![]() |
![]() |
![]() |
その第7弾です。
2010年に爺ヶ岳に登りました。その時、長野県警山岳遭難救助隊に救助要請をしました。
下山中のことです。標識「ケルン」の上部の片側が切れ落ちて開けた辺りで一組のご夫婦も下山中でした。ご主人の足取りが少しおかしいなと思って見ていたら、その後転倒。膝が内側に入るような感じに見えたので、心配でした。「前十字靭帯大丈夫かな。」と。私もスキーで断裂・手術をしていました。起き上がって歩き始めましたが、やはりうまく歩けていません。
近づいて様子を尋ね「救助を要請しましょう。」と提案させていただきました。
110番へ連絡し、色々な指示を受け、1時間後にヘリが上空に。長野県警の「やまびこ号」です。懸垂下降で隊員が降りてきます。多分、山岳遭難救助隊の櫛引隊員(その数年後は隊長に)だったと思います(TVの特集にも出演なさっていました)。
容体を確かめると、素早く装具を装着し、ヘリまで吊り上げました。
山岳救助にはとても興味があるので、TV、DVDを見たり、本を読んだりしていましたが、目の前での現場は、とても緊張しました。
大変なのは、一人残された奥さまです。不安なまま一人で下山し、一人で車を運転し・・・となります。一緒に下山させていただきました。搬送先は安曇野の病院という連絡が入りました。土地勘もなく運転も不安とおっしゃったので、私の車で先導し、病院に向かいました。
数日後、とても丁寧な連絡をいただき怪我は大したことなかったとのことで安心しました。
とても貴重な体験でした。ご主人がご無事だったのが何よりでした。今もご夫婦で元気に山に登っていらっしゃることと思います。
テールローターが特徴的です
私もこの機体にて救助して頂きました
それ以来、北ア登山にてヘリの音を聴くと空を見上げ機影のカタチを確認しては、救助隊への感謝の念と要救の無事と安全な救出搬送を祈りつつ、また山に還って来ることが出来た有難さを噛み締めてます
コメントお寄せいただきありがとうございます。
山行記録、何度か拝見しております。大変な体験をなさったようで、でもそれに屈することなく考えられない身体の状況で救助を待ち、リハビリに励み、しっかりと社会復帰し、今も山行を続けいらっしゃることに心から敬意を表します。
レスキューにはとても興味があり、色々と見たり調べたりしております。岐阜県警の「若鮎」、富山県警の「つるぎ」、東邦航空の民間レスキューの篠原秋彦さんなどの活動を崇拝しております。
10年ほど前になりますが、当時80歳近い両親が二人だけで槍ヶ岳に登り、東鎌尾根で母が滑落し、岐阜県警にお世話になりました。幸いなことにけがもなく、そのあとも山行を続け、西鎌尾根から新穂高まで自力で下山しました。
とても悲しい体験もあります。山で友人2人が命を落としております。
一人は、八ヶ岳の赤岳です。滑落した山岳部の後輩を救助に向かい、谷へ下りている途中で、自分も滑落してしまいました。後輩から慕われている人格者でした。
もう一人は、ネパールで高山病です。とてもタフで体力・筋力・知力も優れ、いつも笑顔を絶やさない人格者でした。
山は本当に素晴らしいですが、やはり多くの危険が伴うことを痛感しております。この記事の体験も、山岳救助の臨場感を感じられ、山に対する意識を深めてくれるとても貴重な体験だったと感じております。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する