光岳(絶望から歓喜へ) aideiei氏、日本百名山完登となる


- GPS
- 22:19
- 距離
- 25.9km
- 登り
- 2,415m
- 下り
- 2,404m
コースタイム
- 山行
- 12:45
- 休憩
- 0:56
- 合計
- 13:41
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
とにかくキツイ、とにかく急だ、 絶望のテカリという言葉もあるくらい |
その他周辺情報 | ほっ湯アップル 8番ラーメン飯田インター店 |
写真
感想
「絶望のテカリ」という言葉がある。日本百名山の中でも屈指の難しさを誇ることからきているのだそうだ。
小屋の予約は取りにくく一瞬でソールドアウト。芝沢ゲートまでの運転が厳しい、そもそも関東の人にとって飯田市は行きにくいところだ。1日目の登りで一気に標高差2000mを超える。これだけでもうぶるぶるだ。
展望が効かない山頂、光岳小屋は夕食のおかわりができない・・・。
「飢餓の戦場ガダルカナル、地獄の戦場ニューギニア、最悪の戦場インパール、絶望のテカリ・・・」そんな光岳が残ってしまったのは必然だ。そして、私と同じように日本百名山のラストが光岳になってしまう人は意外と多いという。本日も私以外にも1名いらっしゃいました。なお、東海フォレストのバスが山崩れのために運行されないため、静岡側の畑薙から聖と光岳を目指してきている人たちも多かった。急遽テント場が取れたのだという。
【予約編】
光岳を日帰りで狙う人もいるが私は無理、ということで小屋を予約しなければならない。今年は6月1日インターネット予約開始、夏の仕事のことと、混まない平日ということも考えて朝7時に7月29日宿泊で予約、2時間後にはもうソールドアウトになっていた。
あとは、運次第。台風などが来ないこと。毎日のように気象予報と睨めっこの毎日となる。そして、私が睨んだように、7月20日梅雨明け、梅雨明け10日に入った29日は晴れの予報となった。
【準備編】
食糧計画に気を遣った。1日目の朝食と昼食にパン、2日目の昼食もパンとパンを3つ買い込んだ。夕食は小屋でいっぱい食べ(この時はおかわりができると思い込んでいた。)これで行けそうと。
道の駅「遠山郷」近くにスーパーがあり、最後の補充ができると思っていたが、現地で道の駅・付属の温泉・スーパーも閉店していた。車中泊用の食料などをそこで買おうと思っていたが結局無理で、車で15分戻り、天龍村の商店で弁当などを購入した。
そして、日没前に芝沢ゲートの駐車場で一区画をゲットして車中泊となった。この道は暗い中での運転はしたくないと思った。
【当日のタイムスケジュール】
私は急登りが苦手、なので早出で時間を稼ごうと思った。というわけで2時スタート。易老渡まで1時間半、真っ暗な中をヘッデン頼りで歩き続けた。そこからコースタイムは易老岳まで6時間、そこから山荘まで2時間、しかしそのタイムで行けるわけがない。易老岳12時、山荘4時には入りたいと思っている。
【1日目、絶望のテカリ編】
案の定足は前に進まず、のっけからの急登りにやられる。何も見えない中で、ヘッデンで足元だけを照らして進み続ける。1番の急登りは面平までのジグザグ道、「まぢかぁ」「うう・・・辛い」とうめきながら登り続ける。この区間はコースタイムの倍以上の時間をかけた。ただただ絶望のテカリだ・・・。
面平でパン一個、この頃から私を抜いていく人が増えてくる。みんな着々と登っている。私だけ、30歩歩いて10呼吸休憩を繰り返している。それでも少しは斜度が緩くなったせいか、ペースは戻り始める。「標高〇〇m」という看板が200mおきに出てくる、これを励みにしているのだ。そうそう、撮影したくなるような花は一つも出てこなかった。
三角点で11時、この時点で「今日中に山荘に辿り着けそうだ。」という確信が持てた。そして、易老岳分岐に12時。山頂は帰りに寄ることにし、パンをもう一つアクエリアスで流し込む。この時に下の登山者とスライドする。今からでも十分下りれるんだ・・・。
