記録ID: 8092471
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ハイキング
関東
旧甲州街道を歩いてみる(1)新宿-相模湖側小仏峠登山口
2025年04月29日(火) 〜
2025年04月30日(水)


体力度
6
1〜2泊以上が適当
- GPS
- 29:10
- 距離
- 60.0km
- 登り
- 620m
- 下り
- 437m
コースタイム
1日目
- 山行
- 11:54
- 休憩
- 7:58
- 合計
- 19:52
23:20
4分
スタート地点
0:58
4:42
43分
明大前漫画喫茶
5:25
5:38
32分
上北沢公園
6:10
6:14
21分
大橋場の跡・下山地蔵尊
6:35
7:02
80分
ファミリーマート あぶらや給田三丁目店
8:22
8:27
8分
調布不動尊 常性寺
8:35
9:04
7分
下布田公園
9:11
32分
蓮慶寺
9:43
9:46
7分
西光寺 近藤勇座像
9:53
10:17
5分
ドラッグセイムス 調布飛田給店
10:22
10:29
31分
飛田給薬師堂
11:00
11:26
15分
染谷不動尊
11:41
11:56
50分
常久公園
12:53
13:17
104分
ローソンストア100 府中美好町店
15:01
15:40
17分
錦五南公園
17:01
17:15
101分
ベンチ
18:56
19:14
17分
ヨドバシカメラ 八王子店
19:31
19:37
10分
ファミリーマート 八王子寺町店
19:47
宿泊地
2日目
- 山行
- 6:07
- 休憩
- 2:47
- 合計
- 8:54
8:45
170分
宿泊地
17:39
ゴール地点
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山という観点から見た場合の危険個所は無し。ただし、旧甲州街道と現国道20号は重なる部分が多い。歩道が狭い区間も長く、更に歩道を走る自転車もそれなりにいる為そちらの意味での危険はあり。 |
写真
初台と幡ヶ谷の間はこんな感じ。木が沢山生えているようにも見えるがそんな事は無い。色々なタイプの光源がミックスされているのでホワイトバランスが滅茶苦茶な写真になった。やや風が強く、ちょっと寒い。
朝の甲州街道。上には首都高が走っている。このため、下を走る車の音が上部の首都高速に反射してかなり五月蠅い。まぁ、この辺が五月蠅いだろうな…というのは最初から想像はしていたのだが。歩く楽しさはあまり感じない区間。この辺なら旧玉川上水の水路緑道を歩いた方が楽しみながら歩けるだろう。たまぁ、今回は旧甲州街道を歩くのが目的なので…。
芦花公園駅近くにあったオーダー家具と木製キッチンのお店。なかなか雰囲気が良い。特に二階部分の窓周辺は昔の建物そのままであまり手が加わっていないように思えた。中をじっくりと見学したいのだが、まぁそうも行かないので先を急ぐ。
滝坂旧道。つつじが丘駅周辺で旧甲州街道は現道と別のルートを取るここが滝坂。写真右側に少しだけ写っているのが馬宿であった川口屋。往時の建物ではないとは思うが中々風情のある建物だった。旧道から新道への切替は昭和2年。旧道区間は短いが、静かで雰囲気のある良い道。旧甲州街道の雰囲気を残している区間なのだろう。この区間は天国。
源正寺の入り口に鎮座されているお地蔵様の横には昔のお地蔵様が。全て首は破壊されて痛々しい限り。廃仏毀釈の嵐はこの地でも吹き荒れていた証。カビの生えた古い因習を破壊するんだ…と乗せられた愚者が暴れまくっていたのであろう。
昔よく見かけたコンクリート製の塀。調べてみるとこの塀は万年塀という。少し調べてみるとこの塀は1970年代初め迄に設置されたものが多く、目黒区で行われた調査では1965年頃に設置されたものが大多数という。レトロで懐かしいな…と思ってちょっと調べてみたら重く劣化が進んだ場合の解体費用も高くつくらしい。持ち主にとっては頭の痛い問題化も。
寛政四年とある常夜灯。以来150年余りに亘って灯篭に火を灯していたが戦争末期の灯火管制によってその伝統は廃れてしまったと説明には書かれている。この場所以外にも二ヵ所に常夜灯があったが、説明が微妙に異なっており、大正時代迄灯していたという記述、昭和初頭まで灯していたという記述もあった。説明書きを書いた人の政治信条などや書かれた時代の雰囲気などによって多少変わってきているのかもしれない。まぁ、大体それ位迄ということかな。
