八嶽権現参道 乙事〜権現岳


- GPS
- --:--
- 距離
- 13.3km
- 登り
- 1,369m
- 下り
- 1,369m
コースタイム
07:40 不動清水
09:05 西岳8合目
10:00 乙女の水
10:10 青年小屋 10:50
11:50 権現小屋 12:20
12:30 胎内くぐり 12:45
13:00 檜峰神社奥宮(八嶽権現)
13:30 権現小屋 04:10
04:15 権現岳山頂 04:40
04:50 権現小屋 05:30
06:10 乙女の水
06:50 西岳8合目登山道
07:35 不動清水 07:40
07:55 富士見高原ゴルフ場脇
天候 | 一日目:曇のち晴れのち雨 二日目:強風濃霧 |
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過去天気図(気象庁) | 2014年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
大ナギ横断道(西岳8合目〜乙女の水):廃道。ナギ滑落要注意。ほとんど展望なし。 |
写真
感想
【プロローグ】
最近、熱心なヤマレコユーザーにより、権現岳〜檜峰神社〜胎内くぐりなどの探求がなされるようになった。
現存する唯一の権現講である乙事(富士見町)の八嶽権現講について、そろそろまとめのレコを出しておく時期に来たように感じたので、久しぶりに権現小屋シゲさんのカレー食べがてら登ってきた。
【天候】
折しも台風接近の時だったので、運が良ければ、日没と日の出に劇的な光と雲の共演が見られるかと淡い期待も抱いたが、見事に空振り。
台風対策で窓にすべて雨戸を打ち付けた権現小屋の内部は真昼でもヘッデンが必要な真っ暗な状態だった。
【乙事諏訪神社】
境内に、「御別当大明神」が祀られており、産土社として現役だった頃には、権現岳に正面を向けて置かれていたに違いない。
また、同様に境内に権現講舎があり、年に一度の「八嶽権現講」の時には、この講舎を開けて神事が行われる。
「諏訪神社」は「諏訪大社」の系統であり、阿弥陀岳を聖山とする勢力である。
この神社には、かつて権現信仰のエリアであったが、のちに阿弥陀信仰勢力にこの地を明け渡した痕跡が残っていることになる。
【乙事の八嶽権現講】
中世〜現代まで、諏訪(阿弥陀)の勢力に飲み込まれた後も、権現講が続けて行われている。
権現(檜峰神社奥宮)までの参道は、別に手書きの地図で示したように、少しずつルートを変えて続けられてきた。
しかし、現代のルートも、昭和50年台を最後に誰一人登る講者はおらず、現在では権現講の儀式を麓乙事の講舎で行うのみの簡単なものとなっている。
今回私は、近代のルートをたどってみた。
【乙事〜西岳登山道8合目】
乙事諏訪神社から富士見高原のゴルフ場までは車で移動。途中、鉢巻道路とおっこと亭の間に「八嶽明神」の碑がある。
ゴルフ場脇の登山者用駐車場に停めて登山開始。
約15年ぶりの不動清水は、周りを広く伐採されて、水場もすっかり整備されていた。
いくつも林道を横断してひたすら登る。8合目で「大ナギ横断道」に右折。
【大ナギ横断道】
西だけ南面斜面をトラバースする古道で、現在廃道。ナギは滑落すると止まらない危険な斜度の所あり。
絵図小屋跡を経由して乙女の水に至る。
青年小屋初代小屋番の宮澤源治氏が3年かけて開いた「源治新道」は、稜線〜西岳山頂に至る眺望抜群の山道だが、それに比べると古道は眺望はきかず、登山者にとってはまったく魅力のないルートであろう。
【乙女の水〜青年小屋〜ノロシバ】
ずっと昔、乙女の水〜ノロシバに至る現在の水源の渓谷の中腹に、木製の鳥居が合ったのだという。
これは、当時の参道がこの渓谷沿いに登っていた事を示している。
青年小屋が建ち、ノロシバまでの登山道が開発され、水場の上を立入禁止にして現在の形になっているのだろう。
青年小屋でコーヒーブレイク。コーヒーを淹れてくれたのは、若い元気な女の子。
夏沢鉱泉から一週間ヘルプで来ていて、丁度これから山を降りて鉱泉小屋に戻るのだという。
台風対策の雨戸打ちのためか、珍しくウィークデイに竹内さんも登ってきていた。
権現小屋のシゲさんも雨戸打ち手伝いに青年小屋に下りてきていた。シゲさんに「今夜泊まる」事を告げ、先に出発。
【ノロシバ〜西ギボシ】
ノロシバに立って権現岳南西面をみると、丁度ノロシバとほぼ同標高のところに「姥の懐」がみえる。
やはり古道は、ノロシバから姥の懐にトラバースして道をつないでいたことは間違いないように思えた。
西ギボシを登りながら、権現山頂(檜峰神社奥宮:八嶽権現)〜胎内くぐりを眺める。胎内くぐりの下はザレ場となっているが、その先に「姥の懐」がみえる。
やはり、山頂へのアプローチは標高が低い順に、姥の懐〜胎内くぐり〜檜峰神社であったことが確信できる。
【姥の懐】
胎内くぐりの下方、古杣川の渓谷との交点にある岩稜。
昔、小淵沢で約2ヶ月の間雨が降らなかった時に、麓の民が古杣川沿いに姥の懐まで雨乞いをしに登ったという記録があるらしい。
