歴史のロマンと伝説を秘めた山・銀太郎山


- GPS
- --:--
- 距離
- 18.3km
- 登り
- 1,633m
- 下り
- 1,622m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
銀太郎山には、源平の時代、平家に対して挙兵し、失敗に終わった高倉宮以仁王にまつわる伝説がある。クーデターに失敗した以仁王は、宇治平等院から逃れる途中で、命を落としたと、平家物語に書かれている。しかし、実は、以仁王は脱出して、越後に逃れたという、伝説がある。
以仁王には、清ノ銀太郎貞永、清ノ銀次郎貞行という家臣がいて、彼らが潜伏先の阿賀町室谷と小国(現・長岡市)を人目に付かず往復するため、この山々に道を開いたというのだ。一体どういうルートで、銀次郎、銀太郎山を経由して、室谷と小国を往復したのか、想像もつかないが、歴史のロマンを掻き立てずにはいられない。
今回初めてこの山を歩いてみて、いかにも伝説に彩られた、秘境にふさわしい姿をもった、忘れがたい山となった。
悪場峠の手前800メートルほどの道路脇に、林道竣工記念碑が建っていて、すぐそばに車が4台ほどとまれる駐車スペースがある。数日前下見に来た時に、悪場峠登山口の前の路肩にも、数台駐車できるスペースはあったが、ふさがっている可能性があると思い、ここに車を止めて、歩くことにする。
下見に来た折は、車で通っただけなので、歩いても4、5分で峠まで行けると思ったが、いざ歩いてみると、10分はたっぷり掛かってしまった。
登山口の路肩には3,4台の車が既にとまっていた。路肩に消え残る雪を踏んで、最初の斜面を登り切ると、杉の林の傍らに、小さな石祠がひっそりと立っていた。水無平までは、山腹のへつり道を行くので、やや歩きにくい。
開けた明るい谷に出る。水無平だ。16年ほど前、木六山に登った際、ここを通ったはずだ。それ以来訪れていないのだが、ぼんやりと記憶に残っている。
登りの斜面に掛かったあたりで、急に道を失った。いったん赤いテープのあるところまで戻ったが、やはりまっすぐ上にトレースが付いているように見えるので、再び登り返す。しかし、どこまで登っても、登山道らしきものは現れず、藪の急斜面になって来たので、再度テープのところまで引き返した。そして、よく見ると、右に赤いテープが目に入った。その先に、明瞭な登山道が伸びているではないか。ここで、20分ほどロスしてしまった。
尾根に出る手前で、下山してくる登山者と出会った。早いですねと、声を掛けると、どちらまで、と訊かれたので、できれば銀太郎まで行きたいのですが、と答える。かなり遠いですよ、気を付けて、と男性は穏やかな笑みを浮かべながら下って行った。雰囲気からして、地元の人のようだった。
しばらく急登が続いた後、尾根に出る。途中、道の傍らに小さな祠があり、横に「下杉川村 明治四十年 山田某」の文字が彫られている。そこを過ぎ、木六山の手前から、山腹を巻く道があるはずだが、分からないうちに通り過ぎ、山頂に立つ。南西にまだ多くの雪を被った粟ヶ岳が朝日に輝いている。南には、これから辿る銀次郎、銀太郎に至る長い尾根が続いている。実際見ると、かなり起伏に富んでいて、果たして銀太郎まで行けるのか、不安になってきた。あわよくば五剣谷岳までと思っていたが、とても無理であると早くもあきらめた。
七郎平山までは、それほどの起伏はないが、結構長い。途中に、山桜の大きな木があって、ソメイヨシノより濃い桜色に染まって、今が満開だ。清楚でありながら、艶美な色彩が、残雪と新緑に映えて、山桜ならではの美しいたたずまいだ。。
七郎平山の山腹はまだ深い雪に覆われていて、ルートが分かりにくい。二人ほど先行する人がいるらしく、その足跡をたどりながら行くが、時折、見失ってしまう。そんな時は、目を凝らして、赤いテープを必死に拾い、ルートを見つけながら進む。
