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はるか昔、およそ30年ほど前の話です。
当時大学生だった自分は、高校山岳部時代の先輩Hさん、Yさんの3人で、10月の連休を利用して前穂高北尾根の末端にそびえる屏風岩を登りに出かけました。横尾経由で涸沢に入った事のある人なら誰もが目にする屏風岩は、垂壁とオーバーハングで構成された標高差600mの国内有数の岩場で、横尾谷から見上げる姿はとても迫力があります。
当時は大阪から松本に向かう夜行列車が走っており、連休の前夜は、大阪駅コンコースは信州に向かう山ヤでごった返していました。自分たちもその夜行列車に乗り込み、垂直の背もたれの座席シートで何とか寝る努力をするのが常でした。しかしこのとき、結局ほとんど眠れずに松本に着いてしまいました。
上高地から横尾経由で屏風岩の取り付きに向かいます。今回の目指すルートは東稜。屏風岩の中でも入門ルートの一つです。3人ともセカセカはしておらずのんびりアプローチしたので、ルートの取り付きに着いたのは午後3時と遅くなってしまいました。
この年の夏に横尾をベースキャンプにして屏風岩を登りに来た自分は、再難ルートの一つである「東壁ルンゼ」をすでに登っていたので、今回の東稜ルートは舐めてかかってました。3人の中でも一番岩登りが上手かった自分が、暗黙のうちにリードを務めることに。天気が怪しくなってきたけれども登攀開始。客観的に見れば、遅い時間のスタートで、しかも時間のかかる3人パーティであれば、途中でビバークは必至ですが、誰もそのことは気にもとめませんでした。それだけ皆楽観的だったんでしょう。
連休ともあって、屏風岩のどのルート、どのピッチもクライマーで混雑しています。2ピッチ目(およそザイル1本で延ばす距離で、クライミングを区切るビレイポイント間を、ピッチといいます。20mから40mくらいの高低差)を登ってると、突然隣のルート(東壁ルンゼ)で大きな叫び声が聞こえました。
「ラック!ラク!ラク!!!」
横を見ると、一抱え(1〜2m)もある大岩が、上部からルート沿いに何度もバウンドしながら落ちていきます。ルート上には数パーティのクライマーがほぼ数珠繋ぎに登っており、落石の直撃を受けると壁から叩き落されることなります。クライマーは身動きが取れないので落石を避けることが出来ません。ただ最大限体を小さくして当たらないように祈るだけです。この数秒間は、息を呑んで見守ることしかできませんでした。
落石は、ちょうどクライマーを避けるように、間をバウンドして落ちていきました。誰も怪我をすることなく済んだのは、まさに奇跡のように思えました。
やがて日は傾き、先行パーティや他のルートのパーティは終了点まで抜けてしまったようで、目に入らなくなってきました。自分たちは3人パーティ、一度に登れるのは一人だけなので、普通の二人パーティに比べて1.5倍時間がかかります。
夕暮れが近づき雨がぱらつき出しました。完全に真っ暗にならないうちに、ライトを出しておいた良さそうです。しかし今登っているあたりには、3人が立てるテラスはおろか、ザックを降ろせる場所すらありません。自分がいた場所は、やっと一人が立てるくらいのレッジ(足場)です。仕方なしに、そこでボルト・ハーケンにぶら下がってザックをあけ、雨具の準備とともにライトを出しました。
当時持っていたライトは、ベルトに引っ掛けて使う電池ボックスからコードがヘッドランプにつながっている形で、電池ボックス部にもライトがついており、手持ちの懐中電灯としても使えるという優れもの(?)です。ところがスイッチを入れてもヘッドランプが点かない。。。どうやら豆球が切れているようです。
夜間登攀は想定外だったので、そこまでチェックしてませんでした。電池ボックス側のライトを懐中電灯として持って登るしかなさそうですが、しかし問題は、ライトを片手で持つと岩を登ることが出来ないということです。そこでそのままボルトにぶら下がった状態で細い紐を取り出し、ベルトにライトを固定する金具の小さな穴に、ループにして取り付けるという細かい作業をしました。こうすれば、ライトで先を照らしてホールド(手がかり)を確認して記憶し、その後ライトを手首にぶら下げて両手を使って登ることが出来ます。今思い返せば、冷や汗ものでしたが、先輩のYさんはさらに難しい状況が待っていました。
