石鎚山系大縦走☆黒森峠〜青滝山〜冠山〜三森山
- GPS
- 29:55
- 距離
- 57.4km
- 登り
- 4,694m
- 下り
- 4,802m
コースタイム
- 山行
- 8:36
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 9:51
- 山行
- 10:03
- 休憩
- 2:11
- 合計
- 12:14
天候 | 一日目:晴れ 二日目:曇り 三日目:曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
下山は中七番より別子山地域バスで新居浜へ |
コース状況/ 危険箇所等 |
黒森峠から登山道への入口が分かりにくいが、伐採斜面の左手に登山道がある。斜面の上まで林道を登っても登山道に出ることが出来る。 割石東山から笹藪の道となるが刈払いがされている。 梅ヶ市からの登山道との合流部手前では踏み跡が不明瞭であるが、ピンクテープがついている。 堂ヶ森〜石鎚山〜笹ヶ峰までは了解に整備された一般登山道。 笹ヶ峰から東は笹が深くなり、登山道が笹に埋れて分かりにくい箇所が複数あり 丸山荘への紅葉谷ルートは道が険しいとのこと 父山のトラバース道は道が荒廃し通行困難とのこと 一ノ谷越〜中七番ルートは通行禁止 |
写真
感想
※以下はかなり長い山行記ですので、飛ばして下さい
【山行前】
石鎚山の地図を開くと蛇行を繰り返し東西に伸びる長い稜線が目に入る。いつかはこの長い稜線を縦走してみたいものだと縦走の機会を伺っていた。松山への出張の後に三連休が続く。この縦走を果たすには千載一遇の機会である。大学時代は山岳系のクラブに属していたというH君から同行の申し出を頂き、お付き合い頂くことにする。
出張のついでと距離が長いこともあり山小屋泊を計画する。宿泊は必然的に石鎚山の東にある土小屋と笹ヶ峰の北側の丸山荘に泊まることになる。丸山荘は様々なレコやサイトでも佇まいが紹介されているが、文化財に指定されてもおかしくないような昔の小学校風の佇まいは宿泊意欲を掻き立てられるところだ。
予約の電話をしたのは一月ほど前、丸山荘のご主人には「土小屋から来るって?そりゃ無理やで」といわれるが、次に予約の電話をかけた白石ロッジのご主人、白石さんは「健脚の方なら不可能ではないな〜」と仰る。
問題が生じたのは10月の半ば、丸山荘のご主人から私の携帯に連絡が入る。ギックリ腰になったので山に上がれなくなったとのこと、11/3の予約はキャンセルさせて欲しいとのことであった。さて困った。石縦走を果たそうとするとテン泊の重装備で行くしかないようだ。石鎚山系の東のあたりで幕営が可能な場所はやはり笹ヶ峰しかないが、テン泊の重装備では土小屋からの縦走は流石に難しそうだ。
土小屋の宿泊をキャンセルしてシラサ峠の避難小屋に予定を変更することを考える。初日の行程は堂ヶ森を経由して石鎚に至るコースを予定していたが、この堂ヶ森からのコースを諦めざるを得なくなりそうだ。しかし、直前に丸山荘のご主人に電話をかけて、腰の調子はどうですか?とお伺いしてみると、電話口でひとしきり躊躇った挙句、「少し良くなったからなんとか上がろう。素泊まりやったらええで」と仰ってくださる。
堂ヶ森の登山口である保井野に入るには松山から特急いしづち号で壬生川に向かい、バスに乗るつもりであったがこの方法だと保井野の登山口の到着するのがおよそ9時半となる。地図をよくよく眺めると松山市から伊予鉄道で終点である横河原に向かい、そこからアプローチする方法はないかと調べたところ、東温から久万高原に抜ける黒森峠から青滝山を越えて堂ヶ森へ至る長い縦走路があることを知る。