ここからは一度三吉平に向けて標高を落とす。ペースは相変わらずゆっくりだ。「もう、後ろからは何にも来ない。」まるでテスコガビーの桜花賞のようだ。まあ、今の私は逃げ切り馬ではなく、逃げ切ろうとしたがへたってしまったツインターボのようなものなのだが。
静高平直前の岩岩の登りでオコジョ撮影、その後テント宿泊装備の男性が後ろから現れたので、宿に「まだ後ろから小屋泊の人が来るよ」と伝えて欲しいとお願いする。それでいて、静高平ではしっかり休む、うまい水をがぶ飲みしたのち2リットル補給、1本はアクエリアスの素を入れた。
イザルヶ岳分岐近くでホシガラスに慰めてもらい、山荘へ。なんとか4時前に辿り着いた。山頂は次の日の朝に向かおう。こうして、1日目だけで標高差2000m越えの登りを歩き切ったわけだ・・・。
【山荘で過ごす夜編】
まずはビールを買い、飲む。沁みるねえ・・・。その後、展望がきき携帯電話の電波もあるという高台で過ごす。ヤマレコユーザー「ゲロッパ」さんとの情報交換(後で相互フォローしようということになった)。私と同じく光岳で百名山を終えるというご婦人とも情報交換、私は25年、ご婦人は48年かかったそうだ。
夕食はカレー、残念ながらおかわりはないようだ。「僕ご飯少なめでいいや」という方が、私のお皿にご飯を乗せていただいた。感謝です。その後、展望がきく場所に行き、眺望を撮影する。富士山が透けて後ろの山が見えているような写真が撮影できた。南アルプスでは、左に子兎・兎・聖岳、ちょっと置いて上河内岳・茶臼岳。その右に笊ヶ岳が見えている。そして、イザルヶ岳が大きく見えて富士山となる。消灯は7時半、5時には出発したいところだ。
【歓喜の歌・・・頂上にて】
朝、山荘前でシルエットの山々を撮影して山頂に向かう。朝日を見るならイザルヶ岳と小屋に人は言っていたが、足を大事にしたい私は行こうとは思わなかった。明るくなって、サブザックで山頂へ・・・。20分で山頂、ああ、歓喜の瞬間である。まずは、とかげ君を出し標識と撮影。今回、横断幕とか看板とかは全く持ってきていない。重いのは嫌だし、恥ずかしいし。
誰もいない山頂で「バンザーイ!!」と3回。そして、ハイマツを撮影。深田久弥は光岳の価値として「日本最南端のハイマツ」いや「世界最南端のハイマツ」を見てきたんだよということを挙げている。私は光石は見ずに山荘に戻った。本当に今日はいい1日になりそうな気がする。
とにかく歓喜の瞬間だ。
【下山の様子編】
下山というが、三吉平から易老岳までの登りの区間をどうするか。そればっかりを考えていた。とりあえず、静高平で光岳小屋の朝食弁当を開ける。小ぶりのおむすび3つとポンジュース。とりあえず一つ食べる、そして水を入れ替える。冷たい水がいい感じだ。その後、三吉平までは順調に下る。おにぎりを食べて、いちばんの難所、易老岳までの登りを喘ぐように登っていく。
その際に、もう日帰り登山者とスライドする。」「1時半に出ました!」と登山者。まだ7時前だぜ。すごいぜ、凄まじいぜ。足だけ欲しいぜ。JATRを目指せそうですぜ。
私は登りに時間がかかるために「8時半に着いて、大休止、9時に降り始めれば上々」と思うが、8時に易老岳についてしまう。山頂を見に行き、最後のおむすびをポンジュースで流し込んだ。意外とそこそこのペースで歩けたと思う。
三角点までに鎖場などの難所がある、そこを乗り越えられれば、もう怪我をしそうな場所はない。一手一手考えながら通過していく、まるで将棋のようだ。そして、この頃カムチャッカ半島でM8.7の地震が起きたようだ。携帯電話は機内モードになっているので電波は感じない。結局、下山まで全く気づかなかった。
大股で下ると危なそうなので、小刻みに下る。まるでアヒル歩きのようだ。それでも、息が切れることもなく着実に降り続けた。結局、面平まで休憩を取らずだった。そして、その間は登ってくる登山者とのスライドが続いた。「きついですねえ。」「いやはや・・・」「後どのくらい続くのですか?」そう、みんな辛いのだ。もう登ってくる人もいない、後は孤独に下るだけだ。