七郎平山には、水場があるはずだ。今日は予報通り気温が高く、持参した水が、残り少なくなってきたので、水場を見つけ出さないと、まずいことになる。幸い、先行者の足跡を辿るうち、自然と水場に出ることができた。分厚い雪の下から、清冽な水が流れ出ている。口にすると、冷たくて、実にうまい。コップに何杯も飲んで、体が生き返った。
銀次郎山までは、アップダウンを繰り返しながら進む。イワウチワやオオバキスミレなどの春の花が咲いていて、緊張を和ませてくれる。銀次郎の前に、大きなピークが立ちはだかる。その手前の鞍部の東側に、はっとするような美しい谷が開けている。白い雪に埋もれたカールのような谷に、若葉を纏ったブナの林が点在している風景にしばし足を休める。そして、銀次郎の手前には、銀三郎とでも呼びたいきついピークがあり、それを越え、急坂を登り銀次郎山に到達する。
山頂から銀太郎までは、まだかなり距離がある上に、いったん大きく下って、登り返す、きつそうな道のりだ。ここまでで引き返す手もあるが、まだ10時になるかならないかだ。今後衰える一方の体力を考えると、ここで行っておかないと、もう二度と登れないかも知れないと思い、足を前に出す。
それにしても、この急な下り、どこまで続くのだろう。帰路、ここを登り返すのかと思うと、気持ちが萎えそうになる。その後も、何度かアップダウンを繰り返し、ようやく銀太郎への登りに掛かる。そこで、下ってくる男性とすれ違った。
―どちらからですか?と尋ねると、
―銀太郎までです。時間的にいって、その先まではちょっと無理なので。ところで、木六山のあたりの道で、サルの群れに遇いませんでしたか。
―いえ、遇わなかったですね。
―群れの中に、ボスザルらしきものがいて、近づいても全然、逃げないので、ちょっと怖くなりました。仕方ないので、こちらが道を迂回して、やり過ごしました。
―集団でいると怖いですよね。でも、そういえば、途中、登山道の下の藪でガサガサ音がして、動物の鳴き声がしたことがありました。今から思うと、サルの鳴き声だったような気がします。
―そうですか、遇わなくてよかったですね。それでは、気を付けて、もうすぐ山頂ですよ。
―ありがとうございます。気を付けて。
木六山の登りで人に会ったきりなので、何かほっとする。
20分ほどの急登を経て、11時、銀太郎山に到着する。ここまで来ると、河内山塊の大分深部まで入って来た感じがする。日本平山、御神楽岳、粟ヶ岳、白山、五剣谷岳と山また山が連なる。遠くには、飯豊連峰が白く浮かんでいる。振り返れば、今日辿って来た、銀次郎山、七郎平山、木六山と長い道のりが見える。
五剣谷まで行けば、青里岳や盟主・矢筈岳を思うがままに眺められるのだろうが、ここからは道なき道を行かなければならず、まず無理と思わざるを得ない。もう少し若い時に、この山々に入っていれば、と痛切に感じた。
それにしても、この河内山塊の眺めの素晴らしさは、比類がない。標高は高くてせいぜい千二百メートルほどの峰々の連なりなのだが、雪と新緑に彩られた山と谷の織りなす景観といい、その奥深さといい、多くの岳人を魅了して来たのも頷ける。この山々の姿は一度目にしただけで、忘れがたく、いつまでも記憶に残るに違いない。
景色は素晴らしいのだが、虫が大挙してまとわりついてくる。その上、帰りの長い道のりのこともあるので、いつもより手早く昼飯を済ませ、下山に掛かることにする。
銀太郎から少し下ったところに、行きには気が付かなかったが、小さな石の祠があった。祠の中には何と立派な一物が鎮座していた。思わず、頬がゆるんでしまう。無事下山できますようにと、手を合わせる。
銀次郎を越え、七郎平山の雪の原に差し掛かったところで、先行者の足跡を見失ってしまう。気温が上がり、雪上の足跡も、消えやすくなっているようだ。赤いテープも見つからない。大体の方角は分かるのだが、水筒の水が底をつきかけていて、水場を見つけられないと、困ったことになる。既に、喉がからからな状態だ。