日野の渡し碑。「日野の渡しの出来たのは いつの頃だか誰も知らない 江戸時代中期貞享年間 この地に渡しが移されたことは確かであろう かつて信濃甲斐相模への人々は この渡しを過ぎると遠く異郷に来たと思い 江戸に向かう人々は 江戸に着いたと思ったという」と、ある。
この地点で旧甲州街道は線路に寸断され途切れる。写真中央の柵の先に旧甲州街道は続いていた。調べてみる旧日野駅は現在よりも少し八王子側にあった。電化に伴い現在の位置に移転。ただ、その時にこの場所が寸断された訳では無く、割と近年まで道は通っていたようだ。割と新しいようなので航空写真を見てみると、1980年前後までこの場所に踏み切りがあったようだ。恐らくそれを記憶している人も少なく無い事だろう。
先程の建物の入り口まで来ると「HR 旅 一般旅館チエン店」という、今迄見た事の無いレトロな看板が掛かっていた。これでこの建物が以前旅館であった事は確定。残念ながら既に廃業されている様子。調べてみると、花屋旅館という名前で営業していたという。いつ頃迄営業していたのか、残念ながら知ることが出来なかった。建物の状態は良さそうなのでもし復活するような事があれば是非泊まってみたい。
高尾駒木野庭園。この奥に日本庭園と趣のある純日本家屋がある。入口にカフェの看板あり。ただし、庭園を見学するだけならば無料。ベンチが二つほどあったのでそこで休憩することとした。訪れる人も少なく休憩適地であった。
旅籠「ふじや新兵衛」の隣にある水場。2019年迄は水が出ていたが現在は涸れている。利用者が少なくなったので水を止めてしまったのか、それとも以前からあった自噴井戸が涸れてしまったのか。いずれにしろ残念。
何やら妙に雰囲気のあるこの建物、江戸後期に「ふじや新兵衛」という名前の旅籠であった。軒下には講札が貼り付けられており、往時の賑わいを感じることが出来る。別名蛇滝茶屋。この講札、盗んでゆく輩がいる。10年程前にごっそり盗まれたらしい。こういうのって、この場所にあるから良いんだけどね。盗んで行って、その内捨てちゃうんでしょ…。酷い事するなぁ。それに曰くありげな本物よりも、レプリカ作って飾った方が良いと思うんだけどね。
大きな岩や石などは無く、幅員もそれなりに広い立派な道。流石五街道と言ったところだろうか。かなり歩き易い。後年の整備が良いのかそれとも往時の整備の賜物か。峠を下った向こう側に中央道が出来た為に一部変更された箇所があったが、その部分だけ急に道が荒れた事を考えると後者な気がする。
”高尾山道”と読める石造の道標。もしかすると裏には陣馬山道とでも書いてあったのかも。確認しなかったのが悔やまれる。それなりに古い物に思えるのでここから高尾山へ行くのが昔の定番コースだったのかもしれな。
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
ザック
ザックカバー
非常食
ハイドレーション
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
GPS
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
カメラ
|
---|
感想
一度は歩いてみたいと思っていた旧甲州街道。現在では甲州街道の名前が一般的だが以前は甲州道中とも言っていたらしい。
本来であれば、通しで歩くのが良いのだが、中々まとまった時間も取れず、また盛夏は暑さに苦しめられるのが目に見えていたので何度かに分け、この季節に歩くことにした。今回はその第一回目。
正直なところ、平地をそこそこの距離歩く事は今迄経験が無く、その為一日にどの程度歩けるのか、そしてどんな装備が必要なのかは判らなかった。行動食の類は都度調達出来そうだが。
新宿から現国道と甲州街道が重なっている箇所はただただ消化のために歩く、そんな感じだった。首都高速が上に走る区間は高速の高架が車の騒音を反射させる為かかなり五月蠅い。こんな道がしばらく続いた。
GPSログに所々道を外れる部分があるが、それは休憩やトイレに立ち寄った場所。時間にも拠るのだろうが、総じて公園等の利用者は少なく、ゆっくりと休憩出来た場所が多かった。
今回、初日は新宿から八王子、40km。二日目は八王子から相模湖20km。翌日に疲れを残す感じになってしまったので私にとってはこの行程は3日間掛けるのが適正だったように思う。
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