屏風岩は、大昔にまだ横尾谷が深い氷河に覆われていた頃、涸沢や大キレットから徐々に流れ出す氷河によってじわじわと岩が削られて出来た大岩壁です。地形を見ると、氷河独特のU字型の渓谷となっているのが良くわかります。
横尾に数日間ベースキャンプを設け、気の向くまま幾つかのルートを登ろうという計画です。しかし主たる目標は、屏風岩最長の東壁ルンゼルート(傾斜が強く人工登攀主体)と、比較的新しく且つ難しいフリークライミング(当時としては)が主体の右岩壁です。まったく性格の異なる代表的な二つのルートを狙っていました。
まず、手始めは東壁ルンゼです。横尾谷から屏風岩を見上げたとき、ブッシュが少なく傾斜が強い左手の壁が東壁で、東壁ルンゼは下部の白く光るスラブから上部の垂直の岩壁につなげる、標高差およそ600m近いルートになります。(写真2)
このルートでよく覚えているのが、ちょうど上部壁に入った2ピッチ目か3ピッチ目のルーフ状オーバーハングでのこと。
当時は今のようなしっかりしたボルトは一般的ではなく、どの岩場でもリングボルトが主流でした。(いまでも時々見かけます)このボルト、カラビナをかける部分が直径5cm程度の鉄のリングになっているので扱いやすく、複数のカラビナを同時にかけることも出来ます。ただ難点は強度が低いこと。墜落などで衝撃がかかるとすぐにリングは楕円状に伸びてしまいます。さらに衝撃がかかると溶接でつないだリングは切れてしまいます。
こうなるとこの破損したリングは使えません。ボルトなので岩から引き抜いて打ち直すことも容易ではありません。ではどうするかというと、応急処置?的にリングが通ってたボルト軸の穴に、代わりの細引きのような紐を通して使うことになります。紐なので強度的にはかなり不安があります。しかも何年も経過しているようなものなら。。。
この時、このハングのルーフで出くわしたボルトもこれでした。ボルトはルーフの天井面上向きに打ち込まれており、しかも壁から染み出した水に濡れて、ボルトに通された一見靴紐のようにも見える紐はかなり風化?して古そうです。
「え〜、これにあぶみをかけて乗るの〜(>_<)」
なんて思ってみても、他に選択肢はありません。切れないことを祈ってその紐にあぶみをかけ、そろっと体重を乗せていきます。あぶみにかけた足元を見ると、その下の数百m下の横尾谷の谷底まで見通せて、高度感でクラクラきます。
次のボルトに、すばやく、しかし出来るだけそろっとあぶみをかけて、乗りなおします。
ルーフを抜けると垂直の壁に戻りますが、気分的には傾斜がずいぶん緩くなったように感じました。しっかりと打ち込まれたボルトに到達したときは、ホッとしました。
同じように衝撃がかかったボルトの中には、半ば抜けかけて軸が曲がり、ボルトの先の切れ目まで見えているようなものもあります。そういうボルトに体重をかけるときは、無駄だとはわかっていても思わず手でボルトの頭を押さえながらあぶみに乗り込むことも多々ありました。
昔のルート(今でも?)にはこういう箇所が多く、効きの悪い支点やはがれそうな岩を「騙しだまし」登るのも重要な技術だと言われましたが・・・
今のフリークライミングの考え方とは、根本的に違いますねぇ。
翌日は天気が崩れてテント場で沈殿し、その次の日、今度は比較的新しく拓かれた右岩壁を登りに出かけました。
人工登攀が主体の東壁とは異なり、右岩壁は傾斜が比較的ゆるく、フリークライミングが主体です。当時の最高難度レベルであるV+がついたルートが何本かありました。取り付いたのはルンゼ状スラブというルート。フリーが得意だった自分にとっては楽しめるはずのルートでした。しかし昨日からの天候不順が完全に回復せず、2ピッチほど登ったところで小雨が降り出しました。またルート上の岩の表面も、昨日の雨の影響で濡れている箇所が多数あります。結局あきらめて、懸垂下降で降りることにしました。
これでダレてしまい、結局この時は新たに登りに行くことはありませんでした。
さて、夏に数日間テント暮らしをしていると、風呂に入りたくなります。しかし横尾には外来入浴できる施設はありません。せめて頭ぐらいは洗いたいと思い、Mと一計を案じて梓川の水で交互に洗うことにしました。一人が洗っている間にもう一人が水を汲んでかけるという按配です。
最初、Mが頭を洗う番です。梓川の水をかけてやると、
「ひぃ〜、冷たい!!!」
「頭が痛〜い!」
と叫びます。
冷たくて、頭が痛い???
次に自分が同じようにやってみると、確かに冷たいのを通り越して頭の芯が痛い。。。(>_<)
「頭がいた〜い!!!」
と、同じように叫ぶ羽目になりました。しばらく頭の体温が戻るまで(?)、頭の芯が痛いのが続きました。
こういうのは初めての経験でした。
写真1は、ベースキャンプの横尾に向かう道で。
横尾までは平坦な道であり、色々と贅沢をしようと何でもかんでも持っていったので、荷物は30kgを超えました。今では珍しい背負子に、ザックを横向けにくくりつけ、さらにその上に食料を詰め込んだ一斗缶を積み上げています。
写真2は屏風岩の東壁ルンゼルート(白線)。
写真3は1ルンゼ押し出し付近でのボルダリング遊び。
こんばんわ
いいですね〜
ヘヤースタイルに時代を感じちゃいます
山に青春の思い出があるというのも素敵ですね
一斗缶・・懐かしいですね
食料入れて樹木の上に隠したのを思い出しました
わたしは吹奏楽部でしたのでテントの見張り番で楽譜を写譜ばかりしてました
まだ、焚き火をしてもよかった時代ですね
でわでわ
uedaさん、こんばんは!