かつては古杣川沿いに姥の懐までが修験道者の修行道だったという話もある。
姥の懐の下流に、落差約30mの大滝があるといい、現在でも雪解けや大雨の時には涸れ沢に水が流れ、この滝が出現するという。
【西ギボシ〜権現小屋】
西ギボシで権現山頂〜胎内くぐり〜姥の懐の様子やクロユリの写真を撮っていると、シゲさんに追いつかれた。
東ギボシまで同行し、コマクサ生息地にのあった斜面まで、登山道を外れて探検。しかし、コマクサは見ることは出来なかった。
真っ暗な権現小屋でまずはビール。
【胎内くぐり〜檜峰神社奥宮】
下に雨具のズボンを履いて、小屋〜胎内くぐりのトラバース道を藪漕ぎで進む。
胎内くぐりの下のザレ場を探検。コマクサは一株もなかった。
上のザレ場の南側、草付きを登って檜峰神社へ。一応近代の正しいルートを通って乙事から登ってきたことを神様に報告。
【権現小屋の夜】
日没の眺望は雲と霧で皆無。
いつもどおり、大盛りカレーを頂き、いろんな山の話をしながら9時前に就寝。
4時に起きて日の出の風景を狙うが、濃霧と強風でまったく駄目。
ついでに昨日写真に収めなかった、頂上の劔と第二の胎内くぐりの写真を撮る。
【権現〜乙事】
途中、東ギボシのもう一つのコマクサ生息地を登山道から外れて見に行くと、朝露に濡れたコマクサが数株咲いていた。
登山道に復帰して、以後大ナギ横断道〜乙事まですっ飛ばした。権現小屋5:30発で、駐車場に8:00前に着。
【八ケ岳のコマクサについて】
あちこちに大小様々な生息地があるが、そのほとんどは一度絶滅したあと、八ヶ岳某所から株分けして植えつけたものが増えてきたのが現況。
権現周辺のコマクサは、自生しているのではなくすべて移植されたものであって、学問的な価値はない様子。
ザレ場の表面で花を付けるが根は深いらしく、表面のザレ石が下に動けば根は分断され生きては行けず、踏み跡はたくさん付けば、降雨時に水の道ができて流されてしまうという。
権現付近で咲くコマクサもすべて移植されたもので、皆急斜面のザレ場に咲いているので、なんとか生き延びて欲しいと願うところ。
「コマクサを見ること」を重要視している登山者の皆さんは、是非、登山道横の平場に咲いている、ツルネ、キレット、大垂水(硫黄岳山荘付近)、根石小屋前で存分に見てください。
そして、ひっそりと咲いている急斜面のコマクサには、(特にザレ場歩行で石を動かさないスキルのない方は)なるべく近寄らないで欲しいというのが権現小屋番シゲさんの思いです。
【今後の八嶽権現講】
現在、乙事の権現講者たちは、乙事諏訪神社境内の権現講舎で儀式を行うだけで、この30年強の間誰も権現岳往復を行っていない様子です。
もし、地元の登山者で古道を往く権現岳往復の役を買ってでる方がおられれば、権現講者の皆様も喜ばれるのではないでしょうか?
正式には、お酒を持って上がり、檜峰神社奥宮に奉納し、麓にその酒を持って帰って皆で頂く儀式があったようです。
権現岳古道での登拝、お疲れさまでした。
いつもながらALFAROMEOさんの博学と踏破力には恐れ入ります。
西岳からのトラバース路はルート図を見ると何と言って目印もないところで一般道から分岐しているようですが、いかがでしょうか。と言っても私が無事に歩けるような道ではないようにも見えます。昔の人もそんな危険な道をわざわざ歩いたのでしょうかね?不思議な気がします。
新たに耳にした「姥の懐」も興味をそそりますが、胎内くぐりの岩と言い、この辺を歩いてもいいいものなのか?前回の山行では権現岳の小屋番さんに聞いてからと思ったのですがお留守でした。コマクサのガレ場はともかく、ヤブ漕ぎでも歩いていい範囲であればいつか挑戦してみたいものです。
この間、気になったのは山頂の鉄剣が「寝ている」ことです。
少し前の写真を見るとすっくと直立していた時期もあったらしい。それが山頂標とともにか、崩れてしまい現在は岩に立てかけてありますね。
これを以前のように立たせられないか?と無謀にも考えております。
ただこれも信仰のものであり部外者が勝手にいじるのもはばかられ、やはり権現小屋の方にでも相談すべきでしょうか・・・
こんにちは。
>西岳からのトラバース路
見つけにくいと思います。踏み跡はありますが、大ナギは危ないし展望ほぼ皆無なので一般登山者にはまったく意味のない道です。西岳頂上までもう少しで行けるので、稜線散歩できて展望が素晴らしい源治新道の方がはるかにマシです。でも、古道である参道を通ってみたい場合はメール下されば概略はご案内します。
>昔の人もそんな危険な道をわざわざ歩いたのでしょうかね?不思議な気がします。
昔の人にとっては、西岳山頂から稜線を行くほうが大変だったのでしょう。わざわざ高標高を行って下がるより、等標高をトラバースという方を選ぶのが行動原理だったのではないでしょうか?大ナギ横断道も、ノロシバ〜姥の胎動もこの原理で説明可能です。
>胎内くぐりの岩と言い、この辺を歩いてもいいいものなのか?
