7月30日(水曜日)曇り
チューリッヒのユースホステルを早めにチェックアウト。自分が使った枕カバーやベッドのシーツを返却する行動が若い頃のようでとても嬉しかったです。
近くのトラム(路面電車)の駅まで重荷を背負って歩き、正しく切符を買ってチューリッヒ中央駅まで行く。
実は、トラムは無賃乗車が簡単に出来てしまいますが、自販機で切符を買うのは慣れていないと面倒だし難しいのですね。でも、前日にじっくりと操作方法を練習していたためににスムーズに買うことができました。ただ、その練習をしているときに誰かが通報したと思われる警察のパトカーが私を監視しているような動きを感じましたが職務質問はされませんでした。
中央駅から空港まではスイス鉄道にて。
チューリッヒ空港のチェックインカウンターの場所は案外と分かりにくいですが、すべての情報は掲示板のモニターで確認できました。
フィンエアーで、チューリッヒからヘルシンキまで飛ぶとき、隣の席の中国の重慶から来たリッチな二人組の中国人おばさんの一人と筆談で話をしました。彼女たちは英語もほとんど出来ませんがお金持ちであることはよく分かりました。
私が寝ているあいだに、私の椅子のところに彼女のバックから落ちたと思われるホテルのレシートを何気なく見たら、3日ぐらいで2400スイスフラン(25万円ぐらい)というホテルに滞在していました。
その大昔、カイロのヒルトンのカジノで、ルーレット1回あたり100万円ぐらい賭けてすって喜んでいた石油成金のアラブ人を見て驚いたことがありますが、今回もそれに似て中国の人ですからちょっと驚いた感じです。
スイスのインターラーケンには昔の日本人がそうだったように無数の中国人が宿泊しているとインターラーケンに住んでいるというスイス人おばちゃんと駅で会話をしましたが、今の日本人のツアーの多くはインターラーケンには泊まらずに行程の中にハイキングを取り入れているツアーが多く、山小屋で昼食や宿泊をするというプランも多いみたいに思いました。
ヘルシンキ空港でそれなりにお土産を買い、一路日本へ。
タダ酒は飲まないと決めていましたが、今回、空港ラウンジや機内でいちばん気に入ったのは「フィンランディア・ウォッカ」というフィンランドのウオッカのロックでした。酔い心地も上等だし、これはまるでした。お陰でよく眠れました。
ちなみに、フィンランド語で「ありがとう」は「Kiitos(キートス)」というのだそうです。
7月31日(木曜日)晴れ。
いよいよ猛暑の日本に到着。朝の段階でしたが、恐れていて身構えていたために、空港の駐車場に入ったときでもビックリするほどの高温や高湿度には感じませんでした。むしろ、久しぶりの日本の大気感を心地よく感じました。
三週間という長いようで短い期間ですが、車で自宅に向かうとき、ヨーロッパの景色と違和感があると思ったのは、おびただしい数の電信柱と景観に無配慮の広告看板でした。道端の八百屋さんの店先には玉ねぎが大きなネットに入って転がっていて、「ああ、日本はやっぱりアジアの国だわ」と思いました。
でも、さすがに数時間でそういう違和感は消えてしまいました。
この日の昼食はトンカツ。夜はお寿司。やっぱり日本はいいですなぁ〜
写真は、一番ひだりは、前の日記に書かせてもらったヘルンリ稜主稜でのシュリンゲを使って人工で越えた場所。
中央は、私が登れないと諦めた壁。
右は、機内でお気に入りになったフィンランドのウォッカのロック(フィンランディア・ウォッカ)。
お帰りなさい!
お疲れさまでした。
確かに、電信柱と、広告看板等の景色は、目について、アジアっぽく見えますよね。
慣れてしまうと気にならないですが…。
マッターホルンの岩は、固くてしっかりしている様にみえますね。
シュリンゲに足を掛けて、良く写真を撮りましたね。
ゆっくりお休み下さい。
あぁ、私も行きたいなぁ〜。
ではでは。
ringo-yaさん
結局、私は偵察を含めて4回ヘルンリヒュッテまで往復しました(し過ぎ?)。ヘルンリヒュッテ越えは2回ですが、私がとってしまったバリエーションルートも含めてルート上には殆ど浮石もなくホールドも驚くほど豊富でしっかりしていました。しかしながら、ルートを外れると浮石だらけで剥がれる岩が多くなり非常に危険でした。簡単に言うと、マッターホルンは固い大きな岩の塊の表面が剥がれて覆っていて、ルート上はそれらの岩屑が取り除かれている感じに思いました。
結局のところ、(私にとって)一番の問題はルートファインディングとその判断でした。もう少しそのあたりを調査してから登れば良かったと強く反省しております。
ルートファインディングの一つの決め手は、岩に付いた無数のアイゼンの爪あとなんですが、それに導かれてバリエーションに入ってしまったのが痛かったです。
コメントありがとうございました。
おはようございます
ご無事でなによりです
ふふふ・・日本が一番・・やっぱ日本人ですね(笑
三週間ですか・・リッチな山行 でした
あぁ!行ってみたい
でわでわ
ちなみに・・わたし日本から出たことないです
uedaさん、
日本が一番という気持ちは今に始まったことではありませんが、「日本が一番」と思う一番の理由は日本食ですね。日本食は絶対に世界最高峰の料理と思います。確か世界文化遺産にも登録されていましたよね?そのことをもう少し世界にアピールしてもいいように私は思います。
