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まるで散歩に出かけるかのようにふらりと自分で歩いて手術室へ入った。不安も苛立ちもなく、そう … 例えると、馴染みの鈴鹿の山にふらりと週末に「ちょっと登ってくるよ」と出かけるように。風に身をまかせるのがいいさ…
心臓バイパス手術の時間は3時間程だが、麻酔や術後の処置を含め終わったのは夜中の1時近く。無論、全身麻酔されている自分は何も覚えていない。
胸骨を切り開いてわずか15cmの隙間から全てを行う。しかも人工心肺を使わず心臓は止めないまま。肋骨の裏側にある成長期にしか重要でない左右の内胸動脈を切り取り、これを使って心臓に3カ所のバイパス路をつくり縫合する。心臓からの血流を考慮し、血栓のリスクを排除するためにこの縫合作業自体は10分程度で行ってしまわないといけない。まるで心臓バイパス手術の執刀医は、爆発時間が迫る時限爆弾を処理するサスペンス映画の主人公じゃあないか !
まさに神業。心臓手術が経験に勝るものはないと言われるのは、このためなんだろう。年に100回を超えるオペをこなすチームだからこそ確実に手術を成功させる。
僕の心臓に埋め込まれた時限爆弾は、素晴らしい主治医のチームの執刀によって爆発することは無かった。
目が覚めると、翌朝。全てが終わっていた。
「ああ、生きている。また朝が来たんだ」
今まで気にもしていなかった、普通に夜寝て、普通に朝目覚める事が、倒れてからは身に染みて嬉しい。新しい日が来て、もう1日、自分が息を吸い、自分の足で歩き、笑い、食べ、話を出来る… 「あたりまえ」が当たり前でない現実が隣合わせに存在したのを経験した今、全ての事がこの上なくうれしい。ICUのベッドの上でわずかに動かせる手や目、口の動きの全てが愛おしく感じた。
俺、まだ、生きてる !!
術後の本当の痛みは翌日からだった。胸の縫合傷ではなく、お腹の真ん中に付けられたドレインのチューブ。術後の廃物を体外に出すのに必要なこの管がとにかく痛い。寝ていても、身体を起こしても、昼も夜も、とにかく1分1秒とて痛くない瞬間がない。生まれて初めて48時間もの間、一睡も出来ず痛みで寝られない時間が続いた。
時計の針の歩みは遅々として感じ、痛みは頭の奥深く、精神の迷宮に絶えず入り込んで来て僕の正気を揺さぶった。「痛いだろう、痛いだろうよ。フッフッフ…」
何者だ、お前! 頼むから頭から出て行ってくれ。誰かこの痛みを一瞬でいいから止めてくれ !
夜が永遠に続くかと思えた。精神と時の密室に閉じ込められた2晩だった。
その後、ドレインは外れ、痛みは劇的に無くなった。術後の微熱はあるものの、徐々に歩く事も出来るようになり食欲も旺盛になった。検査の結果も問題なく、術後8日目、9月12日に無事退院した。
心筋梗塞による突然の心肺停止で病院に運ばれた日から実に50日目。手術のための転院時に移動した30分という短い時間以外は病室という閉ざされた空間だけが、日々の僕の生活テリトリーの全てだった。
日々、痛みや不安と向き合った「精神と時の部屋」で過ごした50日が終わった。
倒れた直後の処置で内出血してしまい不自由な左手の治療とリハビリが残るものの、自分の家での生活が手の中に戻って来た。全てが元に戻ったわけじゃない。そして、倒れる前、手術の前とは何かが違う自分と、元の変わらない自分が同じ身体の中に同居しているのを感じる。
どちらの自分も優しく自分自身に語りかけてくれている。
「まずは、お帰り。そしてこれからも一緒に、よろしく」
今の自分にはもう1つの命を感じる 。今までの自分と、そう「未来の自分」。
その未来の自分が語りかけてくる。
「来年は一緒に山に行こう。大丈夫、一緒に頑張るから。きっと行ける。気持ちをしっかり持って」
ようやく踏み出せる1歩。この1歩がどんな頂に、どんな景色にたどり着くのか、尽きぬ期待を生きるエネルギーに変えて、今日も生きる!
生きてるって、こんなにも気持ちがいいんだな。
(9/12退院時撮影)
初めまして、無事にオペが終わり良かったですね。
山に行ける日が楽しみですね。
t_morikawa さん
はい、2ヶ月程すれば山登りも徐々に出来るようなので、まずは標高198m、自宅裏山の東谷山からです。来年春に鈴鹿、夏にアルプスに行けるよう焦らずステップアップしていきたいと思います。
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