【上信越国境】中津川(魚野川) 千沢遡行


- GPS
- 15:58
- 距離
- 16.9km
- 登り
- 1,208m
- 下り
- 1,215m
コースタイム
- 山行
- 7:25
- 休憩
- 0:15
- 合計
- 7:40
天候 | 晴れ一時雨(2日とも) |
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過去天気図(気象庁) | 2025年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
○アプローチ 左京横手を含む、北沢〜西大倉の区間において、笹薮が繁茂しており非常に歩きにくい。マーキングも少なく、要RF力。 ○中津川 千沢:5級上(今回の水量の場合) 野反ダムの下流にあるため、その放流量で水量・遡行難度が大きく変わる。今回は、多めの水量だった。発達したゴルジュに登攀困難な滝がいくつもあり、高巻も一筋縄ではいかない所が多い。水量が多ければ渡渉も困難であり、日本有数の難溪となる。東電に放流量を問い合わせてから行くのが無難と思われる。 ※雪渓なし |
その他周辺情報 | 【地名】 ・現在、行政上は、「千沢」は中津川本流のうち、魚野川合流点〜野反ダム間の別名であり、魚野川は中津川の支流である。(出典:国土数値情報、野反ダムの諸元情報) ・かつて(1:25000地形図では1986年発行版まで)は、雑魚川と魚野川との合流点から下流が中津川とされており、当時は千沢は魚野川の支流とされていた。1997年以降発行の1:25000地形図では、魚野川と千沢の合流点から下流が中津川である。 ・支流の名称は「渓流釣場事典」「苗場・谷川・岩菅修正図」に拠る。両者の内容は同様。 【他の記録】 WEB上には記録はない。 ・上信越の谷105ルート(豊野則夫, 1999) 豊野則夫らが1997年9月に遡行。内容は概ね的確。 ・山と溪谷754号(1998年5月) 徒登行山岳会の水瀬孝夫による遡行記録が掲載されている。(時期不明) ・山と溪谷762号(1999年1月)(未読) 千沢について、何らかの言及がある。 ・岳人503号(1989年5月)(未読) 徒登行山岳会による遡行記録が掲載されているらしい。これが初登記録か。 ・岳人510号(1989年12月)(未読) 千沢について、何らかの言及がある。 ・岳人513号(1990年3月) まみくとい山の会の20周年記念誌に、1989年8月の千沢遡行の記録が載っているとの記述がある。 ・日本登山大系 2 (1981) 千沢について、完全遡行できていない沢として言及されている。 |
写真
装備
備考 | ・ぬめりもあるが、どちらかと言えばラバーソール有利と思われる |
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感想
【計画の経緯】
千沢は、上信越の谷105ルートという結構流通している書籍に載っていて、普通に1泊2日で行けそうな沢、かつ面白そうなのに、近年の記録が全然見当たらないので、数年前から行ってみたいと思っていた。結構難しそうな沢なので、なかなか機会に恵まれず、先延ばしになっていたが、今回、遂に行くことになった。
【感想】
久々に、緊張感のある遡行が続く沢だった。流されたら助からないかもしれない渡渉やへつり、ロープを抜いたら戻れない上、先に進めるかも分からない懸垂下降、泳いで突破しようにも水流が強すぎて流される淵…そんなのの連続。
最近は、大井川倉沢のような上級に位置付けられる沢でも、既存の記録以上に水線を攻められるくらい、余裕があることが多くなっているが、今回は豊野氏の記録を追うだけで一杯々々だった。その原因が放流量の多さに起因する水量の多さであることは明らかで、人為的なものではあるが、それでも、これほどやり切った感のある遡行は、なかなかできない。4月に行ったフィリピンのTibiao川〜Bantang川以来かもしれない。水量は多くて困難だったが、我々でもぎりぎり遡行可能な水量であり、充実感という意味ではむしろちょうど良かったかもしれない。
是非、多くの沢屋にこの特殊なゴルジュを味わってみてもらいたい。
かつて無いレベルで”水と闘う沢”だったが、この水量は野反ダムの気分次第で増えたり減ったりする。ある意味人工的だけど、とんでもない大渓谷になっていた。ゴルジュ帯はワンミス溺死であろうへつり、生存本能が拒否する渡渉、ロープを抜いたら戻れない懸垂など痺れる要素だらけだった。イワナも大変そうで、何匹か釣ったが痩せてヒョロヒョロの個体が多かった。
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