https://www.facebook.com/kobestory/?hc_ref=ARQT2LxF3LYcADs8ZJ75Y5zcdjYsltK1EfiraYvdy4FsH4LGaykE3oPavGqErwpZ_B0
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本庄砂防堰堤が写っておらず、昭和 50 年撮影とありましたので、調べ直してみました。
本庄橋跡に置かれている石橋の一部には、「本」の字を見ることができます。そこに設置されている説明板には、石橋であったときの本庄橋の絵が描かれています。
20160508_一軒茶屋のかき氷を求めて六甲登山
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-868064.html
この「橋庄本」の文字は、横書き、向かって右から彫られていて、橋の南面にありました。
「橋庄本」の文字が橋の北面ではなかったというのは、manboh5555 さんのレコの写真で分かります。日光と影の方向から、文字がない側が北面のようです。
六甲山 芦屋〜有馬
2016年07月16日(土) 〜 2016年07月17日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-917772.html
本庄堰堤の竣工は昭和 44 年。
冨田陽子.山地流域の管理に関する研究 -六甲山系住吉川を事例にして.2013.
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/180628/2/dnogr02788.pdf
「橋庄本」の文字が見える方向の写真、または絵は、本庄堰堤がまだなかった時代に橋の南側から見たものということが分かります。
石橋の本庄橋は、大西雄一著、六甲山ハイキングの第 4 版(1984 年 4 月 1 日発行)では、昭和 50 年頃に崩れ落ちたと書かれています。
同じ大西雄一著、六甲山ハイキングの第 2 版第 2 刷(1971 年 3 月 20 日発行)では、石橋が崩れ落ちたことの記述はありませんので、このとき(第 2 版第 1 刷 1970 年 7 月 10 日発行)には、まだ石橋があったということです。
この六甲山ハイキングの本には、初版本も、第 4 版も、昭和 37 年ごろの本庄橋の写真が載っています。
昭和 50 年撮影としています神戸物語さんの Facebook の写真は、本庄砂防堰堤ができる昭和 44 年よりも前のものだと思います。
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本庄橋と本庄砂防堰堤の越え方
現在は、登山の場合、住吉川の右岸から木の(本庄)橋を左岸へ渡り、階段を上って、本庄砂防堰堤の左岸側を進み、広場へさしかかり、そこから住吉川を石伝いに右岸に渡って、七曲がりに取り付きます。
上記、六甲山ハイキングの第 2 版第 2 刷にある地図によりますと、住吉道は、以前の国土地理院地図の破線路のごとく、住吉川の左岸の川縁沿いを登って(現在の山肌を登って合流するのとは異なる)、雨ケ峠からの下り道と本庄橋の手前で、住吉川の左岸の川原で合流し、本庄橋を左岸から右岸へ渡って、本庄砂防堰堤の右岸側を越えることになっています。
この合流箇所の川原は広く、飯ごう炊さんに適しているとあります。現在は、この合流箇所の記述のあたりは杉の植林地と藪になっていて、そこから石伝いに住吉川を左岸から右岸に渡っていますね。
現在とはだいぶ異なる風景だったようです。
六甲山ハイキングの第 4 版の地図では、住吉道と魚屋道の合流箇所はやはり住吉川の左岸の川原のようですが、その先では、現在と同じ、木の(本庄)橋を右岸から左岸へ渡り、階段を上って、本庄砂防堰堤を左岸から越えるようになっています。
左:六甲山ハイキングの第 2 版第 2 刷 47 頁。
右:六甲山ハイキングの第 4 版 53 頁。
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本庄橋跡の説明板
20160429_六甲登山_ゴルフ場下ゲート注意
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-854940.html
本庄橋跡(ほんじょうばしあと)
https://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=11093
石橋の時代の本庄橋について、田辺真人教授の解説を見ることができます。
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説明板にある本庄九ケ村(東灘区東端の村々)
田辺真人著、東灘区役所発行.東灘の史跡と木かげ 散歩道ガイド.1975.
森、中野、小路、北畑、田辺、深江、青木、津知(現芦屋市)、三条(現芦屋市)の 9 村が、江戸幕府の直轄地となったとき、中世の荘園時代の名残で、本庄九ケ村と称したのだそうです。
明治新政府になって、本庄の森、中野、小路、北畑、田辺の村々と、山路庄の田中、岡本、野寄の村々とで、本庄の「本」と山路庄の「山」から名付けた本山村を編成したのだそうです。
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本庄堰堤補強工事
平成28年2月29日現在
工期 平成27年7月22日〜平成28年6月29日
工事場所 神戸市東灘区本山町地先
http://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/koji/koji0006.php
工事中の対岸からの写真を拝見することができます。
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