元来、この縦走路は笹薮に覆われ、かなり難路との評判であったが、ネットで検索するうちに最近になって刈り払いが行われたという情報を得る。雨森峠からの尾根自体の高低差は少なく、保井野から堂ヶ森に登るよりも早くかつ楽に堂ヶ森に辿りつけるかもしれない。前日になって白石ロッジのご主人から予約の確認の電話を頂くが、ご丁寧にもコースの状況を教えて下さる。
【一日目】
松山市駅から始発の伊予鉄道に乗り、横河原に向かう。間も無く車窓からはローズピンクの朝焼けに染まった雲が目に入る。終点の横河原ではタクシーが迎えに来てくれる。久万高原へと抜けるう国道464号へ入ると谷沿いには広大な棚田の風景が広がる。しかし、行く手の山の稜線は重苦しく雲がかかっている。
黒森峠に到着すると峠には古い石仏と祠がある。古来より松山と高知を結ぶ要路だったのだろう。祠の中の仏様は首より上が欠損していた。峠は朝霧に包まれている。左手に見えるピークに向かって伐採斜面が広がっており、その中を登ってゆく林道が目に入ったので、まずは林道を辿って伐採斜面を登る。あたりの霧が晴れて、朝陽が周囲の朝霧が黄金色に輝かせる。その中にこれから辿る稜線が顔を覗かせる。長大な縦走コースに相応しい壮麗な幕開けのようだ。
伐採地を上まで上がると斜面の西側から登ってくる細い踏み跡と合流する。こちらが本来の登山道のようだ。このあたりは古くから整備された道なのだろう。尾根上にはかなり広く、快適な道がつけられている。すぐに登山道は霧の中へ入ってゆく。
最初のピークである、割石東山1073mと記された小さな山名標が三角点の上の灌木に架けられている。このピークで尾根は東向きに大きく向きを変える。ここからはいよいよ笹原の間の細い踏み跡を辿ることになる。
右手の斜面は檜の植林地であるが、尾根筋を含めて左手には自然林が広がる。尾根上に漂う霧はすぐ上は晴れているのだろう。朝の光が差し込み、幾筋もの薄明光線を樹林の中に投射する。自然林の中では色づいたクヌギやコナラの葉の透過光が黄葉の鮮やかさを際立たせる。
落葉した樹々の間からは左手の愛媛県側に広大な雲海が目に入る。どうやら雲の上に出たようだ。左手前方には雲海の上に突き出た山が見える。三ヶ森らしい。
次の三角点ピーク、1237m峰を越えると山毛欅の樹林越しに青滝山のなだらかな山容が目に入る。緩やかに標高が上がり、標高が1200mに近づくと尾根上は山毛欅の樹が目立つようになる。山毛欅の樹々も黄葉が盛りであり、陽光を受けて輝く山毛欅の黄葉はこんなに色鮮やかであったかと今更ながらに驚嘆する。
青滝山への登りに差し掛かると確かに最近、刈り払いが行われた気配がある。
青滝山の山頂は樹林に囲まれた小さな広場であった。熊笹の道が続くので、ここでレインウェアを取り出す。下に差し掛かると東斜面に差し込む朝陽のせいだろう、既に熊笹はほとんど乾いているのだった。
鬱蒼とした広葉樹林の中の相名峠も愛媛と高知を結ぶ要路の一つ出会ったのだろう。愛媛県の保井野の側にも高知県の梅が市の側にも薄い踏み跡がついている。樹間からはいよいよ正面に山頂に大きな反射板を戴く堂ヶ森の大きな山容が目に入る。石鎚方面から見た優美な山容しか知らなかったが、この相名峠から見上げるその姿は登攀にどれほどの時間と体力を要するだろうかと懸念するほど高く聳え立つように思われる。
一般的には斜面に対してジグザグに付けられることが多い登山道が、斜面に対してストレートにつけられているので勾配は一層きつく感じられる。ピンクテープを頼りながらほとんど消えがちな薄い踏み跡を辿り、笹薮と漕いで尾根へと上がると突然、明瞭な登山道に飛び出した。梅が市からの登山道だろう。
