野宿自炊お遍路(10/25-11/28 35日間)


- GPS
- 361:15
- 距離
- 1,151km
- 登り
- 18,704m
- 下り
- 18,160m
コースタイム
- 山行
- 9:06
- 休憩
- 2:03
- 合計
- 11:09
- 山行
- 10:27
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 11:42
- 山行
- 12:15
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 13:34
- 山行
- 10:24
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 11:28
- 山行
- 9:51
- 休憩
- 0:09
- 合計
- 10:00
- 山行
- 5:00
- 休憩
- 0:06
- 合計
- 5:06
- 山行
- 10:03
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 10:04
- 山行
- 13:20
- 休憩
- 0:57
- 合計
- 14:17
- 山行
- 12:13
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 12:27
- 山行
- 10:14
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 11:09
- 山行
- 8:03
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 8:26
- 山行
- 10:54
- 休憩
- 0:16
- 合計
- 11:10
- 山行
- 11:53
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 12:07
- 山行
- 5:14
- 休憩
- 0:37
- 合計
- 5:51
天候 | はじめに この記録は2022年10月24日から11月28日までの36日間の自炊野宿お遍路記録です。 私は写真を撮る習慣があまりないものですから、他の人の山行記録のようにわかりやすい記録にはならないとは思います。ですが、装備や野営地などの参考になればと思います。 時間潰し程度に流し読みください。よろしくお願いします! 【天気】 11/1・7・13・23の四日間だけ雨が降られました。1日については一日中停滞していましたので雨の中歩いたのは三日間のみという天候に恵まれた巡礼でした。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
船
高速バスで鳴門西PAへ16時に到着の後、霊山寺へ歩いて行きました。 帰り 大窪寺からバス琴電長尾駅へ。高松築港駅から高松東港へ歩きジャンボフェリーに乗船して神戸の家に帰宅しました。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
基本的には舗装路が多いです。峠越えやいわゆるお遍路転がしと呼ばれる寺の周辺は登山道となっていますが、登山未経験者の私でも問題なく通過することができる程度の道です。 |
その他周辺情報 | 基本的にお金がなかったものですから、1週間に一度だけホテルをとって後はテントで行こうと考えていました。食糧もちまちまとかっていると馬鹿にならない費用がかかることと食料を調達できる場所が少ないのではないかという予想から、宿泊した際に次の1週間分の食事と行動食を購入するようにしていました。当然その分装備重量が増加してしまうため、事前に全ての装備の重量を測定し推敲に推敲を重ねることで、合計14.5kgほどに抑えることができました。 お遍路中出会った野宿お遍路の方は軒並み20kg程度の装備で進んでいるようだったのでかなり軽量化に成功していたことになります。 実際には、始めてから数日目徳島市内の銭湯で体重を測ったところ、通常時から7kgも減量していて、そこから行動食を増やしたり、コンビニを見つけたときには何かを食べるようにしていました。 お風呂については、宿泊時とその中間地点で温泉に入るようにしていました。 3日目 徳島市内 新町温泉(銭湯) 6日目 薬王寺温泉 10日目 たのたの温泉 13日目 ビジネスイン土佐 18日目 土佐清水市 旭湯(銭湯) 21日目 ビジネスホテル鶴島 25日目 道後温泉 28日目 椿温泉こまつ 32日目 四国健康村 と計9回でした。 この場所以外にも銭湯や温泉が各地にありますので、さほど心配する必要はないかと思います。 野宿場所、連日の歩行距離のリストを以下に載せておきます。 