緑色凝灰岩は、火山灰などが海や湖に堆積して出来た物で、荻野層からは、アイヅタカサトカイギュウという海牛の化石が発見されている。貝の化石なども沢山発掘されていることから、その一帯は、太古には海だったことが分かる。その後、気の遠くなるような年月を経て、現在のような、地質構造が出来上がったのである。
この一帯のザラザラとした質感の山々は、その悠久の時の流れの中で出来上がった物である。その独特の質感に魅せられて、今週は夜鷹山を目指す。その隣に、会津百名山に選ばれている百戸沼(木地夜鷹山)が有る。そちらにも行って見たいのだが、それよりも、夜鷹山東南のキツネモドシと呼ばれる尾根の方が気になっている。
木地夜鷹山は、夜鷹山と約600mしか離れていないので、道は無いらしいが、少し頑張れば往復は可能であろう。しかし、今日は、どうしても午後5時までには家に戻らなければならないので、まず、夜鷹山を目標にして、余裕が有れば木地夜鷹山へ登る計画とする。一人で行くわけだったが、キツネモドシに興味を持ったのか、神さんも同行することになる。
午後5時には家に戻っていなければならないというのに、朝からトラブル発生。満タンに近いはずのガソリンがいくらも残っていなかったのだ。あいにく早朝から営業しているガソリンスタンドが見つからず、国道49号線まで走ってしまって、そのまま下道を走ることになる。引き返すタイムリミットを12時としているので、あわよくばと思っていた木地夜鷹山登頂には暗雲が立ちこめる。
安座川沿いの林道を進んでいくと、沢を渡った所に広場があり、道は続いていたがそこに車を停める。少し歩くと道の真ん中に大きな岩が転がっていたので、広場に車を置いたのは正解である。沢を対岸に渡るが、橋台は残っているが、橋は無い。道も崩れているところもあり、荒れた道である。
左手に、石切場の跡が見えてくるが、道形が広いのは、ここまでで、それは切り出した石を運んだためであろう。道は、踏み跡のようなもので、徒渉を繰り返す。残雪が道を塞いでいるところもあり、踏み跡を外して、高巻いたところもある。それでもよくよく見れば、道形が続いている。林相はブナが主体である。
沢が徐々に狭まってくると同時に、雪に覆われるようになる。稜線が近くなると、沢は完全に雪で覆われて、その上を歩くことになる。雪が切れたところに5m位の滝が有る。左壁も登られるが、右手の斜面を、残雪と灌木を利用して越える。しばらく雪の詰まった沢を辿り、雪渓から離れて、右手の斜面を、灌木を掴みながら稜線に上がる。
凝灰岩が風化して出来た、砂礫状のザラザラした痩せた稜線である。会津側も越後側も、雪で磨かれた岩山である。砂岩や泥岩の岩肌だから、ツルツルというよりは、ザラザラとした雪蝕崖である。それがこの山塊独特の雰囲気をかもしだしているのである。遥か遠く、青空の中に、真っ白な飯豊連峰が浮かんでいた。
ここから夜鷹山へ続く痩せ尾根が、キツネが「泣いて戻った」という、キツネモドシであろう。ザラザラとした滑りやすい尾根は、たしかに緊張する尾根である。夜鷹山直下の10m位は、灌木も何もない、イルカの背のような尾根で特に緊張する。
キツネモドシを過ぎ、一息で夜鷹山となる。松の木が混じる、灌木に覆われていて、見通しは良くない。きびす返しの12時までには、まだ時間があったので、木地夜鷹山を目指した。いったん僅かに下るのだが、踏み跡は無くなり、藪こざきを強いられる。鞍部付近の藪は濃く、少し登り返すと、尾根がはっきりしてきて、少しはましになる。次のピークを過ぎると、眼下に百戸沼が望まれた。
その先は、痩せ尾根で、比較的歩きやすそうに見えたのだが、時間切れとなってしまった。あと30分もあれば、行ってこられそうだったが、すっぱり思いを断ち切って、きびすを返す。
計画の夜鷹山は登ったのである。百戸沼も眺めることが出来た。目標を低く抑えたため、計画上は上出来の成果となった。木地夜鷹山は、次回の楽しみとしよう。
キツネモドシの稜線で一休みして、往路を戻る。ザックに入りきれないほどのゼンマイを背負いながら。
写真左:沢沿いの踏み跡を辿る
写真中:縞状の山肌 その向こうには真っ白な飯豊連峰が浮かぶ
写真右:キツネモドシの名があるヤセ尾根
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