ここからは極めて良好に整備された一般登山道となる。すぐに広大な笹原の広がる斜面に飛び出す。笹原を登ると少し先で保井野から登ってくる道と合流する。相名峠から見上げる峻険な様相とはまるで印象が異なり、優美な曲線を描く稜線を目指して笹原の斜面を緩やかに登ってゆく。足元では数多くの青紫色の竜胆の花が彩りを添えてくれる。振り返ると雨森峠から辿ってきた長い縦走路とその先に石墨山が目に入る。笹原の下から吹き上げてくる微風が心地よい。この時期だからこそ涼しいが、陽射しが強い時期はかなり暑いことが予想されそうだ。
少し登ると堂ヶ森の山頂から下って来る単独行の男性と初めてすれ違う。保井野からピストン往復らしい。男性はこの界隈の山を知悉しておられる雰囲気であったが、雨森峠から青滝山を越えて来たというと「それは綺麗だったでしょう」と反応される。この後、三日間、多くの人とすれ違い「黒森峠から青滝山を越えて・・・」と云って通じる人は一人もいなかった。よくよく考えたら黒森峠は石鎚の「山と高原地図」の範囲外なので、それも無理はないだろう。
稜線に辿りつくとニノ森の大きな山容とその左肩に石鎚山が一気に視界に飛び込んで来る。広大な笹原の灰緑色、コメツガの深緑色、そして紅葉の広葉樹林が対照的なコントラスを呈する。このニノ森の壮大な光景は堂ヶ森からの長いコースを選んだ大きな理由の一つでもある。
時刻は11時13分。バスを使って保井野まで入ったとしてもこの時間には到底たどり着けなかっただろう。雨森峠を出発してからおよそ4時間弱。白石ロッジの白石さんの情報によると、標準的なスピードで黒森峠からここまで5時間、ここから土小屋まで5時間とのこと。この時間を大幅に超過するようであれば連絡を下さいとのことであったが、電波のアンテナも良好に立っているので、白石さんには堂ヶ森に到着したことを連絡しておく。
ニノ森にかけても広大な笹原が延々と続く。この笹原は風衝草原と思われるが見渡す限り山稜の南側を中心に広がっている。要するに太平洋側から吹き込む風によって出来た草原であろう。ニノ森の山頂が近づくと笹原から樹林の中へと入る。山頂の手前から人の話し声が聞こえ、数名の人が休憩している広場に飛び出し、目の前には途端に峻険な石鎚山が現れる。時間には余裕がありそうなので胡瓜とトマト、ゆで卵をマヨネーズと金山寺味噌で和えたサラダを作る。
石鎚山にかけてはかなりの距離があるように見えるが、西の冠山を越えてからは高低差の少ないトラバース道がつけられており、山頂を眺めながら距離を稼ぐことができる。石鎚山の山頂部の左端には石鎚神社の大きな建物が見える。峻険な山頂部の岩と同化したその建物は遠くから見る限りはまるで物語に登場する山の魔王の宮殿のようだ。
山頂が近づくと北側斜面に回り込み、成就からの登山道と合流する。すぐに三の鎖の分岐がある。右手には鎖場の迂回路となる鉄製の階段が岩壁に取り付けられており、多くの人が往来している。
テン泊の重装備であればこの三の鎖の登攀が躊躇われるところであったが、小屋泊の軽装備であればこの鎖場に怯む理由はない。鎖場の下に出ると数人の若い女性達のグループが鎖場を見上げてどうしようかと躊躇っているところであった。見上げるとスニーカーを履いた軽装の男の子達が登っている。女性達がお先にどうぞと譲ってくれたので、鎖場に取り付く。
鎖の輪っかが非常に大きく爪先をかけられるので、足場に困らない。それにしても長い鎖は全体で相当な重量だろうと思うがどうやって鎖を取り付けたのだろうか。H君の後ろからは女性のグループの一人が懸命に登って来られる姿が目に入るが、グループの他の方達は迂回路に回ったようだ。鎖場を登ると左手には瓶ヶ森、伊予富士、笹ヶ峰と大きく蛇行する石鎚山系の主脈に名峰が一気に視界に飛び込み、感動的な光景が広がる。遠くに見える鋸歯状の山並みは先日縦走した赤石山系だ。