Yさんはそのとき自分より40m下のテラスで同じような準備をしていましたが、ヘッドランプではなくなんと当時各家庭に1個はあった普通の単一電池二本を使う金属製懐中電灯を持ってきていました。この懐中電灯はお尻のところに引っ掛けるための金具がついているので、そこにやはり細縄を通して同じような使い方をしながら登っていました。
Yさんが登りだす頃にはもう日が暮れて真っ暗です。Yさんは3人パーティの真ん中に入っていたので、上からビレイをしながら見下ろすと、ずっと下にHさんのヘッドランプ、そして手前にYさんの懐中電灯が動いているのがわかります。
「あっ!」
Yさんの明かりが、急にはるか下方に落下していくのが見えました。
「落ちた!??」
でもビレイしているザイルには何の衝撃もありません。
「Yさ〜ん、大丈夫ですか〜?」
声をかけると、
「お〜う、大丈夫!、懐中電灯が落ちた〜!」
との返事。とりあえず胸をなでおろしましたが、新たな問題はライト無しで登り続けなくてはならないことです。
なんとか暗闇に目を慣らしてもらって、下にいるHさんと上にいる自分の両方から照らしてあげて、何とかこのピッチを登ることができました。後で聞くと、懐中電灯のお尻の金具が破損したそうです。もともとそんなに強度のある部分じゃないので、無理もありません。
夜間登攀で数ピッチ登ると、なんとか3人が腰掛けるスペースがあるテラスにたどり着きました。雨の中ここでツエルトを被ってビバークです。ハーネスをつけたままボルトにセルビレイをとり、食事の後シュラフに入ると、自分はすぐに軽くいびきを立てて眠りに入ったそうです。(後でHさんから、「すごく強靭な精神やな。自分は中々眠れなかった」と褒めてもらいました。でも実際は昨夜の寝不足のせいです。。。)
さて翌朝もあまりさえない天気でしたが、あと2ピッチほどで岩壁部分は抜けるので気は楽です。最後のピッチのリードをHさんに譲り、ラストで気楽に登りました。その後、屏風の頭に抜けた後、涸沢経由で上高地に下山し、再び夜行列車で大阪に戻りました。
岩場の難易度は高くありませんが、色々なトラブル?にもめげず登りきることができたので、30年たっても大変印象に残っている山行でした。
写真は、
1枚目:横尾谷から見上げる屏風岩(これは数年前の写真)
2枚目:東稜ルートの2ピッチ目を登るクライマー
3枚目:ビバークしたテラスからの登り
はじめまして(^^)
場所を思い浮かべながら読み終えて、後からY先輩のランプを思い出し笑いしてしまいました。
御本人は慌て困った事でしょうに、その場面が余計滑稽で・・済みません!
dejavu さん、はじめまして。
現場に行ったことがない人にうまく状況が伝わるかどうか、心配しながら文章を書きましたが、dejavuさんには伝わったようで、良かったです。
あの話は、仲間内でしばらく語り草になりました
Cross-hillさん、はじめまして。
私も同じような時期に、写真3/3のようなスタイルで屏風を登っていた者です。
東稜の雰囲気は分かるし、落石やライトが落ちてゆく光景は、似たような経験があるので(屏風ではありませんが)この人は俺か?などとと思ってしまいました。
こうした昔の事件は時間が経過して思い返すと、その時の間抜けな対応などが結構、笑い話になりますよね。まあ、無事だったから言える事ですが。
guchi999 さん、はじめまして。
同じような経験をしてる人は多いものですね。
他にも昔の山行記録を書いていこうと思ってるのですが、苦労したりトラブルに遭遇したりせず順調に行ったものほど逆にあまり記憶が無いものですね。
こういった苦労の記憶は、自分の貴重な財産にもなっています。
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