愛宕山(ツツジ尾根)
- GPS
- 03:20
- 距離
- 9.2km
- 登り
- 879m
- 下り
- 871m
コースタイム
- 山行
- 3:10
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 3:20
天候 | 曇りときどき晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
今の頃は朝に晴れていても、午後は雷雨となる。今日は、雨を避けて午前中だけで愛宕山を登り降りした。最短時間で行って戻ることを目指して、JR保津峡駅前から直接山頂に至る「ツツジ尾根ルート」に初挑戦。これを書いているのは夕方であるが、麓の京都市内は激しい雷雨となっている。
登山口は何の表示もなく、あらかじめ調べておかなければわからない。人が通らない荒れたルートを想像していたが、いざ歩いてみると道は乾いてしっかりしていて、分岐点を間違えさえしなければ確実に山頂に行くことができる道だった。だが愛宕山の他のルートと同じく急な山道を休みなく登り続けるため、かなりハードである。また途中に掲示もなく、テープすらも見当たらず、一見さんを歓迎する道ではない。愛宕山はハイキングする山ではなくて参詣する信仰の道なので、表参道以外の道をガイドしてやらないよ、という山の意向であろうか。山頂に至って、帰りは表参道を降って清滝へ。所要時間は3時間20分。正午前に下山できた。
山頂は愛宕神社の境内で、そこに並ぶ常夜灯に刻まれた字をなんとなく読んでみた。一基の灯篭には、「貞享四丁卯年」とある。他の多くの灯篭は共通の刻印で、「寶永三歳舎丙戌正月」となっている。前者は西暦1687年、後者は西暦1706年にあたる。江戸時代前期、元禄の前後である。ちなみにこの「貞享」の元号は、当時京都で活動中の大儒者伊藤仁斎(いとう・じんさい)が撰したものである。
寄進者の銘には、「攝(?)州大坂住人 山中氏之宗/同氏宗利」とあった。元禄期の大坂人で山中氏、といえば大商家の鴻池ではないか?と思い至った。鴻池の姓は山中氏で、彼らの一家は有名な戦国武将の山中鹿之助の後裔である、と称していたのだ。下山して愛宕山の常夜灯の由来を検索してみると、やはりこれらの灯篭は300年前に大坂一の豪商父子が寄進したものであるらしい。
むかし、仙台の塩釜神社で大坂の商家が寄進した灯篭を見たことがあった。それは幕末の嘉永年間のものであったが、この愛宕神社の灯篭はそれよりも150年古い作品ということになる。さすがに、信仰の歴史ある山だ。この山も明治の廃仏毀釈によってずいぶんと破壊を受けたということだが、この灯篭が生き残ったことは喜ばしい。
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