鎖場の上まで上がると神社の祠があり、そこが弥山の山頂であった。その瞬間、ナイフで削り取ったかのごとく切れ落ちる斜面と尾根の先に石鎚山の最高地点、天狗岳の鋭鋒が目に入る。天狗岳との間に多くの人が往復している。
山頂からは北斜面のトラバース道に入ると、岩から滴り落ちている清水が目に入る。マグカップに水が溜まるのには多少の時間を要するのだが、何度もマグカップを差し出しては清水の冷たさを味わうのだった。
土小屋がへの尾根を下ってゆくと斜面が夕方の黄金色、振り返るともうすぐ、土小屋が近づくと登山路は尾根の北側斜面をトラバースするので夕陽を見ることが出来ないが、土小屋の直前で好展望地が現れ、夕陽が山の彼方に沈んでゆくのを眺めながら時間を過ごす。その間、ここまで追い越していった多くの登山者達が前を通り過ぎていった。
土小屋の白石ロッジに到着すると、ロッジの前からは西に好展望が開けていた。折しも茜色の残照が空に広がっていくところであった。しかし、この美しい夕空は天気が下り坂である徴候でもあろう。豪勢な夕食に舌鼓を打つと、翌日の天気が少しでもいいことを願いつつ瞬く間に眠りに落ちるのだった。
【二日目】
目覚ましをセットする余裕もなく就寝してしまったのだが、4時半に目が醒めたお陰もあって土小屋の白石ロッジを予定通り未明の5時過ぎに出発する。この日は一日、曇りの予報であるが周囲には霧はかかっておらず高曇りが期待される。
岩黒山の北斜面をトラバースしながら徐々に高度を下げる。周囲は樹高の高い樹々が多く、明るくなれば壮麗な樹林の景色が期待できそうだ。よさこい峠へと続く車道に出るとあたりはすっかり霧の中であった。
よさこい峠からは再び笹原の中を歩いて伊吹山を目指す。笹原の尾根道は両脇を山毛欅の樹が立ち並ぶ。昨日の青滝山への尾根と異なり、このあたりの山毛欅の樹々はほとんが既に落葉してしまっている。東の方角のみ雲が晴れており、雲の下に雲海と朝焼けが広がる。
伊吹山の山頂にたどり着くと雲の中から朝日が登ってくるところであった。山頂には朝日を鑑賞しておられる一人の先客がおられた。昨夜はシラサ峠の避難小屋に泊まられたとのことであった。縦走路の先には朝陽の受けてラベンダー色に染まる雲の下に瓶ヶ森の山頂部が一瞬、姿を見せるが、再び山頂部は雲の中に隠れてしまう。伊吹山を後にするとすぐにも数人のパーティーとすれ違う。昨夜のシラサ峠避難小屋は賑やかだったようだ。
シラサ峠からすぐ目の前には鉾のような鋭鋒の子持ち権現が迫る。登山路はその東側をトラバースしてゆくが、見上げると巨大な岩壁が威圧的に聳える。瓶ヶ森との間の鞍部に抜けると、子持ち権現の北斜面に人工的な一丈の筋がつけられている。その筋に長い鎖が目に入る。55mほどの長い鎖場らしい。まずこの岩肌を穿って筋をつけ、さらには鎖をつけた先人の努力に驚くばかりだ。
鞍部からはジグザグと斜面を登り、瓶ヶ森の登山口へと至る舗装路に出る。登山口の駐車場には既に多くの車が停められている。
瓶ヶ森の上の方は一瞬、手前の男山が雲の間から顔を覗かせるが、瞬く間に再び雲に覆われていく。まずは瓶壺に寄り道する。昨夜、白石ロッジの食堂のテレビには田中陽希による笹ヶ峰から石鎚山の山行を紹介するグレートトラバースの録画が流れていたのだが、その中で瓶ヶ森の名の由来となった瓶壺が紹介されていたのだった。雲が晴れてくれることを願いつつ瓶壺で白石ロッジで用意してくれた弁当を頂く。
瓶壺からは廃墟と化している白石小屋を経て瓶ヶ森西側斜面の広大な笹原に出ると、願いが天に通じたようだ。先ほどまで雲がかかっていた山頂部に雲が取れているではないか。登山口から笹原をトラバースして、氷見二千石原に至る道に出ると分岐には丁度、男性三人のパーティーがおられる。分岐には男山の方向に「鎖道を経て男山」という道標がある。道標が指す方向を見ると深い笹原の中を登ってゆく薄い踏み跡が目に入る。そのような道は地図には記されていない。「これは正規の道ですか?」と訊かれるので、「いや、バリエーション・ルートでしょう」とお答えする。