うろうろするうち、左太ももの裏が攣りそうになる。これにはさすがに焦ってしまった。こんなところで、痙攣で動けなくなったら、やばいではないか。
水場は雪原の際にあったはずなので、へりにそって進むうち、足跡も発見し、何とか、水場にたどり着くことができた。思い切り喉を潤し、少し休憩したら、幸い痙攣もおさまった。
七郎平山から木六山までが、実に遠かった。登るときには、それほど感じなかったのだが、左側が切れ落ちているへつり道が続き、疲れた足にはこたえた。こんなところで足を踏み外したら、かなり下まで持っていかれる。気持ちを張りつめて、慎重に一歩一歩進む。それが、疲れた心と体を一層消耗させる。
そこを何とか切り抜けて、見事な桜の木が立っているあたりで、若い登山者とすれ違った。時刻は2時半過ぎだった。この時間で、いったいどこまで行くのだろう。テン泊にしては、ザックが小さい。
木六山の登りに掛かる頃は、疲労もピークに達して来る。足はそこそこ前に出るのだが、頭がぼんやりして、思考力が極端に落ちてきた。途中、山頂を経ずに行く巻道の入口が目に入ったが、また、迷ったりするのが嫌なので、きつくても、直登ルートを行くことにする。
2時50分、喘ぎながらも、ようやく木六山の山頂にたどり着く。ここからは、下り一方なので、早ければ1時間少しで下山できるのではないかと、少しほっとしたが、油断は禁物だったのだ。
10分ほど休んだ後、下りに掛かる。道なりに進むと、前方に倒木が道を塞ぎ、左手に明瞭な道が付いている。何も考えず、躊躇なくその道を下る。道はヤセ尾根で、やけに険しい下りが続く。10分ほど下ったところで、はっとする。水無平からの登りは、こんなに急峻ではなかったはずだ。もしかしたら、違うコースを下っているのではないか。慌てて、地図を取り出す。やはり、間違っていた。ここは、グシの峰を経由して柴倉沢登山口に下る道に違いない。
自分の軽卒を呪いながら、来た道を登り返す。それにしても、よりによって、こんな急な棒尾根を下ってしまうとは、やはり要所要所で確認を怠ってはならないのだ。特に疲労が重なっている時は気を付けないといけない。とは思いながら、また同じ間違いを起こしそうな気がする。
重い足を持ち上げ、持ち上げ、ようやく尾根を登り切る。先ほどの、倒木で塞がれた先を見ると、赤いテープが見える。倒木をまたいでみると、その先に明瞭な登山道が続いている。こちらはゆるやかな尾根道となって、方角からしても、確かに水無平へ下る道だ。とんだ所で、30分近くも時間をロスしてしまった。
足取り重く、ゆるやかな尾根を下っていくと、ふと背後に気配を感じ、振り向く。そこには、木六山と七郎平山の中間で、すれ違った若者が、無言で立っていた。どうぞお先にと、道を譲ると、まるで走るような軽快な足取りで、下って行き、あっという間に姿が見えなくなった。
彼はどこまで登って来たのだろうか。せいぜい、銀次郎までとは思うが、それにしても早すぎる。木六山と七郎平山の中間で、彼とすれ違ったのが、2時半頃だ。あれから1時間くらいしか経っていない。仮に銀太郎まで行ったとしたら、走って登ったとしか思われない。しかし、トレランの姿ではなく、それなりのザックを背負っていた。どこまで登ったのか、聞いてみればよかった。
若者の飛ぶような足取りに比べ、こちらは、疲労で重さを増して来る足を、だましだまし、ようやく水無平までやって来た。しかし、忘れていたが、ここから悪場峠へ抜けるには、いったん登り返しがあるのだった。
ますますぼんやりしてくる頭と、疲労がピークに達しつつある体を、何とか鼓舞しながら山を越え、4時30分、ようやく悪場峠にたどり着いた。
悪罵峠から、車を止めた駐車場までは、たかだか歩いて10分ほどの林道歩きなのだが、何とも遠く、長く感じた。
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