権現小屋から藪漕ぎでトラバースして行ってください。ものの10分かからず到着です。できればピストンしていただきたいところですが、胎内くぐりから檜峰神社に上がる場合は、ザレ場の右手の草付きを上がっていただきたいと思います。
登山道から胎内くぐりへのザレ場降下はご遠慮いただきたいです。
>ただこれも信仰のものであり部外者が勝手にいじるのもはばかられ
権現岳山頂は実は乙事の区域なのです。劔もかつて乙事の人が持ち上げたものですので、基本的には触らないことを旨としていただいたほうが良いと思います。もしいじる時は、乙事の権現講世話役の方の了解をとるとよいと思います。
おはようございます
わたしなど勝手に推論ばかりで面白がってましたが、やはり地元にはちゃんと考証できるものがあるのですね
八ヶ岳古道ともいえる登山道・・興味深く拝見いたしました
ホワイトバードの絵図・・行ってみたいですよね
なんでもそうですが、時間あればなんて言い訳したくないので、覗きに行ってみます。(免許返還後になりますが
なんか、今年は八ヶ岳に引き込まれてます。
やはり古来の信仰の山なんですよね、歴史が、わたしの興味をつかんではなさないようです。
これ・・対比することもないのでしょうが・・秘境の北アルプス古道の八ヶ岳ですね、わたしの中では
廃道には、そこを歩んだ昔の想いが沁みこんでいるように思うのです
関西では、大峰山系や金剛、高野山、熊野古道などを歩くと、そこに居るだけで癒されます
姥の懐・・面白い地名ですね
無性に行ってみたい・・(大笑
でわでわ
ご教授ありがとうございました
はじめまして。
八ヶ岳は、甲斐、諏訪、佐久側で各々主峰が違っていて、各々権現、阿弥陀、赤となります。権現は権現講、阿弥陀は山麓に諏訪大社奥社と御柱を切る森を持ち、赤岳には赤獄講があり、各々地域の土着信仰の対象となっていました。
権現講は現存するのは乙事のみですが、小荒間などの小淵沢側にも広くたくさんあったものと想像します。乙事は諏訪大社に乗っ取られた後も、地元の方々の権現講の風習が残っている・・・というところがいにしえから続く地元に根を下ろした方々の「時を越えた強い意思」を感じずにはおれません。
仰るとおり八ヶ岳は古代からの人々の信仰対象の山々ですので、恐れ多い事の無きよう、可能な限り現状変更を行わず、穏便に対峙していきたいものです。
ALFAROMEOさん、初めまして。
私が見た古地図は、乙事区所有のものと聞きましたが、それはこの権現講の地図だったのですね。西岳のトラバースルートにあるリアルな絵図小屋、興味深いです。でも迷いそうなのでトライするのはやめときます。権現下のコマクサは移植されたものだったんだ...勝手に侵入し失礼しました。今後は近づかないようにします。姥の懐の古道があるんですね。胎内くぐりの下にでる道ですね。そっちに道があるかと眺めてみましたが、とても想像もつきませんでした。歴史の重みを感じるレコ、ありがとうございました、勉強になりました。
totoro_sanはじめまして。
ええ、あの古地図は乙事のものです。
コマクサの件、totoro_sanは何一つ悪いことはなさっていませんよ。胎動くぐりに上からアプローチすれば仕方のない事です。
下からザレ場を確認してきましたが、totoro_sanの踏み跡があり、ザレ場の上端で南にトラバースして株を避けて歩かれた様が見て取れました。レコでも注意喚起して下さりありがとうございました。他の皆さんが上から見に行かないことを願っています。小屋からトラバースして下から行く分には大丈夫だと思います。
残念ながら八ヶ岳のコマクサのほとんどは自生ではなく移植株です。あそこに植えたのは竹内さんが小屋番になる前、宮澤源治さんの時代らしいです。上のザレ場に植えたものが下まで繁殖する事を狙ったのではないかと思いますが、約40年経ってもあの程度にしか繁殖しないということは、本当に儚い植物なんだなあと思った次第です。
東ギボシには2ヶ所生息地があったのですが、片方が絶滅。恐らく鹿に食べられてしまったのだろうということです。
大ナギ横断道のこと、本当の絵図小屋跡がどこにあるのか?標識のある場所は何なのか?大っぴらには書けない事情が多いので、個人的にメッセージで真実をお伝えします。
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