このような道の存在は知らなかったので女山と呼ばれる瓶ヶ森の本峰を目指すつもりであったが、男山に直登するルートがあるのであればこれを試さない法はない。笹の藪を漕いで斜面に取り付く。すぐに足元の踏み跡は不明瞭になるが、少し先の笹薮に進む窪みが目に入る。窪みにたどり着くと、足元には確かに笹藪の中を進んでゆく踏み跡がある。
後ろからは先ほどの三人の男性達がついて来られる。足元の踏み跡に導かれるままに笹薮を漕いで斜面を登ると昨日の石鎚山で見たのと同様の鎖場が現れる。鎖場を越えて再び笹薮の斜面を少しばかり登ると男山山頂の行者小屋の裏手に出る。後でH君が確認してくれたところによると国土地理院の地図では白石小屋から男山に至るルートが記されているとのことであった。
男山の山頂からは西側にはなだらかな笹原の斜面の彼方に石鎚山を望む。東側にはすぐ目の前に西黒森の鋭鋒を経てその右手に伊予富士、さらに左奥に笹ヶ峰とこれから辿る稜線が一望の下である。
なだらかに稜線を歩いて女山である瓶ヶ森山頂にたどり着く。この展望を見ているとこの日の午後はずっとこのような高曇りの状態が続いてくれるのではないかと期待されるところであるが、そうは上手くいくものではない。瓶ヶ森の山頂を後に急下降を下り始めると瞬く間に山頂部は雲の中へと隠れてゆくのだった。
次の西黒森との鞍部は瓶ヶ森林道、いわゆるUFOラインこと瓶ヶ森林道のすぐ近くまで下ることになる。林道に降り立って南側を覗き込むと赤、黄、緑と斜面の錦繍が美しい。
西黒森の登りから振り返ると雲は愛媛県側から流れている。白い雲は瓶ヶ森の北側斜面にぶつかっては空中で円弧を描きながら踊っているかのようだ。瓶ヶ森からは途端に人が少なくなり、静かな山歩きだ。
登山路は西黒森の南の肩を通過しており、山頂へは笹の中の急坂をピストン往復することになる。山頂にたどり着くと東側の展望が開けているが、次の自念子の頭にかけての稜線がわずかに顔を覗かせる。
ここからは自念子の頭にかけて小さなアップダウンを繰り返しながら痩せ尾根を進む。時折、霧が晴れては東黒森への稜線が顔を覗かせるが、視界が晴れるのは長続きはしない。自念子の頭では周囲の景色はガスの中で何も見えない。稜線の下にはUFOラインが通っているので間断なく車の音が聞こえる。UFOラインのあたりでは紅葉の盛りなので、このドライブコースは大人気だろう。
東黒森の山頂に着くとご夫婦がランチ休憩をされておられるところであった。折しも霧の中から南の高知県側の景色が晴れる。昼飯に丁度良い時間だったので、炒飯と唐揚げをフライパンで温めて、ランチ休憩をとる。
伊予富士への長い登りに差し掛かると笹原の中に群生するコメツツジが臙脂色の紅葉を見せている。山頂が近づくとそれまで山頂部を覆っていた雲が薄くなり、突然、山頂のシルエットが姿を現す。振り返ると西の方角ても瓶ヶ森から石鎚山に至るまでの稜線がみるみるうちに雲の中から姿を現す。山頂までは後わずか。山頂へと急ぐと、これから辿る稜線の先では寒風山と彼方で笹ヶ峰が大きな山容を広げている。それまで山頂にいらした女性達のパーティーが「今し方までガスの中で全く何も見えなかったのに・・・」と皆んな大喜びである。
しかしこの伊予富士からみる笹ヶ峰はまだまだ距離がある。地図上のコースタイムでは4時間近くあるので、かなりコースタイムを短縮しなければ明るいうちに丸山荘にはたどり着けない。まだ明るいうちに丸山荘の古風な佇まいを写真に収めたいという希求があったのである。
