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就職して2年目の1986年7月、初めて出張で東京に行くことになりました。しかも金曜日!これは続けて週末も向こうに滞在し、当時新しい岩場として開拓されつつあった柱状節理シークリフの伊豆・城ケ崎海岸に登りに行くしかない!・・・と思い、山岳部時代の先輩で東京に住んでいたYさんに連絡をとりました。(Yさんは、この日記「山の思い出話」シリーズの第一回目に紹介した「穂高の屏風岩」を一緒に登った方です。
http://www.yamareco.com/modules/diary/51934-detail-73002)
当時新婚だったYさん宅に図々しくも押しかけて一泊させてもらった上に、レンタカーで伊豆まで連れて行ってもらい、一緒に登りました。
城ケ崎はちょうどファミリークラックエリアの開拓が一段落したところで、多くの人が登っていました。この時のために買ったばかりのフレンズ(今で言う「棒フレンズ」)を数個持参し、5.9までのクラックルートを幾つかリードで取りつきます。関西にはほとんど無かった慣れないオーバーハングのクラックも、調子が良かったのか何本かOSできました。
クラックの5.10となると未知の領域。ちょいと恐怖心が出てきてトップロープでトライしましたが、まったくの所見なのにノーテンションで登れたりして、大変気分を良くして大阪に帰ることができました。
今ではどうだか知りませんが、当時は写真の通り皆さん上半身裸で登るのが普通でした。海岸と言うこともあって、よく似合ってたんでしょうねぇ。城ヶ崎にはこの時以来訪れる機会がありません。。。
あの時、後輩ということに甘えて大したお礼もしなかったのですが、最後にYさんが「伊豆の楽しみ方を教えてもらった」とおっしゃってくれたのが今も心に残っています。
機会があればまた一緒にクライミングを楽しみたいと思っているのですが、Yさん今頃どうしてるのでしょうか。。。
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