岡山市 母谷妙見山〜赤岳〜母谷 史跡&アセビ他春の花&野鳥
- GPS
- 04:39
- 距離
- 10.2km
- 登り
- 462m
- 下り
- 462m
コースタイム
- 山行
- 4:02
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 4:37
歩行距離10km、歩行時間4時間、歩行数17,500歩、消費カロリー2,210Kcal
天候 | 晴れ時々曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2021年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
また、岡山市電子町内会のサイト内の「母谷(ほうだに)区自治会」のページにある「赤岳登山道」のコーナーには、御津工業団地向かいの舗装道路鉄塔巡視路入口や、砂防ダム<写真20〜23>西のスペースが駐車地点として紹介されています。1台くらいなら邪魔にはならないでしょう。なお、砂防ダム西のスペースまでは、一部土道なので、雨天や雨上がりは避けたほうがいいでしょう。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
302m峰<写真11>に立ち寄らなければヤブコギはなく、きれいに整備された道で迷いようがありません。鉄塔巡視路と道標のある道は整備されていると考えていいようです。 鉄塔巡視路入口から母谷(ほうだに)妙見山<写真06>までは、道標などもあり歩きやすいです。なお、時季によっては、「引っ付き虫」に注意が必要です。 大日本印刷(Dai Nippon Printing)の工場の正門向かいにある舗装道路が鉄塔巡視路入口で道標もあります。終点にはフェンスに囲まれた設備があり、フェンス沿いに斜面を上ると、また鉄塔巡視路の道標があり、土道が延びています。たまに溝状に掘れているので、雨天や大雨後は水が流れるかもしれません。 赤岳<写真14〜16>&母谷(ほうだに)妙見山<写真06>分岐には道標があり、木の間の細道が続いています。一部、崩れやすい斜面に落ち葉が積もっていますが、たまにピンク色のビニール紐があり迷いようがありません。 母谷(ほうだに)妙見山<写真06>からは傾斜がきつくなり、道が整備されていないようです。 赤岳<写真14〜16>&母谷(ほうだに)妙見山<写真06>分岐から赤岳<写真14〜16>までは、一部、実際の登山道と地形図上の道が一致していない箇所があります。302m峰<写真11>に立ち寄らなければヤブコギはありません。 赤岳<写真14〜16>&母谷(ほうだに)妙見山<写真06>分岐からしばらくは、地形図の破線の道です。 302m峰<写真11>に向かう道の入口がなさそうだったので、登山道から逸れて適当に林に入りました。地形図の破線の道は消滅しているようで、木の間の歩きやすい所を探しながら歩き、たまに木の枝をかき分けました。復路では、少し西寄りに逸れてしまい、標高290m辺りで涸れ沢を横断しました。チリメンタケ?<写真12>撮影地点の少し東は倒木だらけでしたが、地形図の破線の道の北側に出るとマシになり、コゴメウスバタケ<写真13>撮影地点の北で無事に登山道に出合い、左折しました。 赤岳<写真14〜16>との分岐には9合目の道標があり、そこからは細道ですが、頂上直下で多少不明瞭になります。 赤岳<写真14〜16>から七曲峠<写真17>までは、たまにシダの間の細道になりますが、定期的に整備されているようなので大丈夫でしょう。七曲峠<写真17>から東はササが刈られた広道で、フキノトウ<写真18>撮影地点西でコンクリートの小さな橋を渡ると轍のある土道になります。オオイヌノフグリ<写真23>撮影地点からは舗装道路です。 |
その他周辺情報 | 赤岳の西にまつだ牧場があり、放牧中の牛を眺めながらジェラートを食べることができます。また、ホルスタイン模様のヤギのみるくちゃんや、アイドル猫などとのふれあいも楽しめます。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
虫よけスプレー
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感想
【みそのお遺跡に見る歴史の町御津町】
出発点は「みそのお遺跡公園」駐車場です。
「みそのお遺跡」はもともとはこの遺跡公園の約400m東の宇甘川(うかいがわ)を臨む尾根上にあり、その一部が「みそのお古墳群」として知られていました。周辺には縄文時代早期の約6000年前から人が住んでおり、古くから東西南北を結ぶ交通の要所として栄えてきました。宇甘川(うかいがわ)の名は、鵜飼(うかい)部(鵜を使って魚をとり、朝廷に貢納する役職)に由来するとの伝承があります。かつては渡来系氏族の居住区だったこともあり、技術・文化においても重要な地だったのでしょう。
1989〜1991年、県営御津工業団地造成に先立つ発掘調査により、尾根上には370m、1.64haにわたって、50の墳墓(墳丘などにより区分される埋葬地一区画)に計約420の主体部(箱式石棺や埋葬穴など一つ一つの埋葬跡)があることが確認されました。これらは3世紀の弥生時代後期から7世紀中頃の古墳時代にかけて築かれたようです。また、製鉄炉跡、古道、弥生時代の共同墓地群なども発見されたため、「みそのお遺跡」と改称しました。規模の大きさもさることながら、一つの墳丘に複数を埋葬した共同墓地から古墳への変遷が見られる歴史的にも価値の高い遺跡です。
