経塚山まで(霊仙山)


- GPS
- 07:01
- 距離
- 9.0km
- 登り
- 753m
- 下り
- 803m
コースタイム
- 山行
- 4:11
- 休憩
- 2:45
- 合計
- 6:56
天候 | はれ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
榑ヶ畑登山口まで自家用車で移動。 タクシーは醒ヶ井養鱒場まで。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山道は歩きやすく、整備が行き届いていました。西出商店さんが整備してくださっています。ありがとうございます。 登山ポストは登山口休憩所にあり |
その他周辺情報 | 山小屋かなや http://yamagoya-navi.com/%E5%B1%B1%E5%B0%8F%E5%B1%8B%E6%83%85%E5%A0%B1/%E5%B1%B1%E5%B0%8F%E5%B1%8B%E3%80%80%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%84/ 本日は営業されていませんでした。 「手動」販売の飲物は、補充に来られました。 ぼくは、ここのコーヒーがおいいしいので気に入ってます。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
レジャーシート
地図(地形図)
コンパス
笛
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
カメラ
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感想
いきものふれあい室の観察会に参加しました。
「霊仙山登山と食害の実態を知る」がテーマです。
実は、これまで何度か霊仙山での観察会は計画されていましたが、天候が良くなく実現できていませんでした。なんと4回目にして、初めて晴れました。醒ヶ井水の宿駅に集合。先発隊の青木先生が駐車場の様子を見に行かれていました。湧き水が出ているので、ハイドレーションの水を入れ替えて、出発。登山口の少し下のところに駐車場を確保されてました。登山口近くの駐車地も2台で余裕ありでした。
16名のメンバーで自己紹介をして出発しました。
榑ヶ畑では、石組みが残っているので屋敷跡はすぐにわかる。
そこに植林がされている。谷筋なので杉が多い。
滋賀夕刊の記事によると
http://www.shigayukan.com/2007/10/post_168.php
「緑苔寺が昭和29年、光顕寺が32年に移築されて遂に無人集落となった」とある。無人となった集落あとに、10年ほどして植林が行われたようだ。戦後の植林事業は、40年前にピークをむかえる。(バイオマス白書2010)
http://www.npobin.net/hakusho/2010/topix_03.html
樹齢とぴったり。
山の姿も、戦後の植林事業、高度経済成長期の2次産業の発達と労働者の確保、燃料の変化(割木、まき、炭から灯油、電気、ガスの普及)によって様変わりしたといえる。
植林事業は、大規模なものであったので、「尾根ヒノキ、谷スギ」の光景が広がったが、それ以前の山の姿と人々の暮らしぶりも残されている。
まず、最初は40年どころか100年近い大木が残されていた。ご神木として祠が置かれたような感じのするところ。安全を祈願したり、少し急傾斜の斜面で要所となるところは切らずに保全に努めてきた証。
汗ふき峠を越えて尾根筋を登っていくと、アカガシの木が、登山道わき残されていた。西出商店さんの道標もかけられていた。帰ってから、検索すると「ゑれきてる」というサイトで、この木は「硬くて強度の高い有用樹」として紹介されていた。
http://elekitel.jp/elekitel/nature/2013/nt_132_akgs.htm
「木刀材にはビワも使うが、アカガシの木刀がもっとも有名である。アカガシの木刀を所持するには警察への届出の義務があった時代があり、また槍の長柄には折れにくいために緻密で粘りが強いアカガシが用いられた。
材が硬いことから、くさび、農具やノミの柄やカンナの台として使用されるので、農林業や木工家には重宝されている身近な樹である。また、造船の船べりなどの接触部分や舵、櫂などにも欠かせない重要な資材である。特殊な用途として拍子木、三味線の棹などに用いられる。」
榑ヶ畑は木地師の里でもあるので、木工道具の整備には欠かせない樹である。
植林を抜けて少し明るくなると、木々の紅葉、色づきが始まって美しい。
ウリハカエデの黄葉は色の変化が見事だ。
動物もたくさんいるようだ。猿や鹿の鳴き声がよく聞こえる。
我々は、スタートはゆっくりしていたし、何組か追い抜いて行かれたのだが、猿の群れがすぐそこにいた。
群れの真ん中に割り込むと、怖い思いをするので、まわりを見張っているボス猿の様子をうかがい、群れが安全なところへ移動して去っていくのを確かめてから、進むのが良いそうだ。青木先生も40匹近くの群れの中に割り込んで、怖い思いをしたそうだ。
カマツカの木に赤い実がなっていた。リンゴの仲間なので、実は美味しかった。別名「うしごろし」。名前の由来は、「ゑれきてる」によると「材、枝ともに重硬、強靱でねばりが強く、割裂しにくいので、農機具の柄、鍛冶工、石工などの玄翁(げんのう)の柄として、箕(み)や笊(ざる)の縁木として賞用されていた。また、枝は鎌や傘の柄、タンスなどの木釘、その他の細工にも用いられた。
カマツカの別名のウシコロシは、牛が枝の間に角を入れると抜くことができないくらいこの枝が強靱であることを示したとする説。枝をおりまげて、牛を引っ張るときに必ず使う鼻木(鼻環)にし、牛の自由を制御し、牛の行動をおさえることから、「牛殺し」の別名ができたとする説がある。」この木も、暮らしに欠かせないものだ。
前半は、伊吹山の北尾根山行の続きで植林と植生のお話でした。
お猿岩まで登ってくると、5年前の記録と様子が違うので驚いた。
青木先生から1997年の霊仙山山頂付近の写真をいただいて、この写真をどのあたりから撮影したか見つけてみようという課題をいただいた。
ちょうど、虫とり網をもった方が映っている写真だが、網の部分が笹藪の中から見えているので、笹は1m以上ほぼ身長ぐらいなので1.5mほどになる。20年前の鈴鹿の山を歩くとどこも笹の藪漕ぎだったそうだ。笹ガレのあと、根っこは残っていて、また笹が生えるのだが、大きくなる前に食害がひろがったそうです。三周ヶ岳の周りで藪漕ぎを少ししたことがあり、なかなか大変だったが、このまま貴重な経験になってしまうのだろうか。
こんにちは
経塚山でU ターンはまだ足が完治してないからですか?
20年30年前はお虎池あたりまでは腰を超える熊笹やススキをかき分けて進み、熊笹が低くなってその中の道を進むと経塚山に着きました。
最高点より西南尾根は、かって滋賀総体のコースでもありそれなりの踏み跡もあったのですが、いつしか荒廃し、20〜30年前頃は最高点より南は背丈ほどの猛烈なイバラの茂みが行く手を阻み、石灰岩の岩が足元をすくうとても歩きにくいルートでした。
近江展望台からの急傾斜は肩ぐらいの草をかき分け足探りで進まなければならない状態でした。
鹿が食べたからでしょうか、昨今は、良いハイキングルートになりましたね。
金糞岳のふれあい教室は参加しようかな。
こんばんは
登りはよいのですが、下りはまだ難しく感じます。
もともと、下りがへたくそでしたが、怪我のおかげでその下手くそさがよりはっきり感じられるようになりました。雑な足運びをしていたと反省しています。
藪漕ぎについて先輩方から、昔の様子をいろいろと教えていただきました。
Rauchさんもやはりよくご存じですね。西南尾根〜笹峠の昔の状況は今の姿からは想像できません。かなり難易度が上がりますね。辻諒一さんの著書でイブネ、クラシだったともいますが笹藪の写真を見たことはありましたが、今と全然違いました。昔のお写真、よければ見せていただけませんか。
金糞岳もはじめての山行になります。
ご一緒よろしくお願いします。
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