日数 日付 歩行距離 宿泊場所 0 10/24 7 km 板野大橋下(コンセントなし・トイレなし) 1 10/25 34.7 km 江川湧水源(コンセントあり・トイレあり) 2 10/26 28.4 km 長瀬橋下(コンセントなし・トイレあり) 3 10/27 36.2 km 丈六南公園(コンセントなし・トイレなし) 4 10/28 26.8 km 旧大井小学校(コンセントあり・・トイレあり) 5 10/29 27.4 km 田の井浜海水浴場(コンセントなし・トイレあり) 6 10/30 11.8 km ゲストハウス さくら庵 7 10/31 36 km 遍路小屋宍喰(コンセントなし・トイレあり) 8 11/1 0 km 遍路小屋宍喰 9 11/2 46.1 km 海の駅とろむ(コンセントなし・トイレあり) 10 11/3 34 km 唐浜休憩所(コンセントなし・トイレあり) 11 11/4 47.7 km 物部川橋下(コンセントなし・トイレなし) 12 11/5 32.6 km 種崎千松公園(コンセントなし・トイレあり) 13 11/6 26.9 km ビジネスイン土佐 14 11/7 35.1 km 道の駅須崎の隣橋の下(コンセントなし・トイレなし) 15 11/8 31.3 km 岩本寺通夜堂(コンセントあり・トイレあり) 16 11/9 37.7 km 海のバザール(コンセントなし・トイレあり) 17 11/10 33.3 km じんべえひろば(コンセントなし・トイレあり) 18 11/11 38.9 km 海の博物館隣バス停(コンセントなし・トイレなし) 19 11/12 44.1 km お遍路小屋宿毛(コンセントなし・トイレあり) 20 11/13 33 km ごろくや休憩所(コンセントなし・トイレなし) 21 11/14 28.9 km ビジネスイン鶴島 22 11/15 39.1 km 札掛ポケットパーク(コンセントなし・トイレあり) 23 11/16 44.1 km 厄徐大師堂(コンセントなし・トイレなし) 24 11/17 35.8 km レストパーク明神(コンセントなし・トイレあり) 25 11/18 24.7 km 松山YH 26 11/19 37.9 km 青木地蔵堂(コンセントあり・トイレあり) 27 11/20 34.8 km 道の駅 今治湯ノ浦温泉(コンセントなし・トイレあり) 28 11/21 33.4 km 石鎚山ハイウェイオアシス(コンセントなし・トイレあり) 29 11/22 49.3 km ヘンロ小屋第43号しんきん庵(コンセントなし・トイレなし) 30 11/23 24.5 km 雲辺寺口バス停(コンセントなし・トイレなし) 31 11/24 40.2 km いやだに温泉 大師の湯(コンセントなし・トイレあり) 32 11/25 27.8 km 四国健康村 33 11/26 30.2 km お遍路小屋五色台(コンセントあり・トイレあり) 34 11/27 32.2 km 八栗寺ケーブルカー上駅休憩所(コンセントなし・トイレあり) 35 11/28 26.1 km ジャンボフェリー 合計1158km 平均33km/day 私が野宿した場所は野営禁止ではなかったため、野営場所の検討に活用してください。 野営ポイントは前日に数カ所当てを作り歩きましたので基本的に困ったことはありませんでした。ただ、30日目雲辺寺口バス停については、予定では雲平時通夜堂を利用しようと考えていたのですが、すでに三人利用してるとの連絡を受け、仕方なくバス停を利用させていただいた次第です。バス停は屋根と壁があり野宿場所としては最適なのですが、バスを待つ人のための小屋ですのでできるだけ利用は控えるようにしていました。 装備の軽量化を考えてワンポールテントを持って行きました。お遍路小屋内では当然ペグダウンできませんのでテントの各頂点をロープでベンチの足に括り付ける必要があり、そのせいでスルーした野営場所がいくつかありました。野営場所の候補を増やすためには重量が増えても自立式テントを持っていくことをお勧めします。 |
写真
テッド・チャン『バビロンの塔』の生まれてはじめて、夜の正体を知ったのだ。夜とは、大地そのものが空に投げかける影であることを。
という一文を思い出しながら歩いていました。
焼山寺の後はテント場が少なく山の影から逃げながら谷を下って行きます。地球の回転から逃げながら歩く天空のお遍路道でした。
道の駅のお遍路小屋で昼食のラーメンを湯がいていると、おばあさんが声をかけてくださりいただきました。
88ヶ所の霊場を巡礼する人がいて、見ず知らずの人をお接待する人がいる。私は人生で初めて本物の「文化」というものを理解した気がします。それは決して生活に余裕があるから持てる文化ではなく、もっと人類の生きることの中に普遍的にあるものであると。このことは私の文化というものに対する価値観を大きく変えるものでした。
