川苔山ー棒の嶺縦走


- GPS
- 32:00
- 距離
- 17.0km
- 登り
- 1,460m
- 下り
- 1,462m
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰路:さらわびの湯ー路線バスー西武線飯能駅 |
その他周辺情報 | 川苔山山頂付近の小屋が撤去された模様 |
写真
装備
備考 | 着替え |
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感想
金曜の夜の内に、土日の事について何かしら計画を立てておかねば、休日を暇人で過ごす羽目になる事は、火を見るよりも明らかだった。献血は10月まで行けない事だし、となれば、私には山しかない。
金曜の23時過ぎにそう思い立ったものの、睡眠時間を考えると土曜早朝からという訳にはいかず、かと言ってどこにするかをじっくり検討する余裕も無かった。ただ、うっすらと秩父辺りが妥当なのではと考えていた私は、手持ちの秩父周辺の登山マップを寝室で広げた。なるほど、網の目のようにコースがある。だが、アクセスを考えるとだいぶ絞られるようだった。今回は、何故か電車で行く気だった。電車でそちら方面となると、JR青梅線もしくは西武線の世話になる。青梅線沿線をたどると、奥多摩からいくつかの峰が北東方向にも広がり、そのまま秩父へと繋がる様だった。そこで私は、10年近く前に、高校時代の友人でもありその後の山友でもあるKと行った事のある、「川苔山」なる小高い山に目を付けた。川苔山周辺を見ると、北東方向に棒の嶺へと縦走できるルートがある。これだ。
明日は午前中に家を出て、昼前後に山行を開始すれば、夕方に川苔山山頂、そのまま付近で幕営、翌日曜日に棒の嶺まで縦走し、麓の温泉施設まで下れば、そこからバスで飯能まで出られる。そのひらめきだけを残して、その夜はそのまま寝た。
8月23日(土)
土曜の朝は8時に起きた。さて川苔山のマップを探すものの、ちょうど私の持っている「雲取山」と「秩父」の狭間にあり、川苔山のルートは詳しいマップを持っていなかった。そこで私は、過去の山行計画書やマップのまとめてあるファイルを漁った。すると奇跡的に、それまた10年近く前にKやその仲間と雲取山へ行った際に、Kから手渡されたマップに、JR青梅線の鳩ノ巣駅から川苔山までのルート詳細が掲載されていたのだ。助かった。2日目のルートは「秩父」マップに網羅されているので問題無い。私はそれらと他の身支度を済ませて家を出た。既に午前11時を回っていた。私の駅から鳩ノ巣までざっと2時間以上かかる。13時過ぎ開始の遅刻登山は免れない。
13:20 JR鳩ノ巣駅着
以前向かった時は古里駅からのルートだったが、今回は一つ西隣の鳩ノ巣駅からのルートを取る。駅を降りて踏切を渡り、のどかな住宅路を北方へ進む。取り付くべき山塊は目の前に広がっている。私は、目的であろうピークの方向を向いて、方位磁針をセットした。川苔山がどのくらいポピュラーな山だったか忘れたが、私の事だから簡単に迷わないとも限らない。
小高い神社(熊野神社)の境内の左奥に進む細道が、どうやら登山口のようだった。登山口の標もなく、鬱蒼と茂る草と歩きづらい足元から、多分こちらはマイナーな方で、メジャーな登山口は他にあるのだろうと思う。半信半疑のまま進むと、しっかりとした登山道と合流した。
最近私の登山道具に加わったストックの使いこなしを意識しながらの歩行を心掛けた。今、登山者の中でブームになっているであろう「グレートトラバース」の主人公田中陽希氏の颯爽とした歩きをイメージしたが、その気になれるまでには時間を要した。
そもそも今回の急な登山計画は、暇な1日を回避する目的と同時に、ここ数日のリセットが目的でもあった。盆の外国から戻ってというもの、気だるさが抜けず、時差ボケなのか、ただ本当にボケてしまったのか自分でも不安な週を過ごしてきた。体のキレも自分なりにかなり落ちている事を感じていた。その倦怠感一式を払しょくする狙いも込めてのこの登山だった。言わばショック療法である。