伊予富士から笹ヶ峰にかけては雲も晴れて好展望が約束されているのかと思いきや、我々が山頂から下るとまたもや雲が稜線を覆う。
桑瀬峠を越えて寒風山への急登を登るとあたりは完全に霧の中だ。かなり遅い時間かと思われたが、数組の登山者とすれ違う。寒風山トンネルの出口に車を停めて、寒風山かその先の笹ヶ峰の往復をされておられるようだ。寒風山の山頂は好展望との評判であるが五里霧中である。
いくつかのアップダウンを越えて笹ヶ峰への長い笹原の登りへと差し掛かると、三度、雲が晴れて笹ヶ峰の大きな山容が忽然と姿を現した。山頂の右からはちち山を経て冠山へと至るたおやかな稜線が続いている。斜面を彩る臙脂色はコメツツジの群落によるものだろう。
振り返ると雲海の彼方に瓶ヶ森と石鎚山も姿を現した。壮大なパノラマを見ながら山頂へと歩を進める。最近、刈り払いが行われたようだ、登山路は刈り払われた笹の葉が埋め尽くされており、辺りには笹の香りが漂っている。
急速にあたりは暗くなっていく。笹原の斜面をジグザグと下降するとまもなく左手の下に赤い屋根の丸山荘が目に入る。H君を後に一足先に丸山荘へと下る。しかし山の上から小屋のすぐ近くに見えていた雲のせいだろう。すぐにもあたりは濃い霧に覆われてゆくのだった。なんとか明るいうちにたどり着けるかと思ったが、小屋の手間の檜の植林地に入ると足元がかなり暗い。
小屋にたどり着くと、風呂のお湯を沸かして我々の到着を待ってくださっていたご主人も安心されたようだ。なんとか薄暮の光が残っているうちに素敵な小屋の写真を収めることが出来た。すぐに後からH君も到着するが、瞬く間に夜のとばりが降りてくる。
素泊まりという話ではあったが、丸山荘のご主人は名物の焼肉を用意して下さっていた。それも良質な霜降りの和牛を到底食べきれないほど大量に。二日間、長距離を赤ワインを運んできた甲斐があったというもの。痛む腰を引き摺ってご主人が用意してくれた肉を食べきれなかったのが心残りであった。食事を済ませて二階の寝室に登ると屋根を叩く雨の音を聞きながら瞬く間に眠りに落ちていった。
【三日目】
登山前は最終日は晴れの予報であったが、朝は小屋の前は濃い霧に包まれている。この日は中七番から別子山地域バスを捕まえて新居浜に下山する予定である。首都圏に住んでいるH君は飛行機の予約があるので、このバスに乗り遅れる訳にいかない。
出発前に丸山荘のご主人から登山路に関するアドバイスを頂く。まずちち山に向かうのに紅葉谷を通るルートは道が悪く、かなりの急登である。それから笹ヶ峰から冠山に向かうのは必ずちち山を通る尾根道を通るようにとのこと、地図では南斜面をトラバースする登山路が実線で記されているが、この道は既にかなり荒廃しており、とても通れたものではないとのこと。
ヘッドライトをつけて暗い檜林の中を歩き始める。林の中にはいくつもの踏み跡があり登山路がわかりにくい。踏み跡が徐々に薄くなってゆくので、これは登山路ではないと立ち止まる。昨夕に歩いた時の記憶を頼りに道を探るとすぐに林の南側へと抜ける明瞭な踏み跡が見つかった。
笹原の斜面に出るとやはり風衝草原だけあって風の通り道なのだろう。冷たい強風が吹きつける。昨夕とは一変、霧の中の山頂へと登るとまずはちち山への尾根道を辿る。まもなく尾根は二重山稜となり、その間を下ると風の陰に入ったのだろう、それまでの強風が嘘のように穏やかになる。
ちち山の山頂への道は道標も何もないのでうっかりするとトラバース道を直進しかねないところだろう。丸山荘のご主人のアドバイス通りに尾根を登る道を選択する。尾根に上がると再び愛媛県側から強い風が吹いている。どうやら晴れ間が覗く気配は全く感じられない。
