前にこちらの記事を拝見して遭難とは恐ろしいものだなと痛感していました。
最近もう一度記事を読み返してみたくて、ネットで検索をかけたところyuconさんが
2013年11月28日に御在所山で4日間の遭難の末、救助されるも翌日に病院で亡くな
られた事実を知りました。「最近はどちらの山を登っているのかな?」と思っていた
だけにとても残念です。yuconさんのご冥福をお祈りします。
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