直射日光こそそれほど受けないものの、ぬるい空気と心拍数の増加により私はすぐに汗ダルマになった。しかし体の調子は悪くなかった。
14:20大根ノ山ノ神分岐
一息ついたのは最初の分岐だった。止まって水分補給している間もとにかく汗が流れ続けた。近くに休んでいる男女2人のペアは沢登り帰りという。この暑い日にはさぞ気持ち良い事だろう。ここで8分程度の休憩をとって、北西方向へ進むと、だいたいこの辺りから、多くの登山者とすれ違うようになった。私見ではあるが、川苔山を目指す人の殆どは日帰りだろう。私自身もKと行った時はハイキングに毛が生えた程度の認識だった。(が、こうして登ってみるとそれよりはハードな気がした。)となれば、昼過ぎに登山を始める人はいない。ざっと20組以上のパーティとすれ違ったと思うが、同じ方向を行く登山者とは一度も遭遇しなかった。そして、すれ違う殆どの人が、「この人、こんな時間に上を目指して大丈夫なのかしら」といった目で私を見ているような気がした。中には親切に「遅いね、今から?」と声をかけてくれる人もいたが、上でテントを張り、棒の嶺まで明日縦走するという事を、一時に説明するのも骨だった。いわゆる山ガールだけのパーティが意外な程多く感じられた。皆、汗だくで険しい顔をして武者歩きを続ける(しかも時間外れの方向に)私とすれ違う時は警戒心を解かなかったに違いない。行き交う人々に私なりに爽やかに挨拶をしたつもりだったが、それがあちらには余計に不気味に映ったかも知れない。
そういう訳で、私は被害妄想というかひねくれ根性に火が付き始めながらも、細い道を何度も譲ったり譲ってもらったりして先を急いだ。単独登山の時は、こういう自分の精神状態の変化を自らで感じるのも醍醐味である。
要するに、体には疲労が蓄積してきていて、脳みそにも回りつつあった。水2.5Lとテント、シュラフ、シュラフマット等の1泊用品を詰め込んだザックはそれなりに重かった。靴擦れもかかとの内側が痛かった。時間が経ち、私が上へ進むにつれてすれ違う人もいなくなった。
16:20舟井戸〜水場
ここまで来れば、もう着いたに等しい。気を入れ直して山頂を目指す。マップには水場と避難小屋のマークが近い。まず現れたのは水場の標だった。水場までは5分くらい崖を下り沢に出る必要があった。私は半端に残った麦茶のボトルを飲み干して、ザックを上に残して崖を下った。川苔山の本当の名の由来は知らないが、沢に降りて、岩を見て思った。川の海苔のごとく、苔むした岩がゴロゴロしていた。しかし、それしきの事で山の名前など決めるものだろうか?現実にはそういう安易なネーミングはそこら中の山や地名で見られるから、あり得る話ではある。水場は、崖上の岩土から染み出す水に、パイプがさしてあるだけ。パイプからはチョロチョロととても少ない水量の清水が垂れている。私の500mlペットボトルを満たすのに、3分くらいかかった。途中つまみ飲みを2,3回したが。
水を得た魚とは行かなかったが、水分を十分に補給した身軽な体で崖を登ってザックに戻った。ザックを身に着けたら、足枷を付けられた囚人に逆戻り。しかし目指す山頂は近い。
17:00程なく木々が開け、分岐の広場に出た。そしてそこから西方向へ少し進んだら、そこには誰もいない川苔山頂上があった。約十年来の再訪だったが、さすがによく覚えてはいなかった。それよりも、昼間だったらさぞ多くの人で賑わっていたであろうこの場所が、独り占めとなっているこの時間が最高に素晴らしかった。その最高さを体現した写真も一人でおさめた。バンザイジャンプだ。誰か一人でも他人が傍に居たら、決して出来ない写真である。テイク1でしっかりと撮影出来た。