笹原には臙脂色に紅葉したコメツツジの群落が随所で見られる。ちち山からの下りはかなりの急下降となる。トラバース道と合流すると、登山路は不明瞭となり、笹原の中を無理矢理歩いた跡がある。どうも踏み跡を辿り損ねた登山者が闇雲に笹原の中を藪漕ぎしたせいでかえって本来の踏み跡がわかりにくくなっているようにも思われる。
銅山越への分岐を過ぎると樹林帯となる。樹々の多くは山毛欅であり、霧が樹木のシルエットを幻想的に演出する。
一ノ谷越に来ると中七番へと下るルートにロープと通行禁止の札が張られている。登山路の荒廃のせいだろう、登山口に施錠されて通行出来ないようだ。
冠山に上がると平家平の方から上がって来られる単独行の男性と出会う。高知県側から上がって来られたらしい。この日はやはり晴天の予報を信じて登って来られたとのこと。
平家平にかけて延々となだらかな笹原が続く。晴れていたらどれほど素晴らしい光景を目にすることが出来ることだろうかと思うが、ここまでの縦走路が景色に恵まれすぎていたことを考えると致し方ないとも思える。
平家平を越えて送電線巡視路の分岐に差し掛かると下から三人組のパーティーが登って来られる。やはり晴天を期待して登って来られたようだが、「平家平はどうでした?」と訊かれるので「ガスの中でした」とお答えする。「高知は青空が広がっていたのに・・・」とのこと。
送電線巡視路を下るつもりであったが、時間に余裕がありそうなので三ツ森峠までの緩やかな尾根を直進することにする。登山路は先程までの踏み跡の薄い笹薮の道とはうって代わり、刈り払いされた広い道となる。樹林の紅葉を期待していたのだが、予想通り、高度が下がるにつれて山毛欅を始め、ナラやカエデの紅葉の回廊が始まった。
三ツ森峠に到着すると、峠まで林道が上がってきているのだった。峠には送電線鉄塔があり、この送電線鉄塔を建設するための林道だろう。道標には三森山まで670mとある。途中で左足を痛めてしまったH君には先に林道を降ってもらうことにして、三森山を往復することにする。
送電線鉄塔の下の展望地からはピークが三つほど連続して見える。おそらく山名はこの三つのピークに由来するのだろう。登山路は再び薄い踏み跡となる。登り始めるとかなりの急登となり、ロープが連続する。石鎚山の鎖場を除いては今回の山行で最もきつい登りと思われる。
樹林の中をひとしきり登ると山頂の手前で西側に展望が開け、平家平から下ってきた尾根を展望する。しかし平家平は相変わらず雲の中であった。三ツ森山は樹林に囲まれた小さな広場であった。山名標を確認しており返すと三森峠から林道を急ぎ足に下ってH君の後を追う。
林道の周囲の樹林は紅葉の盛りであるが、下るにつれて杉の植林地が広がるようになる。林道が大きくヘアピンでカーブする箇所が連続するので、その間の植林地の斜面をショート・カットすると、向こうから林道を歩いてくるH君の姿が目に入る。中七番に下るとバスの時間までおよそ30分ほど。道路脇の公園で湯を沸かし、ラーメンを調理する。片付け終わったところで、丁度バスが来る時間となった。
このバスは四日前に赤石山系を縦走する時にもお世話になったのだが、運転手も同じ方であった。新居浜の街に出るとすっかり青空が広がっている。しかし、山の上は相変わらず雲がかかったままだ。
新居浜の駅でH君と別れると三日間の様々な変化に富む光景の余韻に浸りながらしおかぜ号で岡山へと向かう。瀬戸大橋を渡るといつの間にか空には雲はすっかりと消え、夕日が児島半島の山の向こうに沈んでいくところだった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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ほんまによくこんな長距離歩かれましたねー!