それと、今回は強く日本の山々が魅力的に思えました。皆さんのヤマレコの山行記録を拝見すると、テント泊で美味しそうな料理の話題など、そういう縦走形態はスイスあたりでは「ハイキング」に分類されると思いますが、天気が崩れても(仮に台風が来ても)、それほど大きな危険じゃない日本の夏山(冬山すら)は素晴らしい山々だと思いました。
ヨーロッパアルプスの登山に一番近い日本の山は、今回初めて気付いた訳ですが、皮肉にも富士山だと思いました。夏富士冬富士含めて。
日記の方は毎回拝見しておりましたが、すごすぎて私がコメントできるようなこともなく拝見だけしておりました。
最後にuedaさんがマッターホルンで日本人が遭難?というニュースを書かれていたのでちょっとびびりました。
murrenさんが掲載されたスイスの景色。ほれぼれと眺めました。ヨーロッパはどうしてこんなに美しいのか?電柱も看板もないですね。日本人はこういうのをマネできないものなんでしょうか。
去年世界遺産に登録する前にユネスコの視察があって富士山周辺の町や特に五合目の雑然とした建物や電柱をなんとかしなさいという意見がついたんだそうですが、むべなるかな。
私個人としては雑然としたアジアらしい町というのも活気があって嫌いじゃないのですが、自然との調和が必要な山岳都市でも同じ状態じゃ悲しいですねえ。
すぐに慣れたとはいってもこのところ日本の暑さもすさまじい。急激な変化で体調崩さぬよう、ぼちぼちと土産話などお聞かせ下さい。
pasocomさん
私もベトナムのホーチミンやネパールのカトマンズでは日本では考えられないような電線の束が走っている電柱を見て「まだ日本はいい」と思ったことがあります。でも、やっぱり、日本が文化国家として進んで行くつもりなら少なくとも電線の地中化は都市部からではなく風光明媚な山岳部から進めなくてはダメですよね。おそらくは電信柱と電線がなくなれば、それが引き金となって段々と日本の環境は美しくなっていくと思いますが、あと何年かかることでしょうか?
私は若い頃から草の根でそれを訴え続けておりますが、小池百合子氏が環境大臣のときに少しだけそれに触れただけでしたね。滋賀県で環境に関する世界会議が開かれたとき、開催都市の電線の多さが問題になりましたが、その後でもあまり日本人はそのことに執着しませんでした。
電力会社は地震国日本の非常時のことを言いますが、そういう理由なら水道もガスも下水も地上に設置すべきですよね?
ちょっと言い過ぎました。コメントありがとうございました。
こんにちは、いつも読ませて頂いております。
若い頃、山ではなく、ヨーロッパ自転車の旅をし、チューリヒのユースに1週間ほどいました。ロビーが広かったこと、近くの湖畔のカフェが最高だつたことを思い出しました。
「キートス、キートス、ナケミ」も今でも覚えています。
いろいろ思い出させていただきありがとうございます。
divyasu21さん、初めまして。(ですよね?)
私はチューリッヒのユースは若い頃も含めて今回初めてでした。今はアルコールも飲めるので驚きました。部屋のカードキーでのロックも高級ホテル並みに非常によくできていたので感心しました。日本の今の若者もオシャレすぎる服装ではなくジーパンにTシャツでバックパックを背負ってユースに泊まって世界の街を歩いてもらいたいですね。
それと、スイスも含めてヨーロッパはそういう若者たちが自転車旅行をするために鉄道やその他の施設もそれに対応していますよね。こういう文化が日本に本当の意味で入ってくるのはあと何年かかるのでしょうか?少なくとも今の段階で40年遅れている訳ですが。
divyasu21さんがお若いときに回られたのは自転車なんですね。最近ではおじさん自転車族も世界的に多いようですね。コメントありがとうございました。
murrenさん、お帰りなさい。ご無事で何よりです。
やはり蒸し暑くても住み慣れた我が家が一番でしょう 。
トレイルランナーの相馬剛さん、その後の安否が気がかりです。
私もマッターホルンに向かっていた方から絵葉書を頂き、お天気が悪いので計画を変更する、ということが書かれていました。
sakusakuさん、こんにちは。
私がマッターホルンを懸垂下降で下っているときに救助ヘリが私の近くで10秒くらいホバリングしていたので少しうっとうしかったので余裕を見せるためにカメラを向けて写真を撮りました。そしたらあっち(ギリシャ人パーティーの方)に飛んでいきました。
でも、スイスのレスキューたちは個人の行動については無関心のようで総合的に監視しているように思いました。それとヘリの飛行技術は素晴らしいと思いました。
そういえば、sakusakuさんが山頂で会うかも?とコメントされた方と出合うかもと思っておりましたが(出合ったのかも知れませんが)、実際問題として、私が滞在していた7月10日から30日までの間で、マッターホルンが比較的安全に登れる可能性があった日は、7月17日・18日・19日(この期間たぶん雪多し)、7月27日・28日だけぐらいじゃなかったかと思います。相馬さんは23日ということで20日からの悪天の直後だったので新雪が多かったと思われます。実際にアラリンホルンから見たマッターホルンには23日は多くの雪が残っていました。
私が狙った27日は、その意味でチャンスだったのですが、ルートを間違ったのは痛かったです。
日本人登山家の多くが天候や雪の問題で計画変更をされていたようです。
私の場合、技術的なこともそうですが装備をもっと軽量化すべきと思いました。
まあ、浦島太郎にはよい刺激と修業になったことは確かです。
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