私一人はしゃいではいるものの、自然は静かそのものだった。そう言えば、この静けさを求めてきたのでもあった。早々に、寝る場所を定めなければならない。山頂は開けてはいるが、周りに木々がある。だが、本来テントを張る場所でもないし、豪雨、落雷を念頭に置けば適所とも思えなかった。待てよ、マップにあった避難小屋を一度も目にしていない。先程の分岐の場所にあるはずだが…。2日目のルートはいずれにせよその分岐まで戻る事になる。私はザックを再び背負い、分岐まで戻った。注意深く避難小屋のあるべき場所を探ると、ベンチの向かい辺りに、何やら朽ちた丸太が集められた場所がある。腐ったトタンの破片も転がっている。恐らくこれだ。10年前のマップにも、私の持っている2009年度版の秩父マップにも辛うじて掲載されている避難小屋のマークであったが、どうやらこの5年の間に、朽ち果て取り壊されたのだろう。人の生死を分ける避難小屋にも生死があるのだ。私の心の隅には、「避難小屋が使えるのなら、面倒なテントよりもずっといい」という甘えがあったが、今やっと払しょくされた。私は真剣にテントを張る場所を見つけねばならなくなった。この近辺では、ちょうど分岐の看板と看板の間の僅かな芝生の箇所に張れる事は張れる。近くに便利なベンチもあるし、悪い場所でもなかった。しかし、マップを明日歩く方向へ眺めてみると、ここから更に15分程度歩を進めれば、横ヶ谷平なる分岐がある。名前から察するに、平坦な谷であろう。日没まで後数十分、私は颯爽とそこへ向かった。
17:40横ヶ谷平
果たして、私の当て勘は的を射た。平坦な草のクッションが私を迎えてくれた。私はすぐさま幕営に取り掛かり、中に入った。まだ蒸し暑い。衣類は汗でぬれて気持ち悪いが、下半身の着替えは、風呂用しか持参が無かった。風呂用を汚す訳にもいかず、テントの中しばらくパンツ一丁で過ごした。100円均一のキャンドルに火をつけた。私が改造してから火力が相当なものになり、テントの中に煤が充満した。日が落ちて肌寒くなってきた折、キャンドルの炎は意外と暖かくて良かったが、体に悪そうなので消してLEDライトに切り替えた。
晩飯は、羊羹と菓子パン半切れ。普通なら贅沢に頂くべき酒蔵オリジナルの羊羹を、芋でもかじる様に喰らった。350gの結構なボリュームだったので、さすがに一本は無理だった。半分かじって半分は明日朝のノルマにした。これと駅に向かう途中に買っておいたメンチかつパンを半切れ食べて、今日の分のカロリーはOKとした。
究極の静けさがテントを包んだ。途中でTBSラジオをつけると、とあるアイドルアナウンサーの他愛もないトーク番組が始まった。つまらないトークだった。よくもこれで番組が成り立つと思うくらいだったが、結局最後まで聞いていた。これまた耳障りなリクエスト曲が始まった所でやっと正気に戻り、ラジオを消してスキットルに入れてきた二階堂を飲んだ。明日の計画は、10時頃に下山地点にある温泉施設に到着する事。そこから逆算すると、5時前には歩行開始となる。普段の私の撤収の遅さを鑑みて、4時前には起床せねばなるまい。
おもむろに寝ようとした。出来る事なら、片付けの面倒なシュラフマットとシュラフは広げたくなかった。しかし、さすが山中の夜は冷え込む。震えながら時間を潰すよりも、折角持参した装備を解いて、しっかりとした睡眠をとる方が良いに決まっている。
芝生とシュラフマットの織り成すクッション、ダウンシュラフの暖かさに守られて、山中泊歴代トップレベルの快眠に落ちた。途中で2,3回目覚めた時雨音を聞いたが、幸い夜中の内に上がっていた。いつもなら、外に出て小便をする時に見上げる星空にうっとりするのだが、今回はテント外に出なかった。面倒なのと、単純に暗がりが怖かった。
8月24日(日)3:40起床
朝起きてする事は、羊羹をかじる事だった。勿体ない食べ方だが、冷蔵庫に入れておいても私も妻も自主的には食べない。こうして登山のカロリーに昇華させるのがベストなのだ。
汗の乾ききっていない衣類を再び装着する時の不快感は、山中でも拭いきれなかったが、背に腹は代えられない。靴擦れでめくれ上がったコイン大の水ぶくれに、ティッシュペーパーをテーピングで押し当てて、その上から昨日と同じ5本指ソックスをはいた。テント内を万事片付け、いざテント撤収。外はまだ薄暗く、静かだった。しかし突然ガサッと物音がして、イタチのような小動物が2匹、目にも止まらぬ速さで藪から藪へと駆けて行った時はドキっとした。
