景鶴山 -尾瀬ケ原を見下ろす、登山道のない秘境-
- GPS
- 56:00
- 距離
- 26.6km
- 登り
- 884m
- 下り
- 887m
コースタイム
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 7:30
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
アイゼン
ストック
ピッケル
|
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感想
(鳩待峠〜山ノ鼻)
ツア−登山でした。沼田駅に集合し、ガイドの車で、鳩待峠に行きました。参加者は13名でした。鳩待峠の駐車場は結構いっぱいの状態でした。どうにか駐車できました。鳩待峠で準備を整え、雪道を山の鼻目指して下ってゆきました。1時間ほどで山の鼻に到着しました。小休止でした。尾瀬ヶ原ツア−のグル−プが通り過ぎてゆきました。結構な数のテントが張られてありました。
(山ノ鼻〜竜宮小屋)
休憩後、山ノ鼻、尾瀬ロッジ、上ノ大堀川橋を経て、牛首分岐に山ノ鼻から40分で到着しました。山の鼻の林をぬけて、尾瀬ヶ原の中を歩いてゆきました。正面には行きを抱いた燧ケ岳が見えました。後ろには、行きを抱いた至仏山が見えました。左側には明日登る景鶴山が見えました。夏道の木道がどこにあるか、雪であまりよくわかりませんでした。フミ跡をたどってゆきますが、木道の上ではない場所もあり、踏み抜いて落ちた人もいました。40分ほどで牛窪分岐に到着しました。牛窪分岐でしばらく小休止しました。尾瀬の写真撮影をしました。牛窪分岐から40分で竜宮小屋に到着しました。登山開始から4時間40分でした。宿泊した竜宮小屋付近では、雪の尾瀬ヶ原の夕景色や燧ケ岳などの写真撮影をしました。翌日は、早朝6時に外に出て、尾瀬ヶ原の朝焼けの景色を堪能し、写真にとることができました。
(竜宮小屋〜与作岳)
翌日早朝、朝食をとり、アイゼンを装着し出発。出発は7時半でした。ピッケルはもってゆきますが、しばらくはストックで歩きました。
竜宮小屋から見晴らしに向かって進み、途中から直角に曲がりました。夏では尾瀬ヶ原の上であると思いますが、東電小屋への最短距離のようでした。8時20分ごろ、橋を渡り、東電小屋には1時間たたないで到着しました。小休止でした。
ここから登りでした。笹山の斜面をどんどん登ってゆきました。登ってゆくと、あちこちの木の上に熊ダナを見ることができました。笹山上部には10時前に到着。東電小屋から1時間半で到着しました。ここで休憩しました。ここからは会津駒ヶ岳を望むことができました。眼下に尾瀬ヶ原も広がっていました。
(笹山上部〜与作岳〜景鶴山)
笹山上部からは稜線を歩き、40分で与作岳に到着。しばらく休憩しました。ここからは平ヶ岳が望めました。休憩後、登山再開、景鶴山直下に到着。ここでザックをデポし、ストックをピッケルに持ち替えて登りました。急登をピッケルを差しながら登ってゆきました。急登を登りきると山頂。与作岳から50分ほどでした。登山開始から4時間10分でした。ここでしばらく休憩しました。山頂直下は、今回はしっかりと雪がありましたが、前年はあまりついておらず、トラバ−スしながら登って行った登山者が雪が崩れて、谷の方に落ちてしまい、救助騒ぎになったそうです。景鶴山山頂からは、至仏山や燧ケ岳のほか、平ヶ岳に続いている稜線を望むことができました。
(景鶴山〜竜宮小屋)
帰りには、景鶴山から、与作岳へは40分で到着しました。遅れたメンバ−を待ちながら、しばらく休憩しました。与作岳から、笹山を経て、東電小屋に到着しました。与作岳から1時間20分でした。東電小屋から、ヨシッ堀田代を経て、ヨッピ吊橋に行きました。東電小屋から20分で到着しました。ヨッピ吊橋では、橋げたの外されたヨッピ橋を恐る恐る渡りました。一人ずつわたり全員が渡り終えてから竜宮小屋へ戻りました。ヨッピ吊橋から30分でした。登山時間は、7時間半でした。
(竜宮小屋〜鳩待峠)
3日目は、下山でした。竜宮小屋から、竜宮十字路で小休止。竜宮十字路から、尾瀬ヶ原、下ノ大堀川橋を経て、牛首分岐に到着しました。竜宮小屋から、1時間10分でした。しばらく休憩しました。途中、竜宮十字路までの間に夏には入れない、尾瀬の湿原に入り、見ることができました。牛首分岐から、上ノ大堀川橋、尾瀬ロッジを経て、山ノ鼻に到着しました。牛首分岐から、40分でした。しばらく休憩しました。山ノ鼻を出発し、鳩待峠に下山しました。山ノ鼻から1時間でした。登山開始から2時間40分でした。鳩待峠は多くの登山者で賑わっていました。登山後は、花咲の湯で温泉につかり、登山の疲れを癒しました。食事をしてから、沼田駅で、解散しました。
今回登った景鶴山は尾瀬の秘境にある山で立ち入り禁止となっている地域でした。標高は2004m。日本300名山のひとつですが、登山道はなく、残雪のこの時期しか登山を許されていない山でした。そのため熊の生息も多く、自然がそのまま残されていました。今回、ツア−で参加して、登らせていただいたが、残雪のこの時期だけは、登山が黙認されているようでした。いずれにしろ、自然がそのまま残されている山であるということを強く感じました。登山家西丸震哉氏が尾瀬の西方に雁塔ヶ原という人が踏破困難な地があり、日本最後の秘境ということで、都市伝説になった地でもありました。場所としては、景鶴山の麓、外田代あたりであるようですが、今は立ち入り禁止区域となっています。こうした伝説も残す、尾瀬の奥地にある山でした。
(追記) 後日、御一緒したメンバ−猪平様から、自費出版した「超多忙夫婦の日本二百名山」の本を贈呈いただきました。改めて御礼申し上げます。日本二百名山完登すばらしいですね。お喜び申し上げます。
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