カテゴリー「山の思い出話」の日記リスト
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2016年 04月 22日 17:20山の思い出話
学生時代は北アルプスでアルパインクライミングもしていましたが、就職した後はあまりアルプスや雪山には行かなくなり、もっぱらフリークライミング専門となりました。毎年夏によく行ったのは奥秩父の小川山。お盆休みやGWの間、廻り目平にテントを張り、周辺の岩場でクライミングを楽しみました。
小川山は花崗岩
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2016年 04月 05日 19:11山の思い出話
今年は2016年なので、ちょうど30年前になります。
就職して2年目の1986年7月、初めて出張で東京に行くことになりました。しかも金曜日!これは続けて週末も向こうに滞在し、当時新しい岩場として開拓されつつあった柱状節理シークリフの伊豆・城ケ崎海岸に登りに行くしかない!・・・と思い、山岳部時代
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2015年 11月 02日 12:53山の思い出話
今年の9月のシルバーウイークに、およそ四半世紀ぶりに槍ヶ岳北鎌尾根を登ってきました。学生時代に5月の残雪期に登ったことがあり、そのときは「楽勝」という記憶しかなかったので、今回も内心舐めてかかってました。まあそのせいで少し痛い目にあいましたが、何よりも体力的な衰えを実感しました。無理したせいで、膝を
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2015年 06月 03日 18:45山の思い出話
熊が出そうな山を登るときに、ザックに熊鈴をつけている人も多いと思います。あまりに熊鈴をつけている人が多いと、うるさく感じる人もいるようですね。自分は若い頃にアクティブに登っていたときは、熊鈴というものをつけたことありませんでした。というか、山で熊と遭遇するなんていうことは考えたことも無かったし、かな
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2015年 03月 14日 22:18山の思い出話
高校2年生の春、自分は山岳部のリーダーとなりました。3年生は受験があるので引退し、わずか経験1年の生徒が形式的にリーダーとなるのです。2年生になったばかりの頃、同期のメンバー5人+OB数人で、大台ケ原に沢登りに行きました。目指すは東の川。。。
東の川は、大台ケ原散策道のシオカラ谷つり橋付近から
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2015年 02月 17日 13:46山の思い出話
1976年3月 当時高校1年の春休み。山岳部の1年上の先輩から、「OBに中央アルプスに連れてってもらうけど、お前も来ないか?」と誘われました。雪山(&トレーニング)は山岳部に入って以来、12月の蓬莱峡、2月のロックガーデンでのアイゼンワークトレーニング、1月に3泊4日テント泊での比良山雪山訓練を経て
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2014年 11月 18日 16:00山の思い出話
武庫川峡谷廃線跡は、関西でも有名な有名なハイキングコースです。
しかし自分が高校生だった1970年代は、まだ民営化前の国鉄の列車が走ってました。ここを走る列車は、垂直の背もたれのある対面式4人がけの座席、列車への出入り口は車両の前と後に手動の扉という、今から考えれば非常にクラシックな型の列車でした
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2014年 09月 23日 13:01山の思い出話
この秋の飛び石連休はとても天気がよかったみたいで、ヤマレコの皆さんは山を大いに楽しまれたのではないかと思います。自分はといえば、残念なことに仕事でずっと出張中・・・皆さんのレポートを横目で見ながら、この「思い出話」を書いています。。。
198X年夏。この頃、仲間内で「大阪城」と読んでいた岩
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2014年 09月 18日 17:34山の思い出話
学生時代の夏休み、友人Mと屏風岩を登りに出かけました。
屏風岩は、大昔にまだ横尾谷が深い氷河に覆われていた頃、涸沢や大キレットから徐々に流れ出す氷河によってじわじわと岩が削られて出来た大岩壁です。地形を見ると、氷河独特のU字型の渓谷となっているのが良くわかります。
横尾に数日間ベースキャンプ
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2014年 09月 02日 23:06山の思い出話
これまで中断期間はありますが、足せば20数年間色々な山登りをやってきました。その中で3度だけ、一ヶ月以上も山登り中断はおろか日常生活も不自由するような、山での怪我の経験があります。
直近は、2013年冬の伊吹山。
ちょっとした油断、というか人が聞いたら馬鹿馬鹿しい(ありえないような?)理由で
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2014年 08月 19日 22:43山の思い出話
高校3年生の冬休み、世間の高3生は受験勉強の最後の頑張りをしている頃です。しかし当時の自分は大学進学を一応は目指すものの、早々と浪人することを決めて、年末の試験休みに入ると同時に酒屋でバイトを始めました。年末で忙しい飲み屋にビールなどのお酒を運ぶ仕事です。
バイトする目的は、それまで履いていた登山
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2014年 08月 08日 12:26山の思い出話
六甲山の芦屋ロックガーデンは日本のロッククライミング発祥の地であり、その入口の高座の滝の横には、ロックガーデンを開拓したRCC代表であった藤木久三のレリーフが刻んであります。関西在住のクライマーであれば、ここでロッククライミングを習った人も多いでしょう。
自分が昔在籍した高校山岳部も、日本アルプス
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2014年 07月 23日 13:07山の思い出話
赤石沢奥壁はスケールの大きな花崗岩のすっきりした感じの岩場です。
ちょうどフリークライミングでクラックのクライミングが流行っていたころだったので、この山奥のすっきりした岩のクラックも注目され、高難度クラックルートが開拓された直後でもありました。
「普通のルートを登りながら、話題のルートを横目で見
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2014年 07月 10日 14:27山の思い出話
