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バイトする目的は、それまで履いていた登山靴のノルディカ・コンタミヌがかなりヘタってきたので、新しい登山靴を買うためでした。お目当ての靴は、クライマーの靴といわれた憧れのガリビエール・スーパーガイドRD。年明けまでバイトして、数万円のお金を手にした足で、すぐに登山用具店に行き、新しい登山靴と他いくつかの登山用具を手にしたのでした。当時の自分の価値観では、何よりも山登りが最上位だったのです。
さて3月、危ぶまれていましたが何とか無事に高校を卒業でき、周りを気兼ねせずに晴れて山にいけるようになりました。(浪人なので「気兼ね」をしなければならない身分でしたが・・・^_^;)先輩たちに連れられて、目指すは南八ヶ岳西面のバリエーションです。ここで新しい登山靴のデビュー戦です。
総勢7人のパーティで高校生は自分ひとり(正確には卒業したてですが)。当時山岳部は8人用の大きな冬山用カマボコテントを所有していました。このテント、居住性は抜群ですが、何しろキャンバス地で極めて重く、水に濡れない乾燥状態でテント本体が10kg以上、ポールも10kgあります。これを一番下っ端の自分ともう一人の先輩で、美濃戸口から赤岳鉱泉テント場までボッカ役として担ぎあげました。
さて初日の夜、8人用の大型カマボコテントの中で。
先輩たちの中でも一番のアルパイン経験者が、今回のメンバー構成をヒマラヤ遠征の形式に例えました。最年長の4名はサーブ、その次になるとシェルパ、その次はポーター、そして最も下っ端の自分はクーリーだそうです。
普通サーブは遠征隊の正規メンバーです。シェルパは雇われた現地の登山家ですが、正規メンバーと同等の登攀能力があり、山頂にまで登る場合もあります。(エベレスト初登頂のヒラリーとテンジンの、テンジンはシェルパでした。)ポーターは荷揚げ専門で、普通登攀能力はありません。クーリーはさらに下位の、本当に単なるベースキャンプまでのボッカ役みたいなものです。
この時、内心「ムッ・・」としたのを覚えています。自分は冬山での登攀経験こそありませんが、岩登りに関しては今回のメンバーの中ではクライミング感覚も良く、最も上手い方であり、むしろ今回も何人かの先輩よりはずっと上手く登れるとの自負心があったからです。
さて翌朝、天候は曇りで赤岳鉱泉から見上げる横岳の稜線はガスに覆われています。2〜3人のパーティに別れ、それぞれが石尊稜、中山尾根、赤岳主稜を目指しました。自分は二人パーティで石尊稜に取り付きました。天気はいいとは言えず、段々とガスが濃くなり吹雪混じりとなってきました。最初の岩場部分を先輩のリードでしばらく登った後、雪稜となって、再び最後の岩壁部分が出てきました。
ここで先輩は
「お前なら、どうルートを取る?」
と尋ねてきました。
「ここを登ります」
自分は、一番傾斜が強く、面白そうで登りがいがあると思われたラインを指さしました。
「あほか!、ここはこっちを登るんや!」
と示したのは、一番傾斜が緩くて易しく登りやすそうなラインです。
なるほど、こういう状況でのルートファインディングとはこういうものなのかと、そのとき納得した次第です。目に付く範囲で一番難しそうなラインを登ることではなく、一番登りやすそうなラインを見つけることであると。。。
そのピッチは自分がリードし無事稜線に出て、ブリザードでホワイトアウトに近い状況の中を、地蔵尾根を下って赤岳鉱泉に戻ってきました。他のパーティも無事に登攀を終えたようです。
翌日の午前中はジョーゴ沢で氷曝登攀の訓練として、12本アイゼンの前爪で登る練習をし、その後、雪と水分を吸ってどっしりと重くなったテントを再び美濃戸口まで担ぎおろすクーリー役を果しました。
当時の写真は、自分で印画紙に焼付けしたため、モノクロで色褪せてます。
写真1:西面バリエーションに向かう朝の集合写真。この頃は、上半身だけのチェストハーネス+ストレートのピッケルが主流でした。
写真2と3:3日目、ジョウゴ沢での氷登り訓練
こんばんは。
78年ですか。
一瞬私たちの後輩かと思いましたが、明らかに違いますね。
8人用のカマボコ、私たちは10人用でしたが居住性は抜群でしたね。設営と撤収は大変でした。それと帰りの電車で水が出て苦労したのを覚えています。それを行きも帰りもというのは大変でしたね。
当時、赤岳鉱泉でお会いしていたかも知れませんね。
murrenさん、こんばんは!
昔のテントは重かったですねぇ・・・
赤岳鉱泉は今も昔も八ヶ岳の前線基地ですから、テント場でお会いしてたとしても不思議じゃないですね。
おはようございます
セピア色の思い出・・いいですね
わたしの写真は、繰り替えしの転居や単身赴任でほとんど消失しました。
若いころは大事に思えなかった物も歳を経ると宝物になってきますね
ふふふ・・時代を感じる貴重な資料でもありますね
でわでわ
uedayasuji さん、おはようございます。
写真は自分で印画紙に焼いたもので、たぶん洗浄が不充分だったので変色したんでしょうねぇ・・・
この写真を見るたびに、あのときの状況を思い出します
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