あれが仮に熊だったら私は殺されるんだろうか。音を消していた熊鈴をザックにぶら下げて鳴る様にした。
5:00歩行開始
歩き始めは、昨日の疲れが残っているのか体が重かった。リハビリテーションさながらのペースで歩いた。木々の間から見える遠くの山の前には雲海が侍っており、昨日の夕以来の静けさも続いていた。自宅に居たらまずお目にかかれない神秘的な時空である。
6:00日向沢の峰
重さが抜けきらないまま踊平を抜けて日向沢の峰に到着。日向沢の峰はマップ上に記される程ピークらしい地点ではなかった。ただの小高い分岐点といった印象だった。それよりも、コースタイムとほぼピタリの時間を要した事に、一抹の不安を感じた。
この分岐からは、4時間以上をかけて尾根を下り、棒の嶺を経て下山する。
ここから先、長尾丸山、槇ノ尾山を通過する間、ダラダラとした下りが続く。
自然に心酔していた折、突如巨大な人工物=うすらでかい鉄塔が稜線上に現れた。鉄塔の脚にはそれぞれ大きなコンクリートの土台がついており、尾根を丸ごと挟むようにして土の斜面に食い込んでいる。鉄塔の上からは電線がはるか先の鉄塔に続き、便利さを我々の住む場所まで運んでいる。それを享受しながら、どんな自然思想も軽いものだ。私はさっきまで自然に酔い痴れていた自分と、本当の自然というものの間には実際には大きな距離がある事を思い知らされたような気がして、先に進むしかなくなった。
この尾根を進む間もずっとリハビリペースを続けていた。実際、下りでは足が笑う場面すらあった。やはり盆以来体が鈍り続けていたようだ。しかし、かかった時間を省みるにつれて、やはりこのペースは遅いと自覚を迫られた。グレートトラバースの精神を甦らせねば。一時の休憩で水分とカロリーを補給し、靴ひもも結び直し、私はペースを上げた。すると先程まで無理を決め込んでいた足も徐々に従い始めた。これが気力というものだ。
8:40棒の嶺
果たして、幕営地点から3時間40分かけて、棒の嶺に到着した。と同時に、初めて人と会った。棒の嶺からの眺望は素晴らしかった。これが尾根上の低山に過ぎないこの山を、名の知れたものにしている所以だろう。ここの東屋でも、山ガール2人組がお喋りに興じていた。そして1人、2人とこのピークに集まってくる。とてもじゃないがバンザイジャンプどころではない。私は少し水を飲んで、下山の道に入った。
棒の嶺からの下りは、これまでの下りとは一線を画していた。尾根上最後のピークであるから、傾斜は急で、この辺りでは既に下界を謳歌するバイクの騒音が聞こえていた。やがて分岐に出て、滝ノ平尾根を下るか、沢沿いを下るかの選択になる。もう尾根下りは飽きたので、沢コースを選んだ。沢に下る途中、林道を横切る。そこには豊かな水場があり、私は顔を洗って、重量減の為にあらかた空かせていた2Lペットボトルに、岩清水を充てんした。気分一新して、林道を横切ろうかとザックを背負っていたら、爆音が近づいてくる。オフロードバイカーのお出ましである。一瞬にして3,4台がこれ見よがしに砂利を巻き上げて走り去っていった。私も下手くそながら学生の頃やっていた。丁度今走り去った最後のバイクと同じ、緑のバイクだった。あれで河川敷を練習場に走り回ったものである。だが立場が変われば、これほど疎ましい存在なのか。正直に言って、林道上に丸太でも並べておいてやろうかと思うくらいだった(もちろん実際にはやらないが)。自分を顧みれば、過去の楽しい思い出には違いないが、あの時周囲にはどういう思いをさせていたのか?自戒の念を禁じ得なかった。
そんな数メートルの林道横断を過ぎれば、本格的に沢に下っていく。登ってくる登山者はどんどん増えてくる。譲り合いタイムが始まった。ここからはいかにスマートに道を譲れるかがキーポイントになってくる。お互いの駆け引きで譲ったり譲られたりである。だが場所はいよいよ岩がひしめく沢沿い。危険度は今までより断然高い。ある崖っぷち近くの岩斜面で、不覚にも私はコケた。滑りそうな事を認識していながらコケたのだ。ほんの1メートル少しの落差ではあるが、ずり落ちる音は滑落そのもので、その音だけで、少し先のこれから上ってくる中高年ペアに心配をかけてしまった。僅かに膝を腫れさせたのと、何より残念な事にお気に入りの手袋の小指の先の縫い目が少しだけほつれてしまった。Promonteの薄手のメッシュグローブで、指の第2関節から先が露出する様になっている。まだ使って2,3回目だが、生まれ変わってもこれを買いたいくらい既に気に入っている。後で縫わねばならない。