合流できなくて残念でしたが、
直前までこの辺りのルートの確認をしていたので
読んでてめっちゃ臨場感ありました
丸山荘いい感じですね
私も焼肉食べに行かなきゃ!
コメント有難うございます。昨日からバンビ国境尾根を縦走していたので、お返事遅くなり失礼しました。
秘かにコメント頂けますこと、期待しておりました。まず、長い山行記を読んで下さったのですね。有難うございます。とはいえ、rika-goさんはこの長い駄文を読んで下さる数少ない奇特な方ですね😁
丸山荘は赤石山荘が営業を終了した現在、石鎚山系で最も魅力的な山小屋ではないでしょうか‥小屋の佇まいに関するかぎりの話ですが。問題は小屋のご主人のギックリ腰次第かもしれません。
行かれたら是非、平家平への縦走路を!rika-goさんのご趣味ピッタシです。もしも既に行かれていたら失礼をご容赦下さい。
このレコは、なかなか無いレコでしょうね。情報も少なめかと。
瓶ヶ森は石鎚から見ているととても綺麗に見えておりまして、四国の登ってみたい山リストに載せました。
西ノ冠岳〜二ノ森方面もトラバース道が続いているのが見えて綺麗だったのを覚えております。
以前、伊予富士と寒風山の地形図を眺めておりましたなら「平家平」「平家谷」というのが目に留まりまして、平家の落人伝説と関係があるのかな〜ってふと考えておりましたが、祠が祀られているとのこと。
中七番への近道の平家谷は通行禁止だったんですね。想定外だとルートが長くなる感じですが、平家平へのなだらかな笹原は、いい感じだっただろうと想像します。
小屋から御断りの電話が入ったという話。あまり聞いたことが無い話ですが、ご主人がギックリ腰とのこと。大きい小屋のようでしたがお一人で切り盛りされているのかな? 赤ワイン持って行かれたんですか?? 流石ですね〜 焼肉もさぞ美味しかったでしょう。お気持ちのプラスもありますものね。
とても遠くに感じてしまう四国山地。なんとか有名処百名山の2座は踏みましたが、歩いてみて感動する場所がたくさんある山地なんでしょうね。
さすがはののさん。やはり石鎚も歩かれておられましたか。ののさんも、この長大な文章を読んで下さる奇特な方ですね。まずは御礼申し上げます。
確かに今回歩いたところはこのヤマレコでもほとんどレコのないところがあります。
冠山から平家平は笹藪の中の道こそ細いものの、広大な笹原の尾根筋は魅力的で、晴れた日に捲土重来したいものだと思いました。
それからレコには重要な情報を載せておりませんでしたが、お察しの通り小屋番は80歳になるご主人一人でされておられます。ギックリ腰を押して小屋まで登ってきて下さったのは深謝に堪えません。
この石鎚山系は感動するところがとても多いです。ののさんも期待以上の山行となること、間違いなしですよ。
rika-goさんのコメントにもレスしたのですが、この二日ほどバンビ国境を歩いておりました。レコは週明けになるかと思いますが、宜しければご来訪お願い致します😁
この区間を日帰りで区切り、何日もかけて歩いていたので、興味深読ませていただきました。
それにしても凄い脚力、あやかりたいです。(^-^)/
赤石山系縦走も読ませていただきました。
ご存知のように、
ちち山の別れの分岐から、赤石山系〜法皇山脈と繋がっています。
愛媛の山が満喫出来ることは、請け合いです。(笑)
機会があれば是非歩いてみて下さい。
sea1020さん コメントどうも有難うございます。
12月中旬に再び松山への出張の予定があるので、どこをどう歩こうかと思案しているところです。天気が良ければ再び泊まりがけで石鎚にと思っているのですが。
赤石山系〜法皇山脈は魅力的ですね。今回は展望が得られなかった冠山〜平家平も是非、再び訪れたいところです。
初めて愛媛の山を訪れましたが、愛媛は奥深く、南西部にもまだまだ魅力的な山が多そうですね。今後の山行にsea1020さんのレコを参考にさせて頂きます。
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