四国にはこうした、どうしてこんな山奥で生活してるんだ?という村がたくさんあります。便利であるということよりも、もっと大事なことがある。それがこの時はまだ何かわかっていませんでした。
お遍路を初めてすぐの地蔵寺にはとても立派で大きな木があるのですが、その時いた小さな子が「でっかいね〜」と言っていて、初めて私はその木があることに気がつかされました。そして同時に、私の見ている世界は、自分が小さかった頃よりも狭くなっていることに気がつかされたのです。
この旅は、すばらしい景色や美しいものに無理な言葉で説明付けようとしている自分を顧みる旅でもありました。
室戸岬までの道はあまりにもしんどくて写真は全くありませんでした。
南に向いて歩いているので全く日陰のないあの道はお遍路史上最高に大変な道でした。そして、最御崎寺から山を下る時に夕陽の逆光で足摺岬が見えた時にはあまりの遠さに絶望しました。しかし、午前3時に宍喰を出発して15時に最御崎寺に到着。合計46km歩いたこの日、初めて私は四国さんにお遍路であることを認められたような気がします。
ここでお遍路は5回目で逆打ちをしている人と友達になってしばらく一緒に歩きました。人生に躓くとお遍路に来ているそうで
私「お遍路してなんかかわりましたか?」
逆打ちお遍路さん「うーん。まあ行かないよりはマシだったかな笑」
と。
この時から、自分が変わるということ、歩くということについて考えるようになりました。
歩いていると、トンネルの前は上り坂で出た後は下り坂であることに気が付きます。要するに峠の上の方をショートカットしてトンネルを通しているわけです。そんな当たり前のことに気がついて何故か嬉しかったのです。
1620mmずっとトンネルが続きます。通過するのにどうしても20分程度かかってしまいます。トンネルの中でザックをおろして休憩できないので、死に物狂いで前へ進みます。ちょうど45分歩くと肩が痛すぎて一歩も歩くことができなくなるというサイクルを繰り返していてトンネルに入る前にきちんと休憩して通り抜けました。
私の場合は、お遍路中足よりも肩が痛くなることの方が多かったです
室戸岬から見えた足摺岬は地の果てかと思うほどに遠かったのですが、一歩ずつ歩くうちにここまで辿り着くことができました。
初めは、下を向いて歩くことしかできなかったのにいつしか前を向いて歩く時間が増えて、振り向くこともできるようになりました。
朝、目が覚めることに感謝するほどに寒かった夜でした。
山崎豊子原作のドラマ、華麗なる一族の
「何故僕は明日の太陽を見ないんだろう」
という最期の言葉を思い出す。
朝日というのは、夜を生き抜いた人に与えられる勲章なんだと、だから感動するんだと思う。
遠藤周作『沈黙』の最後にある
踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう十分だ、私はお前たちのその痛さと苦しみを分かち合う。そのために私はいるのだから。
という言葉。日本人にとってのキリスト教のあり方を模索し続けた遠藤周作のこの思想は、お遍路における同行二人の思想と同じなんだなと気がつかされました。
宗教・神というものは本質的には一つなのかもしれません。
イサムノグチ庭園美術館が近くにあります。石を削るということは、石の風化に私たちが手を入れるということです。
何かを残すということがなんなのか、もしも宇宙人が、彼の彫刻を見た時にそれを作品として見ることができるのか、お遍路さんが四国を回ることで何か残るのか。
私がお遍路中考えていたこととイサムノグチの作品は何か近いところがあるような気だしてなりません。
装備
個人装備 |
ステテコ 2 336g
Tシャツ 2 340g
フリース 1 350g
パーカー 1 717g
タイツ 2 296g
ヒートテック 2 234g
下着 3 180g
靴下 3 90g
ミニタオル 2 116g
ワンポールテント 1 900g
シュラフ 1 820g
エアマット 1 510g
ガス缶OD缶 1 350g
ガスバーナー 1 270g
メスティン 1 160g
シェラカップ 1 86g
お箸 1 11g
コップ 1 67g
折りたたみ傘 1 198g
歯ブラシ 1 14g
歯磨き粉 1 24g
爪切り 1 20g
石鹸 1 58g
絆創膏 1 26g
風邪薬 1 61g
ロープ 2 100g
モバイルバッテリー 1 370g
バッテリー充電器 1 20g
携帯充電器 1 20g
ヘッドライト 1 50g
ヘッドライト充電器 1 20g
納経帳 1 242g
経本 1 60g
米 1 1000g
棒ラーメン 4 300g
素麺 5 250g
干し肉 1 200g
干し野菜 1 200g
干し椎茸 1 100g
大豆ミート 1 200g
シスコーン 1 250g
コーンポタージュ 8 128g
