テレビのワイドショーは、連日”活気”づいている。例の小学校建設を巡る騒動に関連して、稲田防衛大臣が話題を提供し続けているためだ。
一方の関係者、籠池氏側との関係をこともなしに否定したことが遠因だ。否定した事柄に対する”証拠物件”が次から次へと出てきて、答弁撤回、謝罪に追い込まれて、いわゆる炎上状態なのである。
証拠物件が出てきても”ウソはついていない”と言い張るところがすごいなあ、と思う。昔、ロッキード事件の関係者が「記憶にございません」という言葉を使って話題になったが、稲田氏はその上を行くのだ。「私の記憶に基づいている」のだから「ウソ」は言っていない、という論理だ。私の記憶は正しい。だから「ウソ」をつく必要が無い。と言いたいのであろう。しかし、これは詭弁だ。記憶より物証の方が証拠能力は高い。
稲田防衛大臣は、南スーダンの問題でも”戦闘”というと憲法違反だから”武力衝突”というのだ、と言っている。私は、記憶力はないので一言一句、同じ表現ではないかもしれないが、解釈は大きく間違っていないであろう。
しかし、良く考えてみると、このレトリックは使える。何でも言い換えればいいのだ。たとえば、泥棒した、と言われたら、借りただけ。痴漢だと言われたら、手が触れただけとか、言えばいいのだ。こりゃあ、いいや。絶対使える。って、なんでやねん。そんなわけねえだろう(#^ω^)
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