コケた場所から先5,6メートルくらいの岩階段を下ると、そこからは幾つかの滝があり、沢沿いの岩を渡って進むようになる。自分がコケたからではないが、ここは初心者、子供や老人には危険なコースだと私は思う。私はストックを収めて、すれ違う人達と挨拶と譲り合い駆け引きを続けた。夏には涼しげで良いコースだ。そんな沢エリアを越えたら、後は少々の樹林帯を下っていくと、名栗ダムとアスファルトが見えてくる。登山口に到着だ。
ここからダム沿いに歩いていけばすぐに温泉施設さわらびの湯かと思いきや、20分程度アスファルトを歩いた。これが山中よりもとても長く感じた。ダム周辺にはこれから登山口に向かう車、人、そして黄昏のライダーが数人、各々愛車を撮影したり、自らに陶酔する時間を愉しんでいるようだった。私自身もとりあえずの計画完遂に陶酔しながら歩いていた。だが20分は長かった。陶酔よりも早く風呂に入りたいという欲求の方が強くなっていた。
10:30さわらびの湯入口バス停到着
ここから飯能駅まで運んでくれるバス停の時刻表を確認し、風呂に浸かっていられる時間を逆算した。だが、この入口から温泉施設までがまた長く、5分くらい歩く。自動車ありきのレイアウトには大分歩かされた。
やっと風呂に浸かれた。靴擦れや色々な所が沁みた。温泉は混んでいる程でもなかったが、それなりに客はいた。小さな露天風呂がぬるま湯でゆっくり浸かるには良かった。そこに、プールと大衆浴場の違いが分かっていない兄弟がはしゃいでいた。弟が1回目に飛び込んだのを見た時にそう思った。2回目の時、私はそこに浸かっていた。心の中では、飛び込んでくれるなよ、と思っていたが、案の定飛び込んだ。遠くからあたかも厳しげな口調で子供の名前を呼ぶだけしかしない親父さんの代わりに、私がその弟を、静かに入るようたしなめてやった。
ともあれ、私は清潔になった。
11:49バスに乗る
さらわびの湯で私が乗った時点では乗客は私だけだったが、約50分近くの間に結構な人が乗った。山ガールではないが女性が多かった。私の後ろに座った女性の濃い化粧の香りが、昨夜のテントの中、汗で蒸された自分の衣類のそれと対照的で可笑しかった。
バスの中から、かつての山友で私を秩父や越後の山へと連れ出してくれた人にメールを出してみた。2〜3年振りの連絡だと思う。いつぞや彼らと行った山行で、さわらびの湯に立ち寄ったか通りすがった記憶が確かにあったから。彼はすぐに返信をくれた。何と翌週に富士山へ行くと言う。相変わらずの山好きだった。
そもそも川苔山からというアイデアが浮かんだのも、かつての山友Kのお蔭だ(当時のマップを保管していた自分の物持ちの良さにもうぬぼれるが)。
単独登山も良いが、人と行く登山は、後から何らかの形で、自分を後押ししてくれるものだ。元は暇の回避、体力テストの様な目論みだったにもかかわらず、終えてみるとやけに感慨深い山行だった。
コメント
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お疲れ様です。
川苔山は、道が多くて迷いやすいし、棒の嶺迄の尾根は静かな尾根歩きが出来たんではないですか?
8月9日には、川乗谷の逆川から登りました。お手軽な山ですが、仕事道やら廃道が多くて迷いやすいんですよね!
ありがとうございます。仰る通り、川苔山〜棒の嶺の間は全くの静寂な山歩きでした。仕事道がたしかに多く、中には巻道もあったので、これらが熟知出来たら楽な歩き方も出来るかもしれませんね。それにしても、低山と言えど奥深い山です。
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