当時は高校1年生の5月。山岳部に入部してまもなく、宝塚にある惣河谷支流という谷に先輩に連れて行ってもらいました。このあたり、今は大きなマンションが立ち並んでますが、当時は石切り場?と山の上にゴルフ場があるくらいで、まだ山の中という雰囲気がありました。
この谷は沢登りの入門と、谷の中盤にイエローロッ
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2014年 07月 02日 12:12山の思い出話
今回、特に昔から(30年以上前から)山登りをしている人にとっては、衝撃的な内容があります。自分にとってもとても忘れられない話です。
あまりに衝撃的で気持ち悪い話なので、食事とか控えた人も読まないほうがいいかも。。。
自分が高校時代に所属した山岳部は、OBとなった先輩が、高校山岳部では正規
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2014年 06月 27日 12:20山の思い出話
自分が高校時代に所属した山岳部は、OBとなった先輩が、後輩の山登り技術の指導をして伝えていくのが伝統でした。高校の山岳部は、冬山や本格ロッククライミングは公のクラブ活動として認められていなかったので、総合的な登山技術を身に付けるための補完的な役割をOBが担っていました。ただし、参加はあくまで希望者だ
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2014年 06月 18日 19:54山の思い出話
79年のGWに同期の友人二人と残雪の中央アルプス縦走を行いました。
一日目は、ロープウェイで千畳敷から木曽駒ケ岳へ。テント泊。
二日目は、宝剣岳を越える予定が急峻な雪璧にビビッてしまい、一旦千畳敷に下りてから再度極楽平に登り返して、檜尾岳避難小屋で泊。
三日目は、空木岳を越えて池山尾根の森林限
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2014年 06月 16日 16:36山の思い出話
ヤマレコユーザーにとっては、「明星山ってどこ??」っていう人は多いと思います。
北アルプスが標高を落としながら北に伸び、最後は親知の断崖で日本海に落ち込む稜線から少し東に外れたあたりにある、標高1000mレベルの石灰岩の岩山です。標高が低いわりに、その南壁はP6から小滝川まで400m以上の落差を持
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2014年 06月 06日 19:03山の思い出話
この年(81年)の夏、どこかアルプスに岩登りに行きたいと思っていたけれど、ザイルパートナーが見つからず、どうしようか考えあぐねていました。当時、ラインホルト・メスナーの「第七級」の影響を強く受けていたので、「フリーソロ」(ザイルによるビレイ無しで岩を登ること)で長いルートを登ってみたいという憧れに近
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2014年 06月 02日 23:37山の思い出話
昔のアルバムを見ていたら、こんな記録(写真とメモ)を見つけた。
GWに後立山連峰の鹿島槍ヶ岳から白馬岳まで縦走し、大雪渓を下りた後に知り合いの山岳会の春山合宿に合流。白馬尻をベースキャンプにして、白馬主稜と杓子尾根を登っている。。。
今なら、体力的にとても出来ない山行です。あの頃は若くて元気
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2014年 05月 30日 12:22山の思い出話
今年のGWは穂高周辺での遭難が相次ぎました。自分も昔GWに登ったルートもあったので、アルバムを再度見直して昔の記憶を手繰ってみました。
これまで、アルバムを見ながら昔の山行を思い起こし、「山行記録」に載せるほどの詳細な情報もないので「日記」の方に書いてきました。でも、今回の「奥穂高岳南稜」は、
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2014年 05月 29日 18:34山の思い出話
黒部川上ノ廊下・前編↓からの続き
http://www.yamareco.com/modules/diary/51934-detail-73514
「エイホッ、エイホッ」
前日からはじめた、流れに平行に4人一列になって、長い流木をつかんでスクラムを作って渡渉する方法は、格段に自分たちのパー
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2014年 05月 29日 12:30山の思い出話
日本有数の渓谷である黒部渓谷は、黒部ダムで二つに分断されました。下流の下ノ廊下には、ちょっと危険とはいえ一般向け登山道があります。これに対して上流の上ノ廊下は完全なバリエーションルートで、大きな滝の登りこそありませんが変化にとんだ数日間の遡行が楽しめます。
クライミング的な要素よりも、水際のへつり
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2014年 05月 26日 21:30山の思い出話
ウォルター・セキネルの「氷壁の履歴書」が日本語訳されたりして、この頃氷壁を登る先進技術であるダブルアックスという言葉が流行し始めていたころです。
岩登りは何度も経験していましたが、写真で見るダブルアックス氷壁登攀もカッコイイ!出っ歯のアイゼンと両手のアックスで登るクライミングも、是非やってみたい!
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2014年 05月 24日 00:05山の思い出話
当時は高校3年生の夏休み。通常なら受験勉強で忙しい時期ですが、自分は違いました。親には「山キチガイ」と呼ばれるほど、登山に入れ込んでおり、将来は山岳ガイドになりたいと思っていたほどでした。夏山縦走を何度か経験し、岩登りの楽しさも覚え、高校時代のうちに、何か自分の力の総仕上げ的なことをやりたいと考えて
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2014年 05月 22日 22:43山の思い出話
この話もはるか昔、およそ30年ほど前の話です。
槍ヶ岳北鎌尾根、特に積雪期のこのコースは昔からアルピニストの憧れです。岩壁登攀ほど危険は前面に出てはいませんが、深い山奥にあり吹雪にでもなれば退却が極めて困難になります。自分も一度は。。。と考えていましたが、かの加藤文太郎や松濤明も命を落とした冬
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2014年 05月 21日 12:49山の思い出話
GWに故障した膝の調子がまだ完全じゃなく、未だに謹慎中です。ヤマレコに記録をアップできないので、代わりに過去の山の思い出話でも日記に書くことにしました。
はるか昔、およそ30年ほど前の話です。
当時大学生だった自分は、高校山岳部時代の先輩Hさん、Yさんの3人で、10月の連休を利用して前穂高北
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