そのうち、十五号墳墓と五十号墳墓(五十号古墳)がこの公園に移されていました。なお、墳丘は後に造成されたもので、発掘当初とは違います。十五号は一辺約9mの二段築成の方墳で3つの主体部(ここでは箱式石棺)がありました。木棺から石棺へと変化した3世紀〜4世紀初め頃に築かれたと考えられています。五十号は7世紀中頃の円墳で全長3mの横穴式石室が復元されています。墳丘は崩れ天井石はなくなっていましたが、副葬品として須恵器が出土、「みそのお遺跡」では最も新しい墳墓と考えられています。
ちなみに、「岡山県埋蔵文化財発掘調査報告87」で「みそのお遺跡」に関する資料が457ページにわたってまとめられており、ネットにも公開されています。発掘調査は1〜7区に分けて行われ、十五号墳墓が発掘された1区では、痩せ尾根約130mにほぼ一直線に5〜20号墳墓(主体部179)が発見されました。その一部の写真が資料冒頭に載っていますが、我々のような素人にも貴重な遺跡であることが一目でわかりました。これほど大規模な遺跡が発掘されるとは思いもよらず、遺跡がなさそうな箇所は重機で掘り返す予定が、いきなり列石が発見され慌てて人力に切り替え、御津町も人員確保に奔走しましたが、特に初期の調査は大幅に遅れました。幸い、工業団地事業主も協力的だったそうですが、これを見せられたら協力的にならざるをえなかったでしょう。開発のために消滅してしまったのは、複雑な思いがします。
現在、御津町は金川城などの山城のパンフレットを作成するなど、史跡PRにも力を入れていますが、その遥か昔に「みそのお遺跡」があったことを忘れてはなりません。御津町の歴史はここから始まったと言っても過言ではないでしょう。
【登りも下りも傾斜が緩やかな赤岳】
赤岳はほとんど資料がありません。ヤマレコで検索すると3件の記録が出てきますが、そのうち、2件は自分が投稿したものです。
2018年10月22日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1625533.html
2019年11月24日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2121122.html
今回はまだ訪問したことがない母谷(ほうだに)妙見山にも立ち寄り、七曲峠に下山することにしました。このルートは「母谷(ほうだに)区自治会」のページに記載されており、定期的に整備されているようです。
ちなみに、前述のページでは妙見山となっていますが、地形図上に表記されている赤岳東の妙見山と区別するため、母谷(ほうだに)妙見山と呼ばせていただきました。
出発点から南下すると、DNPのロゴが見えてきました。大日本印刷(Dai Nippon Printing)の大きな工場でした。“最後のPだけ英語の頭文字かい(^_-)-☆”と、思わずツッコミを入れてしまいました。
この工場の正門向かいにある鉄塔巡視路入口の舗装道路を登り、フェンスの横を巻くと、赤岳の南東尾根ルートに合流しました。しばらくは緩やかな尾根が続き、鉄塔巡視路なので歩きやすいです。
標高270mを過ぎると、赤岳と妙見山の分岐の道標がありました。母谷(ほうだに)妙見山方面は下りで、一部、崩れやすい斜面に落ち葉が積もっていますが、木の間の細道にピンク色のビニール紐があり、迷いようがありません。
標高200m辺りまで下ってくると、『南無妙見大士』と彫られた石碑がある母谷妙見山頂上に出てきました。木の間から垣間見える程度の360度展望が辛うじて効きました。ここから先は傾斜がきつくなり、道が整備されていないようなので、今回は引き返すことにしました。
母谷(ほうだに)妙見山からUターンし、再び赤岳の南東尾根に入りました。
途中、道を逸れて302m峰にも寄りました。この辺りは地形図上の道と実際の道が異なっており、地形図の破線の道は消滅しているようです。適当に入り、木の間の歩きやすい所を探しながら歩き、たまに木の枝をかき分けました。302m峰は展望が効かず、わざわざ立ち寄るほどのこともありません。ここに寄ったがために、登山道に戻る際に、あるはずの道がなく、足元に転がった倒木をまたいだり、木の枝をかき分けたりと少しヤブコギを強いられる羽目になりました。
素直に整備された登山道を歩いていれば、赤岳に着きますが、頂上付近で道が多少不明瞭になります。しかも、赤岳の頂上は広い割に展望が効きません。登山として目的地に設定すると、物足りなさを感じますが、散歩コースとして考えれば、程よい森林浴コースです。
この他にもまだルートがあるので、次回が楽しみです。
赤岳頂上からは南方面の七曲峠に向かいました。この道も整備されており、とても歩きやすかったです。また、上りの南東尾根同様、「〇合目」といったプレートも設置されており、進んだ距離がだいたいわかり、安心して歩を進めることができます。
【野鳥の宝庫“母谷(ほうだに)”】
七曲峠から東南東方面にある母谷に向かいました。
赤岳はまだ冬のイメージだったのですが、フキノトウ、シハイスミレなど春の訪れを知らせる花が見られました。梅の花も多かったのですが、これから桜なども開花し、美しい母谷の景観を楽しみながら山行ができそうです。
また、新田池には渡り鳥のオナガガモ、ヒドリガモ、留鳥のカルガモ、カイツブリなどの水鳥がいました。さらに、イソヒヨドリ、ツグミ、セグロセキレイが競うようにホトケノザの群生近くの道を元気よく歩き回る姿を見て、明るい気分になりました。特にイソヒヨドリはゴール前にも可愛い姿を見せてくれ、この日は最後に彼に心を持っていかれました(*^^*)
こうして、心は冬から春に移りました(#^.^#)
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