あげ玉 1 100g
醤油 1 25cc
塩胡椒 1 25cc
ウスターソース 1 25cc
出汁の素 4 160g
油 1 50cc
塩ダレ 1 25cc
ニンニク 1 43g
豆板醤 1 90g
ソーセージ 1 300g
卵 6 390g
カレーの素 1 80g
シチューの素 1 80g
|
---|---|
備考 | 【野宿装備について】 平地で夜は五度程度、久万高原など高地では0度近くまで冷えましたので、相応の寝袋が必要です。ただ昼間は20度近くまで気温が上昇するので体温調節が大変です。 テントは前述の通り自立型のものの方が行動の幅は広がります。 【食糧について】 基本的な献立は 朝 シスコーン コーンスープ 昼 棒ラーメンor素麺 夜 卵かけご飯 カレーorシチューor大豆ミートそぼろ となっていました。 要冷蔵のものは持ち運べないのですが、卵とソーセージは常に持ち歩いていました。どちらも4日くらいは常温でも十分保管できました。ソーセージについては、調理せずにも食べられるので、行動食としても優秀でした。 米は、道の駅かドラッグストアに行けば1-1.5kgのものが売っているのでそれを買っていました。 また、ガスボンベについてはiwantaniの250mgのOD缶がちょうど10日もつのでホームセンターで買い足していました。 【水について】 初めは1.5lの水を常備していたのですが、お遍路小屋や公衆トイレ、公園で水が十分汲めるため、500mlのペットボトルだけで大丈夫でした。 最も重いとき(雨の日の次の日で服が濡れている)でも16.5kgでしたしそれ以上重いと足への負担が上がりますので、このくらいがいい塩梅なのではないかと思います。 |
感想
「お気をつけて」
地元の人に接待していただいた後や他のお遍路さんと別れる時、合言葉のようにこの言葉を掛け合います。
「お疲れ様」とか「さようなら」とかではなく、「お気をつけて」というこの言葉を私はとても気に入っています。お遍路中、少なからず何度も会う人はいますが基本的には一期一会です。同じお寺に行くことはありませんし、一度通った場所は2度と通ることがないからです。そして、他のお遍路さんと出会うときは、二人のスピードが違うから出会うのであって一度抜かしたり、抜かされたりすると、停滞したりペースを急激に上げない限り出会えません。だからこそ、2度と会うことのないかもしれないお互いの旅の無事を祈りながら「お気をつけて」と言葉を掛け合うのです。
長い間旅に出てみたい。ただそれだけの理由で私はお遍路に出発しました。
私は、建築の設計を勉強している学生です。
東京という街は、たくさんの人がいて、いたるところでなんらかの展示や展覧会をやっていて、一歩街に歩き出せばだれかが設計した建築が目に入ってきます。そんな中で生活していると、自分は生きているのか、生かされているのかわからなくなってしまいます。そんな日々に疲れていたのです。
きちんと自分の足で歩いて、自分が生きていることを確認したい。だから歩いて旅に出たくなったのかもしれません。
そんな理由で歩き始めたわけですから白衣を着て歩いているとなんだか、サイズの合っていない服を着ているような違和感を常々持っていました。
そうして歩き始めて7日ほど経って牟岐町に入るあたりで、なんとなく納経して自炊をして、テントで寝て次の日また歩くという生活にも慣れてきたところ、ある逆打ちのお遍路さんとすれ違いました。その人とは会釈をした程度だったのですが、その後ろ姿はお遍路さんであること以上に、ここまで何十日も歩いてきたからこそある貫禄がありました。このとき初めてお遍路というものが真言宗の修行という意味だけではなく、生きることの根底にあるとても大事な何かであることに気付かされました。
何故歩くのか。それは、食事を取る場所へ向かうためであり、寝る場所へ進むため歩くのです。そして次の日歩くために食事をして眠るというこの繰り返しがお遍路であり、それは人間が生きることそのものだと私は思います。都会で日常生活をしている時でもこの「歩く」という行為が何か別のことと入れ替わるだけで根本的には同じだと思うのです。
だからこそ、「お気をつけて」という言葉は、これからも生きていこうとなんだか元気の湧いてくる言葉なのです。
お遍路記録としては役に立つ記事ではありませんが、私の備忘録を覗いてくださりありがとうございました。
旅も終わりに近づくと次の旅のことを考えてしまいます。高野山へお礼参りへ行く時は、自転車で東京から行けないかなとか、こんどは屋久島に行ってみたいなとか。その時は、またこういう風に記事にしようかなと思っています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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