最近、youtubeで紹介されている、加藤諦三氏(早稲田大学名誉教授)の講義にハマっています。
その中でも、「加藤諦三の幸福論〜何が人を幸せにするのか〜」では、とてもためになることを話されています。
そこで、その内容をヤマレコユーザー様に披露させていただくとともに、
自分の備忘録としてここに要約して記しておきたいと思います。
今回は、「悲観的な解釈と楽観的な解釈」について・・・
多くの人は、好ましくないことが起こると、その事実が不幸をもたらすと考えている。
だから人はその事実を変えようとするが、実はその事実に対する解釈が重要なのである。
失敗をしても、楽天的な人は「良い経験をしたな」と考え、悲観的な人は「ああ、ひどい目に遭った」と考える。
事実が人に影響を与える訳ではない。事実に対するその人の解釈がその人に影響を与える。
その解釈の仕方は、悲観的な人はその原因を自分(内的)に求め、楽観的な人は運や巡りあわせの様な外的要因に求める。
例えば、ある広告代理店で、新入社員に対し何も研修をしないで、広告の注文を取って来るように命じた。
そして、そのうちの一人が注文を取ってこれなかったことを気に病んで、不幸にも自殺をしてしまった。
周りの人たちは、「あいつは広告の注文が取れなかったから自殺をした」と言った。
しかし調べてみると、その新入社員9人とも、注文を取ってくることができなかった。
その事実は、みんな同じであった。
その人の日記が残されていたので、その人のその事実に対する解釈を知ることができた。
その人は、その事実を自分の弱点(「自分は能力がない」等)に結び付けて解釈をした。
しかし、その事実の原因を外的要因に求めると違った解釈をすることができる。
「この会社はひどいもんだ。俺たちに何もノウハウを教えないで、いきなり営業に出すなんて。注文を取ってこれないのは当たり前だ」。
或いは、「たまたま飛び込んだ会社が不景気で注文を取れなかったんだ。次はうまくいく」等の解釈もある。
次に、良くないことを引き起こした原因が長期的・持続的なものと思っているか、
それとも、一時的なものと思っているか。
もちろん、長期的・持続的なものと解釈する方が悲観的な見方である。
例えば、人事異動で希望しない部門への異動を命じられたとする。
悲観的な見方をする人は、「嗚呼、俺は左遷されてしまった。もうだめだ」と解釈してしまう。
一方、楽観的な見方をする人は、「次の異動では、俺の希望する部門に異動するに違いない」と解釈する。
解釈の仕方は、外的か内的か、一時的か持続的か、限定的か拡大的かの三つの要素で考えると良い。
例えば、ある人とのコミュニケーションがうまくいかない場合。
外的・一時的・限定的解釈であれば、「彼は取り付く島がなかった」となる。
外的・一時的・拡大的解釈であれば、「人は時々あのような振る舞いをする」となる。
外的・持続的・限定的解釈であれば、「彼は親密な付き合いが苦手だ」となる。
外的・持続的・拡大的解釈であれば、「人と親密な付き合いをすると、良くないことが起こる」となる。
内的・一時的・限定的解釈であれば、「私とのおしゃべりに、彼はうんざりとしている」となる。
内的・一時的・拡大的解釈であれば、「私は時々人をうんざりさせる」となる。
内的・持続的・限定的解釈であれば、「彼にとって私は魅力的な人間ではない」となる。
内的・持続的・拡大的解釈であれば、「私は魅力的な人間ではない」となる。
悲観的見方で、絶望したときにどの位力が落ちるか。
絶望したらその人の能力はストンと落ちる。
色々な動物実験から、真の死亡原因の多くは絶望である。
絶望はそれほど影響が大きい。
自分は、なぜ悲観主義になるのかということを解き明かすことが大切である。
無意識下で絶望感を持っていること。
このことを自分の中で意識化して、本当の自分に会えれば世の中はコペルニクス的に変わる。
これにより、解釈の仕方が変わるのである。
過去は変わらないから究明したって意味がないと人は言う。
しかし、解釈の仕方を変えるには、過去は徹頭徹尾究明すべきである。
人間である以上、失敗するときもある。そして、多くの失敗を重ねながら成長する。
小さいころ、周りから失敗を必要以上に責められて、屈辱と感じて成長した人。
一方で、失敗を励ましと結びついて成長した人。
この二者の間では、失敗という事実はまったく違って解釈される。
解釈の仕方は、過去の社会的枠組みでの体験の結果として出てくる。
そして過去を究明するには、心の履歴書を書くと良い。
心理学者アドラーによると、「悲観主義は巧妙に偽装された攻撃性である」といっている。
内的・持続的・拡大解釈の悲観的解釈と、外的・一時的・限定的解釈の楽観的解釈。
自分の解釈の仕方をこの3つを中心にしてチェックをすること。
そして、不安感や恐怖感の根底にある無意識下の怒りや憎しみなどの攻撃性を意識化すること。
そうすれば、悲観的解釈は楽観的解釈に変えられる。
(この内容の加藤諦三氏の講演)
https://www.youtube.com/watch?v=mUL4S6CDzws
こんばんにゃん はっくしょんはん
「悲観は巧妙に潜在化した快感である。しかも依存性が高い」
これに気づいてから、車でカナシイ曲を選ぶことをやめました。
にゃんにゃんにゃん
「オヤジギャグは巧妙に変装した中年オヤジの悲哀である。しかも依存性が高い」
顔で笑って 、心で泣いて 。
これに気づいても、いくら周りを凍り付かせても、やめることができません 。
依存性は高まるばかりです 。
Swan様、おはようございます!
この考え方良いですね!
楽観的な生き方が良いと思いがちですが、それだけだとマナーも何もかも個性の前に台無しになるなぁと思ってました。
若い人を教育する立場もあるので、非常に悩ましいところでした。
確かに3つの要素を考えたら、非常に分かりやすくなりますね!
参考にさせていただきますm(_ _)m
tomoさま こんばんは
2区場慣ㇾの方はいかがですか?
かなり回復してきているようですね。
嬉しい言葉ですね。
少しでもお役に立てたなら本望です。
私も悲観主義になりがちですが、
物事の解釈の仕方を反省しながら、
楽観的見方になるよう試みていきたいと思っています。
外的・一時的・限定的解釈 = ケ・セラ・セラ
お〜〜〜〜
どこかの美熟女的素晴らしい解釈!!!!!
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