一斗缶は最近は見かけませんね。。。。
でもどうして食料を入れて木の上に隠すんでしょう???
野生動物が食べに来るのを防ぐ??
昔は北アルプスでも、沢登りとかの時は焚き火も大目に見られました。黒部の源流地帯で、焚き火をしながら満天の星空を見上げたのを思い出します・・・
再びこんちわ
当時の先輩の話では、動物もそうだけどいたずらされた経緯があったようですね
本隊縦走の縦走の準備などと言われてオブザーバーのわたしまでケツ叩かれて荷揚げしてました(笑
なんか記憶が薄れてしまっていて申し訳ないですが・・
梓川で顔を洗った記憶はあります。
おっしゃるとおりに夏でもしびれる冷たさでしたね
いま思えばよくぞ文句言いながら行ったものだと感心します。
今年の吹奏楽部の同窓会で、山岳部に同行した話をしましたが「そう言えば・・そんなこともあったっけ?」程度の反応でがっかりしました(^^;
思い出って色あせて消えていくものですね
それを思うとレコをアップしておくのは自分のためでもあると思ってます
でわでわ
信用できないのは人間・・・??
それも嫌な話ですねぇ・・・
吹奏楽部が山岳部に同行して山登り!ちょっと驚いきました。
キャンプファイヤーのときに伴奏をするとか???
同行する吹奏楽部のメンバーも、大した体力ですね
こんにちは^^
やっぱり落ちがあって( ´艸`)ブフ
私はこの屏風岩は先輩に連れてって貰い、丁度右肘を故障していた時期でリードしていないので、値打ちが分かりませんでした。
看板の雲稜と、先輩が拘った東壁下部末端からの登攀は、一昔前の時点で余りに登られておらず、取付も辺鄙な草付下って探しました。
リングが全て無いボルトに、細引きなど施して、延々とアブミの掛け替え、行けども行けども・・終いに飽きてきてしまいました。
(リードしてないからかもしれませんし、自分の問題なんですが)
その後、屏風をフリーで楽しむには、実力が0Sで12以上ないと無理か?と思いました(;^_^A
dejavuさん、こんにちは。
僕が登ったのはもう30年以上前で、その時点ですでに初登攀から何十年か経っています。よく考えると、初登攀からずっと残ってる支点もあるわけで、後続のクライマーはそれを「抜けることは無いだろう」と信じて使ってる訳ですねぇ・・・
このルートを登ったときは、古いハーケンやボルトだらけでした・・・ボルトのリングなどは、その後の何十年かですべて落ちてしまったんでしょうね。
確かに単純なあぶみの架け替えは退屈です。クライミングというよりも作業ですね。
その後、徐々にフリー化が進められたようですが。。。
アルプスの様な大きいルートでフリーをするには、それなりの危険・不確定要素が伴いますね。濡れた草付とか、不安定な浮石や支点とかも、うまくこなさなくてはなりません。この点、ヨセミテなんかのビッグウォールなんかとは質が違います。
単純にフリーを楽しむなら、小川山とか、他にいい場所があるので、無理に屏風に行く必要は無いのかもしれません。
PS:とは言いながらも、このころはひそかに、東稜ルートなら完全フリー化できるのではないかと、思っていた時期もありました・・・
是非、ルート開拓して下さい!
「Cross-hillルート」ってかっこええー
いやぁ・・・もう技量が落ちてるので、無理ですよ〜
ところで、今の屏風岩はすでに完全フリー化されたルートも多いのでは??
ボルトなんかペツルのピカピカボルトなんかに打ちかえられているとか???
どうなんでしょうね。。。
そんな難しい所登れません、もっとやさしいの作って下さい〜
いまネットで調べてみたら、東壁ルンゼのフリー化名が「フリークライミング」、東稜が「オープンロード」っていうらしいですね。オープンロードの方はグレードが5.12-とか。。。これなら四半世紀前の最盛期だったら、なんとかこなせたかも・・・
四半世紀前のCross-hillさん、すてき
いまは、ただのオジサンになってますが・・・
クロスさん。力持ちっ。
んで、また、岩もバリバリですね。
これだけ遠い記憶の?青春時代を鮮明に語れるのは、やはり、山を愛するクライマーだからですかねっ。
わたしなんて、良いことも悪いこともすぐに忘れてしまうおバカさんなので、詳細に日記、忘れないうちに書き留めてしまいます。
数十年たったら、そのときの感想とか、リアルに思いだせるのかしら??
昔は体力も気力も充実してました。。。
古いアルバムに写真が貼ってあって、メモがあるから思い出せるんですよ〜!
中には、写真を見て、「え!?、ここ行ったんだ。。。」ていうような、すっかり忘れてしまった記録も・・・
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