面平で大休止、プロテインバーをゆっくり食べる。ここから最後のきつい下りだ。ジグザグに下っていく。ヤマレコマップを見て「あと何回曲がれば易老渡だ。」と確認しながら下っていく。よくここ登ってきたな。真っ暗だから登れたんだろうな。明るい時間帯に登っていたなら、心が折れていたに違いない。と言っても、昨日登り、本日の朝、歓喜の瞬間を迎えたのだ。
赤い橋が見えた、道路のアスファルトが見えた。そこからも長く感じる。下っても、下ってもなお、我が下り、楽にならざり、じっと手を見る・・・なぜかこんな替え歌が、石川啄木も真っ青だ。
そして、やってきました赤い橋。あとはロードを残すのみ。嗚呼、JATRの選手たちが、最後のロードを見つめて思うのか。まあ、それと同一視するつもりもないが・・・。
登りでは真っ暗闇の中だったため、景色を見ていないが。帰りには景色をよく見る。沢と崩れた崖が印象的、やはり南アルプスは崩れやすいのか。ビクトリーロードとも言えるが、何せ暑い。そうか、標高800mくらいだもんなあ。
そんな中何組か登山者とすれ違う。聖光小屋に宿泊する人たちだった。挨拶を交わして通過。日陰で2度ほど給水をとって芝沢ゲート到着、なんとか無事に戻ってきた。
車のエンジンをかけ、冷房で冷却しながら着替え、荷物整理。それを終えて車の中で涼み、持ち水を全て飲んだ。飲んだ水が体に吸収されたことを確認して車を出した。
【アフターマウンテン編】
とりあえず温泉と食事だ、どこに行こうか、結局飯田市まで出ることとした。長い長い道をゆく。今回は10台近い車とすれ違いました、この狭い道、暗闇でのすれ違いは嫌だなあと再度思いました。
コンビニでドリンク購入、休憩。温泉を検索、「ほっ湯アップル」を選択する。かつて来たこともある温泉だ。アルカリ性で体がヌルヌルするようなお湯で、源泉は30分以上に入浴をお勧めしないそうだ。湯船に入ったり出たりを繰り返しながら1時間ほど浸かる。温泉から出てテレビを見る、私の携帯電話には「津波危険、すぐ逃げろ」と出ている。自宅が葉山町だからだろうなあ・・・今は飯田市だから海はない。
夕食は8番ラーメンに行こうと思っていた。国道沿いにあるのだ、塩味を体が欲しがっている。結局、辛いラーメンをゆっくり食べた。
それにしてもきつい山だった、1泊2日で上り下り共に2000m越え。まさに「絶望のテカリ」だった。ただ、私にとっては「歓喜のテカリ」でもあった。いい思い出ができた山だったし、眺望は綺麗だった。小屋番の小宮山さんがいなくても小屋は回っていたし、出会った人と色々話をすることもできた。
私の日本百名山は終わったが、山は他にもたくさんある。ただ、今は体が動かない、絶賛筋肉痛だ。それが治るまでは日曜日までの休暇を楽しもうと思う。
渾身のレコ、あとでじっくり読ませて頂きます。
お疲れ様でした😄
読み応えありで自分の事のよう共感しました
今日は何処かの温泉でしょうか?
私は片付けを終えて🍺
百名山のレコを参考に山行計画します😉
涼しくなったら高尾で飲み会でもしましょう☺?
百名山完登おめでとう御座います!
千畳敷での高山病レコでやや心配してましたが・・そんなのは無用でしたね!
12時間を超える死闘の2000mを作戦勝ちでキッチリ仕留め「歓喜のテカリ登頂」!
渾身のレコは頭からしっぽまで長〜い感想
ホントにお疲れさまでした・・それでは引き続き全身筋肉痛をお楽しみください
subaru5272
百名山完登おめでとうございます😊おめでとう会したいですね、相模湖のカドヤさんででも、、。
距離25、9km 登り累積標高2415mすごいですね、お疲れ様です、。
感動のレコ楽しく拝見させていただき、感動しました🥲
静高平の標識昨年持って行って張り替えたと言う人に、光小屋行って下さいって言われてたの思い出したました、。でも小宮山さん不在だったんですね、、テレビで見ました、、。
25年お疲れ様でした、、。🥲
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